シュウキョーのあんまり大きな声では言えない話。

わが家はどうも過去世でカトリック関係者が多くて
今世ではその間違いに気づくための人生を送っているらしい。


そこで今までに気づいた間違いを書いてみる。


1,人間は生まれた時から「原罪」といって罪人で罪にまみれて生まれてくる。本来人間は罪人であるという教え。(ついでに言えばその罪の代償として死があるという考え方)


2,だからたった一人の神の子であるイエス・キリストを通さないと救われることはない。イエスの磔刑は自分の罪を身代わりに受けて下さったということだから、それを受け入れ(=洗礼)自分はもう許されているのだと信じ感謝することをこの宗教では信仰という。



3,イエスの磔刑はそのように人類愛に満ちた尊いものなのだから、神とイエスを愛するなら私たちもそれに習って積極的に自己犠牲を払うべきである。そう言う人を神は愛して下さるという考え方。聖書にある以下の言葉は計り知れない影響を世界に与えている。【人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない】



この3つの毒により引き起こされる魂的なブロックは、転生を超えても引き継がれるらしく、気づくまで大変な人生を送ることになるぅ~~~(-_-;)だって当事者は毒だなんて思ってもいないんだから。

特に3番目なんかはディズニーアニメにも色濃く反映されていたりする。例えば「ヘラクレス」では主人公が愛する人のために死の川に飛び込み克服するというシーンがあるが、あれは丸ごと磔刑のなぞりだし、「アナ雪」でもアナが姉のために氷の柱になるところなど、どちらも自己犠牲の尊さそして美しさに重きが置かれていることが分かる。どちらも好きなアニメだけど、自己犠牲という切り口では、私たちはこんなところからも欧米の価値観の影響を受け、知らず知らずに洗脳されているのではないかな?と危惧したりする。

私もこのあたりでは随分と苦労したものだ。アニメなら良いけれど、実生活でしようとするからだ。そうすると自己犠牲をしなければいけないような環境に生まれたりそう言う現実を引き寄せたりすることになるのだ。そしてそれは当然苦しみというものを味わうという結果を刈り取る。


一見尊いこととされていることに殉じて生きていると「これは苦しいんだ。イヤなんだ。」という自分の本当の感覚すら分からなくなるものだ。
やっとその間違いに気づいた今では、自分が幸せになること、自分を幸せにしてあげること💗それが本当の宇宙が望んでいることだと知っている🥰

「毒」とかはっきり書いてしまって世界三大宗教の一つを敵に回すことになるので、現役の信者さんなんかにうっかり読まれたら大変なことになるから、自分の気付きを書き留めシェアするという意味でいったんアップするけれども、期間限定で予告なく削除させていただきます<(_ _)>


偏った信仰ほど怖いものはない。これは自分自身の実感です。



2番についてのエピソード。
昔の日本に初めてキリスト教が伝来した時、宣教師が上の項目の1,2のような話をした。すると当時の日本人たちが以下のような事を質問した「言っていることは分かった。わかったけれども、私たちが仮に信仰を持ったとして、私たちの先祖たち、つまりイエスのことを知らない人たちは救われることはないのか?」と。

宣教師は「その通りだ」と答えた。

日本人たちは「あなた方の神は随分と狭量な方なのだな😳😊」といって余裕で退けた。と、そういう逸話があります。


日本人は本当に賢い民族ですね。


とはいつつ、私の父方の先祖は五島列島の福江島なので、もろに隠れキリシタンの血が私には入っています。そのこともあって今世では「信仰」的な家庭に生まれ、とても苦労してきました。だからこそ人一倍日本人的な感性の素晴らしさが身に染みて感じられています。


同時に沖縄のユタ的な血も入っているようで、それはキリシタンとは相いれないもの。相いれないこの二つの遺伝子のせいで、これまたとても混乱し苦労しました。私の霊媒体質の原因にもなっています。


一方で母方の先祖は神道の神主だったりもしますので、もうシューキョーごった煮のカオス状態です~😓💦



これからの時代はもうそういったものではなく、一人一人が本当の自分自身と繋がって喜びから現実を創造していくフェーズに入っていくと思うので、早く清算して卒業していきたいなと思っています。


新しい地球に宗教はもうありません✨

源と繋がって喜びを生きる時代がやってきますよ💖

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