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School Hunting: vol.1 決意

僕は水泳部で選手をしつつ渉外という役職についていました。いわゆる、スカウトです。はじめは大変な仕事だと思っていたのですが、次第に自分が勧誘した選手が自分のチームのユニフォームを着て活躍する姿を想像すると、ワクワクしてきました。自分にとって非常にやりがいのある仕事でした。自分が選手の心を動かせたかどうかはわかりません。しかし、もしかすると自分が声をかけなければ、今うちの水泳部にはいない選手がいたかもしれません。彼らが自分達のチームに入ってきたことを、後悔させるようなことはもちろんしたくありません。そのため出来る限りのサポートがしたいと感じ、4年のときにはチームのマネージャーも経験しました。

このような過程もあり「自分が一番やりたい事は何なのか?」と考え、それはスポーツエージェントになって選手のサポートをすることだと思ったのです。それで、やはりスポーツマネジメントの本場であるアメリカに留学したいと思いました。もちろんアメリカが絶対だとは思っていませんし日本にいても学べる事はあると思います。しかし、日本にはまだスポーツマネジメントという分野の土壌が肥えておらず、近年急速に開拓され始めた分野だと思います。昨年のプロ野球の球団合併及び新規参入などでスポーツマネジメントの必要性が持ち上がり始めると共に、その遅れが指摘されました。こういうことを目の当たりにすると、アメリカから少しでも良いところを取り入れたいと思うのです。

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大学に入学した時点では、まさか自分がこのような道に進むとは夢にも思っていませんでした。夢にも・・・というのは言い過ぎかもしれません。しかし「スポーツエージェント」という職業に対しての知識も無ければ認識すらありませんでした。知っていたことと言えば、トム・クルーズが演じていた「Jerry Maguire」くらいです。

しかし、何かスポーツに関わる仕事に就きたいという考えはあったと思います。それが当時は、教員という職業でした。学校の先生、そして水泳部の顧問になって選手を育てようと考えていました。

僕は教育学部の中でも、英語英文学科に所属していたこともあり少なからず「留学願望」を持っていました。しかし兼ねてから「どうせ留学するなら語学留学のみではなく、しっかりと目的を持って勉強しに行きたい」と考えていたのも事実です。(*注 語学留学を否定しているわけではありません)

初めは学内の交換留学制度を利用しての留学も考えていたのですが、大学2年生の頃にはインカレにも出場できるようになり、更には渉外という役職を勤めているという責任もあり諦めました。留学するより、水泳部での経験を全うしたかったのです。そして留学するのであれば、「卒業してからしかないな」と考え始めました。

しかし先に述べたような経験を通し、新たな道を目指し始めました。しかし方向転換するにも教育学部という学部のため、スポーツ関連の授業はほとんどといっていいほどありません。しかし幸か不幸か早稲田大学にスポーツ科学部という学部が2003年度に開設されました。ちょうどこの学部が出来た頃、僕の中で「スポーツマネジメント留学」という具体案が浮かんできました。何故なら「スポーツ経営学」という学問があること自体、この頃知ったからです。ですから、この留学を決意したのは2年生の終わり頃です。

で、どうせ大学を卒業していくのであれば、思い切って大学院で学んだ方がためになるだろうと考え始めたのです。3年生の夏までは、インカレや渉外の業務などが忙しく、思うように事が進みませんでした。自分の勧誘した選手達の受験が終了し、ようやく自分の将来のことを考える時間がとれました。本来ならば、ちょうど就職活動が始まる時期です。案の定、周りの友達が就活を始めると「自分は果たしてこんなことをしていて大丈夫なのだろうか?」と不安に思うことがありました。しかし自分が選んだ道だし、「確固たる信念があれば絶対に大丈夫」と自分に言い聞かせ、「留学活動」を開始しました。

(注:2005年留学当時の記録です)

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