【エンディングテーマ】/amazarashiを妄想してみた
…あと、数時間…
いや、あと数分かもしれない。
「自分の命の終わりくらい、自分でわかる」とは言うものの、本当にそう感じることがあるとは思いもしなかった。
もう手足はおろか、指も、首も動かない。目だけは辛うじて少し動くくらいか。わたしにつながれている機械たちの音も聞こえるか聞こえないかくらいだ。周りには数名の人間がいるようだが、誰かは判別できない。
だが、頭はスッキリしている。何と表現したら良いのだろう。
これは、わたしの人生。いわば、わたしが主演の物語。いよいよ最期のエンドロールと行こうではないか。
「最期は走馬灯のように頭を駆け巡る」と言うが、今、わたしの頭にはそのような現象は起きてはいない。だが、せっかく最期なのだ。少し振り返ってみようか。
わたしは仕事にしてもプライベートにしても、失ってしまった事やものを後悔してばかりだった。クヨクヨする性格というのか、誰にでも好かれたいが故に誰にでも優しくあり続けた自負はある。悪く言えば八方美人。だが、実際には嫌われていたわけでもなく、本当に人間関係には恵まれ、わたし自身、他人を思いやる事や立場を考えて物事を考えていたのも事実だろう。
そんな性格からか、感情豊かに出会いや別れに一喜一憂し、特に別れについてはしばらく引きずるような性格だった様に感じる。
幼い頃、実家では犬を飼っていた。わたしが小さい頃からずっと一緒にいて後ろをついてきたり、一緒に寝たり、走ったり。わたしが実家を離れても帰省した時は嬉しそうに尻尾を振っていた。君はわたしを忘れなかったし、わたしも君を忘れた事はなかった。
人生で1番最初に別れを経験したのは君だった。
「別れがこんなに悲しいものならば、君と出会わなければよかった」
そう思わされるほど泣いた。
恋人ができた時も、別れた時も、毎年変わる会社の人事で人間が辞める時もそうだ。
「出会いさえしなければよかったのか…」
『手にする喜び』と『失う悲しみ』を天秤にかけるなど、馬鹿げた事なのだけれど。
毎日がずっと何かで満たされていたかった。満たされていないからこそ、「満たされていたい」という願う力が湧いてくるとでも言うべきか。空腹時の食欲のようにそれが当たり前かのように。
失い続ける事で、何かに必死になれる力が宿るのならば、失うという事に慣れなくてもいい。そう考えていた悲しい人間だったのだ。
…あぁ、偉そうな事を言って申し訳ない…。
わたしが本当に言いたかった事は、生きて、生きて、生きていきたかったのだ。
失うという感情に慣れる、感情を捨ててでも、それと引き換えにしてでも生きていきたかった。
わたしが大切な人を、大切な事を愛し続けていけたように、みんなの中で生きて、生きて、生き続けていたいのだ。
だが、今わかった。
失い続ける事で何かに必死になれる力が宿るとするのならば、「満たされていない」というのは幸せなのかもしれない。だとしたら、今のわたしはきっと幸せなんだろう。
なのに、心が痛い。涙が止まらない。
「満たされていない」からこそ、『手にする喜び』と『失う悲しみ』を分かち合う必要があり、それを追い求める事こそが幸せなのかもしれない。
わたしがこの目を閉じる時、エンドロールが流れ始めるのだろう。もちろん、主役はわたしであり、わたしの青春群像だ。
世話になった人達の名前がスタッフロールならば、何時間かかるかわからないスケールになってしまうな。そして、みんなそれぞれの日常に戻って、それぞれの毎日を過ごすのだろう。我ながら名作…とは言えないが、それなりの人生だったように感じる。
ふとした時に、わたしを思い出してほしい。
あなた方にも目を閉じる時がいずれ訪れる。その時もこのようなエンドロールが流れるのならば、わたしはきっと、脇役だろうな。少し寂しいけれど、それでいいんだ。
あなたがきっと、幸せだった証拠だから。
目の前に、『72』という数字が現れた。1秒毎に数字が減っていく…。これが、最期ということか。
あなた方の胸に焼き付いて消えないような、気の利いた言葉でも言いたいけれど、そんな事を考えていたら数字が『12』になっている。
もう時間か。
最期はやっぱり
「ありがとう」かな。
最期に思いついた事がこんな事だなんていうのは、ちょっと笑えてくるよな…。
笑えてるかな…?
真っ白な病室から見える空がとても青く見えた。
ちょっともったいないな。少しくらい曇ってた方がちょうどいいよな。窓の向こうでは、そろそろ桜が咲く季節なんだろうけどな。
わたしの最期を飾るにふさわしいエンドに流れるエンディングテーマは、こんなもんだろう。
※この物語はフィクションであり、人物名・団体名は実物ではありません。
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