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若者よ、「選挙に出よう!」あるいは、仲間から出そう! 産経新聞から都知事選でコメントを求められたときに思ったこと

都知事選から1週間、永田町は野党の不振もあって、次に来る衆院選が取りざたされている。曰く、コロナ禍は現職有利、与党有利ということらしいが、一方野党や野党の支援者には、あまりの結果に一部に無力感があるという。ただ、都知事選は悲観材料ばかりではなかった。そのひとつが、泡沫候補と言われる組織や知名度がない候補者が史上最も多く出たという事実である。ちゃんと都政を考えているのか甚だ疑問という候補者もいるが、まじめに地域や社会課題に取り組んでいる人もいる。「泡沫=売名狙い」と一概に言えないし、
泡沫と呼ばれる「地盤、看板、鞄」なし候補が広がることはポジティブな意味もあるのだった。

そもそも都知事選に出ると、いいことがあるのだろうか?
都知事選のような注目される選挙の場合、有力候補とは扱いが違うが、それでもメディアなどが取り上げるし、選挙公報や政見放送にも利用できる。確かに、出馬には高額な供託金が必要で選挙結果次第では没収されるリスクがある。しかし、そのリスクを前提としても、考え方によっては、ありなのである。
都知事選を知名度を上げるメディア投資とみた場合、有権者1100万人に配られる選挙公報だけでも供託金ではペイできない効果がある。また、知名度ばかりではない。なんらかの社会的なメッセージや社会的活動を行っている場合、活動への共感を集めることも可能だ。活動の理解者を増やし、時には寄付などをしてくれる支援者と出会えるかもしれない。
ブランド経営の中で重要な目標のひとつは、コアなファンを形成することだが、共感を持つ支持者を獲得することは持続的な経営では重要なのだが、そういう観点からも都知事選出馬は効果的だ。

社会的メッセージが絆を強くする
以前は選挙に出る、そして落選するということは、メリットどころか社会的ダメージの方が大きかった。しかし、今は市民の出馬を社会的に許容する層が広がっている。また、ネット空間であるが、政治的発信の許容度は広がっている。社会的メッセージ発信への関心と共感は以前に比べれば、広がっている。もちろん、内容にもよるわけだが。
その点からみると、都知事選のようなブランド選挙では、選挙を通して何を生みだすのか?その目標の持ち方によって、出馬はありだし、不幸にも落選してもそうだ。但し、共感を集めるための覚悟と真摯な姿勢がないと無理だが。
選挙をそのように「活用」することは、選挙を冒涜するとか、売名行為だとして批判するのではなく、もっと前向きにみてもいい。
社会的メッセージやプロジェクトを抱えていることが前提になるが、そういう人間にとっては、選挙は活動の水準をあげるジャンピングボードである。
候補者も選挙を通して成長する面も多い。今は未熟なメッセージや活動でしか思いを表現できないでも、将来は地域の政治家として、あるいは、政治家でなくても、社会活動家として意義ある活動をうみだすかもしれない。
そして、一番の意義は、多くの普通の市民が選挙や政治を身近に考えるきっかけになれば、という点だ。
投票率が相対的に低い若い世代に政治や選挙に関心を持ってもらうことは極めて緊急性が高い課題だ。既存の政党や大組織の目線で候補者や公約を決めていることが若い世代が関心を持たない理由かもしれない。例えば、学費全額補助と学生アルバイト休業フル給付というメッセージをシングルイッシューにした若い世代の候補者がでたら、一定の共感を若い世代から集めることは可能ではないか?
そういう割り切り一つにしても今の既存政党が選ぶ候補者では難しい。
選挙に新しい新鮮な風がもっと吹いていい。


https://www.sankei.com/politics/news/200705/plt2007050014-n1.html

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