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化け柳

任官のため大和国を旅していた侍が、ある小さな村で怪異の噂話を聞く。

それは、村からしばらく歩いた山の麓に生える柳の大木に、夜な夜な怪しく青い火が灯る、というものだった。

そして時にはその火がふらふらと村にまで飛んでくるのだという。

不思議と、火が落ちても燃え広がるようなことはなく、暫く燻ってそのうち消える。しかしその怪火を見た者が気を失ったり、家人が病いになったりという不幸も多発し、村人たちはほとほと困り果てているらしかった。

侍は興味をひかれ、柳まで案内してくれる者を探すが、みな怖がって引き受けようとしない。

そこに激しい雨が降ってきた。

侍は「この雨なら火も灯るまい」と村人を説得し、ようやく村外れに住む猟師が渋々ながら案内してくれることになった。

大雨に濡れた悪路を抜けて件の柳に辿り着くと、悪天候にも関わらず青白い火が灯っていた。

猟師は恐れ、帰ろうと主張するが侍は聞かず、意を決したように一歩、近づく。すると火は勢いを増し、柳の木全体を包み込むように大きくなった。

それでも侍が近づこうとすると、火は青白い鳥の形となり、二人のほうへ飛んできた。

悲鳴をあげて気を失う猟師。

侍は猟師の落とした弓矢を拾い、一矢。見事、怪鳥を射抜いた。

弓を捨て、刀を抜き放ち、甲高く苦しげな鳴き声がするほうへゆるりと近づくと、腹のあたりに矢を受けて瀕死の鳥が震えていた。大きい。蒼白い…鷺だ。確か、ゴイサギ。しかしこのように大きなものか……?

侍はトドメを刺そうとするが、新たな火が複数、飛んできたのに気づく。数を増しながら、頭上を旋回するように飛ぶ火の塊たちは、やはりそれぞれに鳥の形を成そうとしていた。

南無三宝。侍は悪態でも吐くように言い捨てると、猟師を抱えてその場から走り去った。

村に戻る途中で雨は止んだが、男たちの頭上を幾つかの光が飛び越えていった。

荒い息で辿り着くも、村人たちは青白い顔をして侍を取り囲んだ。

曰く、無数の青白く光る鳥たちが村を襲い、中には口から火を吐くものもいた。そして幾つかの家がその火で焼かれてしまったという。見渡せば、焼け落ちた民家が目に入る。

あんたのせいだ、あんたのせいだ、睨みつけながら、まじないのように唱え続ける村人たち。

農具や粗末な武具を抱えた村人たちに詰め寄られ、侍は半ば強制的に、村から出されてしまう。

残されたのは、昏睡しながらもうわ言を繰り返す猟師。

侍の姿が見えなくなるまでその背を見つめていた村人たちは、村の悲劇を償わせようとするかのように猟師に得物を向ける。

彼らの瞳には青白い光が輝いている……。

任官に失敗し、江戸、四谷に戻った侍は村で起きた出来事を馴染みの湯女に話しながら酒を飲んでいた。

女の手前、酒の勢いもあって、話はどんどん大きくなり、数多の妖鳥を射抜き斬り払い、村人たちの歓声を浴びながら帰ってきたことになっていた。

女に豪胆さを称えられ、上機嫌で帰路につく侍。

(あいつも物好きな女だ……こんな貧乏侍を好いてくれる。一緒にいたいと言ってくれる)

女が住む長屋から離れて薄暗がりを抜けようとすると、町外れの枯れ柳の下で白衣を着た細い男と出くわした。

薄闇で腰から下がよく見えない。

すれ違い、怪しんで振り返ると、男のほうも首から上を返していた。しかと見れば妙に長い首だ。そして。光。その顔には、青白い光が一つ浮かんでいた。

侍は迷わず抜き打ちで切りつけ、相手が倒れると一刺し、細身の男にトドメを刺した。……はずだった。

そこに、男の骸はなかった。かわりに、刀傷以外に腹部にも矢傷のある大きなゴイサギの死骸があった。

「追うてきたのか……」

侍はひとしきり思案していたが、死骸を持ち帰ると、煮て食べてしまった。

その一部始終を、幾人かの町人が目撃していた。

噂が広まり、化け物を怯むことなく退治した上に、躊躇なく煮て食った侍は、その豪胆さゆえに一躍有名人となった。

絵や物語の題材として使わせて欲しいという依頼が幾つかあって、それなりのカネも得た。

浮かれ気分で湯女を訪れた侍は、噂を聞きつけていた女からあなたと一緒になりたい、と言われ内心かなり嬉しく思うが、その場では応えず帰路につく。

彼は悩んでいた。武士として任官の道を邁進すべきか、それとも今ある生活を守って女と一緒につつましく暮らすべきか。

腕には自信があった。しかし侍でありながら仕える者のない自分に、何者でもないオノレに、ずっと信を置けずにいた。しかしあの青鷺を斬ったとき、心中に渦巻いていた疑念が、ふっ、と掻き消されたように感じたのだ。何者かでなければならぬのか、ありのままの自分で良いのではないか。そうだ……

浮ついていた人生の行く末が確かに固まっていくのを感じながら、あの枯れ柳を通りかかったときだった。甲高い声。若い女が咽び泣くような。声のするほうを見上げると、そこには青白く光る鷺。斬り殺したものよりかなり小さな。しかしその身に纏う妖し火は、逆にはるかに大きく煌々としている。

仇討ちか……侍は刀に手をかけるが、鷺の眼光に射止められ、そのまま身動きが取れなくなった。

音も無く、見つめ合う人と妖。

そこに駆け寄るひとつの影あり。それは侍が置き忘れたお守りを届けにきた、あの湯女であった。

「よかった、追いついた、おまえさん、忘れ物……」

女の声に静寂が破られ、同時に侍の硬直が解けた。刀の柄にかかった指が、固く握りしめられる。

「自分のことがよくよくわかった。一緒になろう」

女に背を向けたまま、侍は言った。確信に満ちた者が放つ一種の冷淡さがその声にこもっていた。

驚いて、そして笑顔になる女。全身に喜びを漲らせて、軽やかに男のもとへと駆け寄らんとする。羽を広げて一鳴きする鷺。刀を抜く男。そして、……

そして男は振り向きざまに女を斬った。その目に、青白い光が輝いている。

女の断末魔に、町人たちが集まってくる。

そこには、女の死骸と、二羽の青白い鷺。男の姿はどこにもなかった。

鷺たちは一声鳴くと、連れ添うように並んで飛び立った。

斬り殺された女の顔は苦悶に歪んではいるが、その細い腕の中に、血濡れた刀を抱いていた。まるで、愛しい男の腕に縋るかのように。逆袈裟の傷から溢れ出す血が、枯れ柳の根へと流れ込んでいく……。

いつからか、その柳が夜な夜な妖しく青白く光ると噂がたった。枯れていたはずの柳が生き生きと甦ったとも。

怖いもの見たさに集まる見物人たち。ここぞとばかりに商いを求め立ち並ぶ屋台。人間たちの喧騒を冷たく見下ろすようにして、青鷺が二羽、柳の枝にいつまでもとまっている。

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