イン・ザ・ファストフード・チェーン

   * * *

 郊外のファストフード店には、クリーンな時間が流れている。
 平日、昼下がりの時間帯は、子供づれの家族客が全体の六割を占め、残りの四割は年配客やおそらくは学生と思われる若者たちによって埋められている。多くは馴染みの常連客だ。店員たちの快活な声と子供たちの素っ頓狂な叫び声が、店内にひしめくほかの雑多な音を絶えずかき消している。この時刻に近づくと、まるでつくりもののように歯車がぴったりとはまった時間が徐々に機能しはじめる。
 彼は夜中の零時過ぎ、客が数人しかいない時間帯に来店するのがつねだった。そのほとんどは、受験生か仕事帰りのサラリーマンで、皆、ひたすらテーブルにかじりつき、もくもくとなにかの作業に没頭している。この時間ともなれば、昼間の喧騒とは打って変わって、静かな時間が店内に流れだす。
 けれども、この日はめずらしく、彼は午後四時ごろにひとり店にやってきて、いつもの窓際の席についた。ここが彼の指定席だった。
 数分後、周りの客たちが間をおきつつ退席しはじめた。一時間もしないうちに、彼の周囲には即席のフレームが組み立てられた。
 異様な光景が広がった。ガラス張りの店内を均一に隙間なく照らす自然光が、その空間の異様さとビザールなコントラストをなしていた。彼の周囲のほかは、たわいもない会話を交わす客たちで満たされ、その箇所だけが彼らの日常から切り離された不可侵の領域と化したかのようだった。客たちは彼を必死に見ないようにどこか努めている様子だった。子供たちだけが時おり彼に怪訝な眼差しを注いでいた。その光景は、無言のうちに「異物を排除せよ」と騒ぎたてる声そのものだった。
 彼にほかの客たちを困惑させる行動は何ひとつなかった。彼はほかの客たちと同じように商品を注文し、なにもせず、どこを見るともなく、ただまっすぐに前だけを見てそこに座っていた。
 ただひとつ違っていたのは、彼の顔下半分が通常の二倍近く肥大していたことだ。鼻から下の皮膚は、まるで空気の抜けたサッカーボールを吊るしたかのように垂れ下がり、顔の上半分が人間のかたちをどうにかとどめているにすぎなかった。
 フランシス・ベーコンのペインティングみたいだな、とぼくは不用意に思う。
 その、彼の来店と同時に一斉に働きだした浄化作用は、彼をフレームのなかに隔離するばかりか、そのなかに閉じこもることすら彼に許さなかった。彼もまた、半時もしないうちに席を後にした。
 郊外のファストフード店に、正常化したいつものクリーンな時間がふたたび流れはじめた——抽象絵画のようなフレームだけをそこに残して。

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