見出し画像

10日間を思い出す(3日目)

 前回「1日目」の続きです。

 前回は、研究に行き詰り、休みたい、(気持ちの面で耐えるのに必死で、いわゆる普通の就職ができなくても良いので)もう辞めたいというメールを送ってから、研究がストップし、関係者からの通信を遮断して自然公園への散歩に出かけた、その夕方、事前に連絡していた相談所から明後日に相談をしていただける事になったという話でした。また、前回書いていませんでしたが、休みたいという事には、休みがどんな長さ、内容になるかは今後相談として、了承が下りました。

 さて、研究ストップ3日目、アパートから相談所に向かいました。この辺りの移動の記憶はあいまいなのですが、それでも0日目も昼からアルバイトに行っていた事は確かに覚えているため、少なくとも約3日はいわゆる通学路を通っていません。つまり、3日振りに研究室近くまでやってきました。とはいえ、研究室が怖くて、関係者がいないか恐れながらだったと思います。
 空は良く晴れていてまぶしく、暑い日だったと思います。相談所は研究の区画から少し外れた森の中にあり、あるのは知っていましたが、近づくのは初めてでした。少し早めに来たこともあり、近くにあったベンチに座って少し気持ちを落ち着けてから建物内に入りました。

 建物の内部の詳細を書くのは控えますが、入口から相談室まで安心感ある良い雰囲気に包まれているようでした。入口にはいわゆる大学の長からの差し入れ?が置かれていて、とても意外で印象的でした。しばらく待っていると、相談の先生が現れました。挨拶をして、共に相談部屋へと入りました。
 その手の専門家と相談をしたのは初めてでした。そのやり取りについては一言一句までは覚えていませんが、その時の先生の顔つき、部屋の雰囲気、メッセージ、私の心情は今でも鮮明に覚えています。
 はじめに、さりげない会話から入って、私はアルバイトの事、ランニングの事、就職予定の事などを話し、あまり、研究室の話にはならなかったと記憶しています。その後、この当時の研究とメンタルを取り巻く現状の一般的な話、私の気持ちを考えたときに、どういう心で生活していけば良いかのアドバイスを頂いたと思います。
 残念ながらこの会話では私の苦しい気持ちは解消解決とはならず、ヒントも得られませんでした。そもそもこの時点では、休む、休学するを飛び越えて、許されるなら退学したい、今後アルバイト続けて生きていけばいいじゃん、というメンタルであり、2年のリミットまで時間がほとんどないのに研究室に戻るという事はとても考えられなかったからです。どれだけ妥協しても、休学1年の猶予で自分の研究を考え直すのが限界で、でも正直院2年で明らかに修論無理そうなのに1年延ばしたくらいじゃ変わらんよ、という気持ちでした。今振り返ると、恐ろしいものです。退学は、一言でいえば、いわゆるレールから外れることになるので、(起業など自らの計画で退学するなどの場合を除き)非常に厳しい道ではあります。就職後、学部時代の同期にその心情の経験を伝えても、それは恐ろしいといった反応でした。人間の心というのは不思議で、恐ろしいものです。意思でコントロール出来ないスイッチのようなものがあって、私の場合、「生きるためには、あなたは研究なぞ考えてはいけません」という方向に押されていて、操られていたという事ではないかと想像します。
 しかし、4、5日目に来る復帰への決定打の効果が高まったのは、そして、復帰後の生活を支える基本となったのは、この日のこの会話ではないかと思います。また、今思えば、貴重な経験であり、有難かったと思います。

 その後は、昼ご飯をどこかで食べ、そのままアルバイトに行ったと思います。そして、終わって、夜、実家に帰りました。4日目は普段からやっていた友人とのランニング、5日目はその友人と隣町へのサイクリングでしたので、その時の経過、やりとりを記憶の範囲で、書けたら書きます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?