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【短編小説】ぼくのうしろにはきみが立っている②

恐ろしいほど静かに自宅の玄関を開け、帰宅した。うしろを振り返って彼女に話しかける。

「まぁ…  入ってよ…」

なんて声をかけてみたものの彼女はもう玄関を超えて、ぼくの目の前の廊下に立っていた。

『おっじゃましまっーす』

なんて笑顔だ。ぼくは本当にインフルエンザになったのかと思ったくらい具合が悪かった。リビングへの扉を開けると、母親は帰ったぼくを心配そうに見つめていた。

「た、ただ、ただいま…」

上手くしゃべれない。ぼくの顔は何色なのだろう。どんな表情をしているのか、床を見つめ続けていたぼくは目線を上げ、母親の顔をそっと見上げてみる。

「大丈夫だった?かなちゃんは…?」

母親はおそるおそるぼくに聞いてきた。それはそうだろう。出かける前は死んだ魚のような目で出かけたはずなのだから。

「あ… あ…   全然元気!全然元気だった…!」

何を言ってるんだ、ぼくは。1週間前に亡くなったはずの彼女の自宅へ行ってきて、帰ってきた第一声が、元気だった。自分で言うのもなんだが、ぼくの発する言葉そのものがぼくを違う世界へ連れていってしまうかのようだ。とりあえず、落ち着くために部屋に戻ろうとする。

「あ…  コーヒーある?」

この空間を壊したかった。ぼくだけなのかもしれないがこの雰囲気をなんとかしたかった。なんとか落ち着かなくては。

「え… と、コーヒー飲む?」

ぼくは口を開いていた。

「お母さんはいいわよ」

これはまずい。彼女に話しかけていた。この雰囲気をなんとかしなくてはという緊張感からか、なんと彼女に質問していた。まず、目標をひとつ決めよう。部屋に戻る。これ以上の事は頭で考えてはいけない。

「う、上で少し休んでるから…」

コーヒーを受け取り、母親にはそのように伝えた。ぼくなりにクギを刺したつもりだ。部屋には来るな、と。階段を上がって自室へ戻る。玄関を開けた時の二の舞にならぬよう、意識してドアを開けた。今度はしっかりと彼女が部屋に入っていくのを確認した。来ていたジャケットを脱ぎ、ポケットに入っていた煙草をデスクにポンっと投げると同時に、ジャケットもクローゼットへ投げ入れる。

『雑』

彼女はベッドに腰掛けながらぼくの一連の動作に文句をつけてきた。未だに信じられないが、少なくとも母親にはかなが見えていなかったのは間違いない。ふぅ…っとまた一息つき彼女の文句に耳を傾けるかのように、投げ入れたジャケットをハンガーにかけ直す。ぼくはぐったりしながらデスクチェアーに腰を下ろす。やっと落ち着いたかと深呼吸をしながら彼女の顔を見ると、よろしい、みたいな満面な笑顔でクローゼットを見ている。

「なぁ…  なんなんだ?」

聞く事がありすぎて質問がまとまらないまま振り絞った言葉だった。それはそうだろう。死んだはずのかなが目の前にいる。死んだのは間違いない。母親にも見えていない。確か、公園でもそのような事を言っていた。ぼくの言葉は届いてる。そうだ。他の人の言葉は聞こえているのか。

『聞こえてるよ。あたしの事が見えるのは陽ちゃんだけで、あたしと話せるのも陽ちゃんだけ。でも、あたしはみんなの声が聞こえてる』

「心まで読めるのか?」

『そんなわけないじゃん。あたしだってなんでこんな事になってるかはわからないけど、陽ちゃんのそばにいるっていうのはあたしが決めたの』

「え……  なんで…?」

『迷惑なら帰るけど?』

「あ……  いや…」

少し前進した。要するにこうだ。ぼくにしか見えないし、ぼくとしか話せない。ぼくの目の前にいるから、うしろにしかいれないわけじゃない。心までは読めないし帰る事はできるけど、今は帰らない。背後霊ではない、という事か。

