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正しさの罠

ある料理研究家の方をフォローしている。
彼の作り出す少しだけお洒落な異国の郷土料理や、普段食卓を飾る事の多いメニューに
ひと工夫アレンジを加えたものが、
とても美味しそうで
更に毎日登場してくる飼い猫ちゃんが
とてつもなく可愛い。
そんなたまにタイムラインに流れてくる
写真達を私は楽しんで眺めていたのだけれど
ある日、1つの投稿のコメント欄のひと文が
目に付いた。

それは料理に使われている発酵バターに
ついて私と同じフォロワーからの
質問だった。
質問を投げかけられた彼は
はい。
と一言だけコメントを返していて
質問内容から私も、
あー自分で調べたらわかる事だもんなぁと
日頃からどんな量の質問にも丁寧に返信する
彼を少し気の毒に思った。
そのまま質問をスクロールしていくと

いつも思うのですが、
ご自分で調べたら一発でわかる事なのに
わざわざ質問する人ってなんなんでしょうね。
丁寧に返信している◯◯さん
本当にご苦労様です。

こんなコメントがあった。

今しがた全く同じ事を考えていた私も
これには何か違和感を覚えた。

彼だか彼女だかはわからないその人の
言っている事は確かに正しい。

だけれど、上の質問をした方の意図は
本当に自分でウィキペディアで調べたら
済む事だけだったのだろうか。

確かにネットで調べたら大抵の事は
わかる。
見た事も聞いた事もない物の事細かな
説明を読んで、その全てを知った様な気持ちに
なる時もある。

だけれど、その文字の羅列の中にある情報だけではわからない、実際に見て触って匂いを嗅いでみないとわからない
そんな事をもしかすると先程の質問をした人は
彼に聞いてみたかったのかもしれない。

そうだとしたら、私も一般的には
正しい事を言ったであろう後の質問者も
正しさという罠にはまって、
想像する事を忘れかけていたのかも
しれないなと思う。


#文章 #コラム #エッセイ #86

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