母みたいになるまいと思って生きてきた

私はフェミニストだ

でもそれと同時にミソジニストでもあると、なんとなく知っていた

私が憤るのは、人間として扱われていないとき、というよりむしろ、「バカな女」として扱われていると感じるときだった

女っぽいと思われるのが嫌だった

女だからバカだと思われることも、女だからつまんねーと思われることも、女だから中途半端にしか勉強しないし、創造力もないし、クリエイティブなこともできない、そういうふうに見られるのが心底屈辱的だった

一般的な女、という枠に入れられたくなくて、女性向けのコンテンツより男性が好きなコンテンツを好み、男みたいな話し方をした

だけど、私の中にある怒りは、「女だからと不当に評価されること」だけではなく、

「バカな女と同じように見られること」から来ていると、うっすら気づいていた


はじまりは母親だった


母はいつだって父親の仕事の失敗を嘆いた

父に妄信的についていった結果事業が失敗して家族が路頭に迷ったことも

父親の予想が外れて仕事がうまく行かないことも

父親が話が通じないことも全部

「お父さんを信じてついてきた私は可哀想だ」

と言って泣いた


母を助けたかったし、母を幸せにしたいと思って、こういう家庭の人間を助けられるような仕事がしたい、誰かを救えるほど強い人間になりたいと思って生きてきた


だけど同時に、いつのまにか母に対する蔑みの感情が生まれていた


女だから自分で決断もせず、自分の人生の責任を他人に転嫁して、思考し判断する苦しみと向き合わずずっと被害者でいようとする


私はいつの間にか、こうはなるまいと思って生きてきた


英語が話せるようになりたいとずっとラジオで勉強し続ける割に一向に話せるようにならない母


イギリスに行く夢があるのに父に連れて行ってもらえなかったことをずっと恨んでいる母


専業主婦になるために仕事を辞めてしまったことで自分だけでは生きていけないことをずっと後悔している母


辛く苦しかったとき一家で心中しようとした話をして、自分がいかに可哀想か、で相手をコントロールしようとする母


今となって私は母自身のつらさや努力や、時代の違いや、環境の違いを少しだけ理解して、感謝しているが


いまだに思春期に芽生えた蔑みの感情は時々顔を出す


母が習得できなかった英語を死ぬ気でものにしようとあらゆる手を使って練習した

勉強ができなかったからと言い訳がしたくなくて、浪人してまでそこそこの大学に入った

子育てを趣味にしたくなくて、習い事に通い続けた

努力できない人間になりたくなくて、鬱病を患うほど勉強した


母は私を「あなたは私と違って努力できる人だし、創作の才能もある人だ、尊敬している」という




違うんだ

私は本当は...



私が母に対して蔑みの感情を持ってきたことも、母自身の持つ性質を「女の特徴」と変換して嫌悪したことも、本当は私自身ではなく、女とはそういうものだという社会が作り上げた虚像だったんだと思う

だって本当は、母はいつも私を見守っていた
母はいつも一生懸命で、私達姉妹のためになることなら何でもした
母はいつも辛そうだったけど、私達が冗談を言えばよく笑い、私達が落ち込めば真っ先に励ましてくれた

私が母みたいになるまいと自分を縛ってもがいていたとき、支えてくれたのは母だった


女性に対する差別を生み出した社会は、私の周りだけじゃなく、私の中にすでに棲み着いていたんだろう



社会を変えることは、私の、私達の中にある、「女らしさ」に対する嫌悪という呪縛からの開放でもある


フェミニズムとは、そういう運動だと思っている

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