『あとはね、何かに触れる事はできないの。やっぱり幽霊みたいなイメージしてくれるとわかりやすいかも』

「そ…… そりゃ、どうもありがとう…」

どうリアクションを取ったらいいかわからないが、少し落ち着いてきたみたいだ。なぜ、こんな事が起きてるのかはすごく気になるが、とりあえず現実としてかながぼくの目の前にいる。正直、ホッとしている。

「かな、なんで死んじゃったんだよ…」

ぼくはまたもや天を仰ぐように天井を見つめながら、つい本音が溢れた。あの日、何があったのか知りたかった。知ったところでどうにもできないのは理解しているが、目の前にかながいることで聞いてしまった。

『そんなの…  あたしだってわかんないよ… 』

ハッとした。かなはベッドの上で体育座りして顔を覆うようにしてうずくまってしまった。しまった。慌ててイスから立ち上がり、ベッドの上のかなに近づく。

「あ…  ごめん!そうだよな!おれ…」

『うっそー! 事故だよ、事故。歩道に酔っ払いが運転してた車が突っ込んできたんだから』

両手を上に突き上げて、笑顔で舌を出しながらそう答える。泣かせてしまったかと思ったが、泣いてはいないようだ。

「いや… うそってゆーか、本当じゃん…」

と口から出そうなところを押さえて心の中で呟いたが、この時ばかりは本当に心まで読まれるんじゃなくてよかったと思った。

『でも、他の同僚も死んじゃったわけじゃないみたいだったからよかった』

なんて幽霊だ。優しいというか、ポジティブというか自分は死んでしまったのに、それでもなお同僚の事まで考えてるなんてぼくには到底考えられない。

『ねぇ、あたしを引いちゃった人、捕まったの?』

そういえば、かなが飲酒運転の事故で死んだのは知っていたけれど、その後、その事件については特に調べはしなかった。携帯でその事故について調べてみたけれど、かなを引いた直後に警察に捕まっていた。

「あぁ。あの後すぐに捕まってるみたいだな」

率直にホッとしたと同時に、飲酒運転が未だにあり続ける事に怒りすら覚えていた。かなの命を奪った飲酒運転という行為と、それを簡単に行なってしまう人間の神経にも。

『そっか。死に損じゃなかったんだね』

また笑顔でそんなこと言うから、ぼくはカッとなって、かなに言っても仕方のない事を怒鳴り出した。

「死に損?死んじまったんだぞ!損もなにもないじゃないか!飲酒運転にさえ出会わなければ… 飲酒運転さえなければ死ななかったかもしれなかったんだぞ!」

あまりの大声だったのか、リビングから母親がやってきた。階段をドシドシ走る音が聞こえる。自室のドアを開けて母親が叫ぶ。

「どうしたの?大丈夫?」

「何が?ドア開ける時は一声かけて、でしょ?」

あまりにも落ち着いた対応ができたためか、母親は不思議そうな顔をして、あんたじゃなかったのね、という顔をして1階へ戻っていった。たった一瞬でどっぷりと汗をかいていた。

「なるほど…  かなと話す時はだいぶ気をつけないと、本当に変態扱いされるかもしれない事がわかったよ…」

と、ぼくはため息ひとつついた。かなは笑顔でお腹をかかえて笑ってる。少し暗い話もしてしまったから、死ぬ前までの話や昔の話で明るい雰囲気を作った。ぼくはついに不思議な世界に足を踏み入れたのだ。

気づけば、夕方を過ぎていた。この1週間、引きこもりだったためか、ずいぶん話をした。かなも途切れなく会話をしてくれた。ぼくもたいぶリラックスできたのか、久しぶりに空腹を感じた。そこでひとつの疑問を感じた。

「幽霊は飯食わないのか?」

『お腹空かないし、そもそも物に触れられないからね』

なるほど。納得のいく幽霊論だった。そういえば、1週間もの間、ご飯も食べず、風呂にも入らずだったから夕食前に風呂でも入ってくるかな、なんて話をかなとしていた。

『はぁ?1週間もお風呂入らないでうちに来たの?』

なんだ。この軽蔑の眼差しは。まぁ、それも自分が招いた事ではあるし、今日は風呂にでも入って明日は仕事にも行かなきゃいけない。

「風呂入って、ご飯食ってくるわ」

『はーい』

と、まるでメールみたいな会話をして、ぼくは自室を出てリビングのある1階へ向かった。母親には夕食を食べる事を伝えて、風呂に入る事を伝えた。母親は嬉しそうにしながら涙を流していた。

脱衣所で自分の顔を見てみる。落ち着いたとはいえ、複雑な気分だ。今朝まではボサボサだった、応急処置をしただけの頭をグシャグシャっとかき回し、あぁ、もう、と心の中で思いながら来ていたトレーナーを脱ぐ。

『あの…  ね?』

「なんだよ」

脱ぎ始めたトレーナーが頭を覆った時だった。今、何が起きたのか理解するまでに時間はかからなかった。トレーナーを脱ぎ終えてうしろを振り向く。もちろん、かながいる。

「……。(なんでいるの…?)」

口をパクパクさせながら無音で、彼女の足元に人差し指を振りながら質問した。

『あたしも今わかったんだけど、陽ちゃんのそばにしかいれないみたい…。ここからうしろに下がれない… かな…』

顔を斜めに傾けて笑ってる幽霊が目の前にいる。浴室の扉から脱衣所の扉くらいまで間、2mくらいの間隔しかないじゃないか。

最悪だ。今、ぼくは彼女の前で裸にならないといけないわけだ。カップルならまだしも、なかなかない光景であって、そもそもぼくは人生で風呂に入る瞬間を女性に見られた事はない。ぼくはまたもや、今度は彼女の顔に向かって人差し指を振る。あっちを向いてろ、と。

『(はーい)』

声は出さなかったが、彼女は確実にそう言いながら右手を顔の横に上げ、うしろを向いた。ぼくはそれを確認してすごいスピードで服を脱ぎ、浴室へ逃げ込んでいった。

久しぶりのシャワーを浴びているはずなのに、なんて心地の悪い気分だ。2mくらいしか離れられない。そんなバカな。不気味で気持ち悪い、そう思っているわけではない。毎回風呂に入る時はこうなるのかとか、トイレはどうすればいい、とかそんな事ばかり考えながらの浴室タイムだった。

手早く浴室から出ようと思ったが、まずは扉を少し開けて左腕を出し人差し指を出して、また振る。そして、顔だけを出してみると、かなはしっかり向こうを向いていた。タオルで体を拭き、ジャージに着替える。タオルで頭を覆いながら、かなの方をチラッと見てみる。彼女は親指を立てて、OKポーズを取っている。髪を乾かしているのか、言葉にならない思いをぶつけているのか、ぼくはタオルで頭を激しく拭き始めた。

脱衣所から出てリビングに戻ったぼくは、母親に対しての動揺を隠すようにソファーに腰掛け、バスタオルで顔を覆った。

『おつかれさまでした』

かなはまたもや笑顔でそう言う。そのタイミングで母親からも話しかけられる。

「ご飯、食べるんだよね…?」

「あぁ」

ナイス、母さん。右手を上げながらぼくはそう答えた。返事も右手もかなと母親に対して返事したつもりだ。

そんな応対から少しして夕食の支度ができたようで、食卓テーブルへ移る。久しぶりの食事だ。毎日食べていた母親の料理も1週間ぶりに見ると豪華に見える。最初の一口目は最高に美味しかった。ソファーの背もたれに腰掛けながら笑顔の彼女の視線を除けば。

「1週間ぶりね。どう?少しは落ち着いた?」

母親が話しかけてきた。ぼくが1週間ぶりに夕食を取っているのを安心しているようだった。

「うん…。そうだね。かなの家に行けてよかったよ」

とぼくは返した。母親は少し笑みを浮かべて、それ以上はなにも語らなかった。あともうひとつ会話をした。

「明日から仕事に行くのかい?」

「あぁ。もう休んでられないし、会社からも連絡きてたからね」

ぼくは母親にそう返事をしたのと同時に、金縛りにあったかのように体が固まった。明日から仕事だ。2mしか離れられないだって?

かなの方に視線を移す。かなはテレビを見て笑っている。ぼくは箸を落とした。カオスだ。

リビングには笑い声と箸の転がる音だけが鳴り響いていた。

【③へ続く】


※この物語はフィクションです。登場する人物名・地域・団体名は関係ありません。












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