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物語作品に対する満足感と達成感

 note始めて一か月ちょいですが、こんな抽象的なものを取り上げて記事書くのは初めてですな。最初はツイート程度にして、記事にするつもりなかったんですけど、なんか考えてたらどんどん膨れ上がってきちゃって。折角だし、まとめておこうと思い、書き始めてるって感じです。

 「満足感と達成感」ここ数年くらいかな、自分の中で色々と引っかかってた、考える機会がちょこちょこあったんですけど、つい先日クリアしたPCゲーム(この一つ前の記事)が良すぎてですね、久々にすんごい満足感を得られてしまい、これが大きなきっかけになりました。

 

 で早速なんですけど、
まず、満足感と達成感って似てるようで大分違う、というか自分の中では、満足感の一部として達成感があると思ってます。何かをやり切った、成し遂げたっていう達成感がそのまま満足感として大きくなる場合がほとんど。
 んで、今回の記事ではこの2つのバランスについて書いていきたいと思ってます。

 自分は、アニメやゲーム、漫画に小説、映画、音声、音楽ライブもかな、いわゆる物語を提示してくれるものにほぼ毎日のように触れているんですけど、この物語から得られるもの、感じるものに満足感と達成感が大きくあって。ここ数年、これが良くも悪くも自分に大分影響を与えてきてるっていう経験がいくつかありました。

 それで先述した通り、つい先日も大きな満足感を久々に感じてその余韻に浸っているところです。この満足感を定期的に味わえたら、人生豊かになるよなぁ、なんて考えながら。
 大きな満足感って、どのレベル?って話なんですけど、しばらくずっとそのことが頭から離れない、何か自分の中で価値観が変わった、物語の内容を死ぬまで絶対に忘れないで残しておきたい、ってレベルです。楽しかった、面白かった、みたいな瞬間的なものっていうより、永続的なもの。このレベルの満足感を物語から得るのって、簡単じゃないし、傲慢とも思えるんですけど、自分は物語にこれを求めてしまっている節が結構あって。好きな物語作品もほぼこれに当てはまる。(何で?って話をすると、かなり脱線しそうなんで、これはまた機会があれば別で記事書きます)
 んで、このレベルの満足感を求めているけれど、これが得られないときに別で得られてるものって何か考えた時に達成感が多くを占めてると思って。アニメを1クール見終わった、ゲームをクリアした、小説を読み切った、みたいな達成感。そして、この達成感が満足感にまで膨らむ場合とそうでない場合、この違いは何だろう、どういうバランスになってるんだろう、っていうのを自分なりにちゃんと考えてみた次第です。これが整理できたら、ちょっと作品との向き合い方も変わるのかなぁ、とも思ったので。

 個人的には一番触れる機会が多い、アニメを例に挙げると、1クール見終わったっていう達成感は多くの人がほぼほぼ感じると思うんです。一方、満足感なんですけど、これが作品によって当たり前だけど、大分バラつきがある。全く満足感がない訳ではないので、悪いとまでは言わないけれど、ある話数とか、あるキャラに対してとか、ある要素に対してしか満足感が掛かってこなかった場合に、達成感の方が割合として多くを占めてしまう。このパターンが1クールに1、2作品はあって、数年引っかかってたんです。
 達成感ってプラスなイメージが大きいと思うんですけど、マイナスイメージも少なからずあって、簡単に云うと、目標(ノルマ)を達成したという解放感が表現としては近い。このノルマが悪さをしていると思ってて、ノルマって自分で決める場合と、自分以外の人や環境に決めさせられる場合の二通りしかないと思うんです。

 前者の場合は、自分の興味・関心・意欲からくるもので、それらをノルマとすると、達成した際にそれに相応しい見返りのようなものが得られていれば上手く満足感に膨らんでいくのかなと思ってます。先が知りたかった、見終えたら何か影響を与えてくれそうだった、目や耳の肥やしになると思った、視聴前の想いは人それぞれで自分も少なからず視聴したい理由(ノルマ)みたいなのがあって視聴しています。けど、これが段々削がれていく時がある。作品に対するモチベーションが維持できなくなってくる時です。アニメに限らずだけど、作品に対するモチベーションは作品と向き合う上で一番大事だと自分は今迄ずっと思っていて、これが無くなった時点でもう惰性なんです。時間の無駄。もうそこでストップした方がいい。作品に対しても失礼だし、自分に対しても何もメリットないから。
 話が少し逸れました。で、そのモチベーションがゼロではないんだけど、低い時ってストレスとか疲労感を少なからず感じてしまって、それがそのままノルマと一緒に引きずってしまうと達成感という名の解放感に変わってしまうのかなって。やっと手放すことができたっていう解放感に浸るの、あんまし良くないですよね。だって、この場合ノルマを自分が好きで決めたはずなのに、それを拒んでるみたいで。軽く矛盾してます。

 後者の場合は、簡単にいうと時間や話数のこと。アニメだと1クール12話か13話構成だと思うんですけど、これがそのままノルマになってる。意識しなくても。終わりが見えてしまっている。放送日時に縛られてしまっている。そういう部分が自分では思ってなくても(思いたくない)やっぱり少なからず無意識下であるんだろうなって。予め決められているこの到達地点(ノルマ)に向かって走り続けるっていう、大事なことだと思うし、テンションが上がる場合もあるから全てが悪いとは全然思わない。あと1話しかない!終わりたくない!っていうときは、他者に決められたノルマを拒んでいて自分でノルマを課そうとしているので良いパターン。やっと残り1話まで来たよ…はよ終わろ。っていうときは、他者に決められたノルマを受け入れて、早くに解放を求めている悪いパターン。
 作品と向き合い始める時、既に終わりが見えている作品だと尚更この後者の場合っていうのは関係してきてしまう。アニメ1話自体だったり、映画やゲームだったりなんかは作品との向き合い初め、向き合っている最中に終わりが見えてないと思うので、考えなくていいですね。時間を忘れている瞬間ってやっぱり貴重というか、尊い。理想はずっとこれよ。

 

 アニメの場合はこの両者が大きくかかわってくるので、ここで一回、整理してまとめてみます。

①高いモチベーション維持により、次第に作品に掛かっているノルマを意識しなくなり、最終的にノルマの達成(感)云々よりも、それが膨らんでできた大きな満足感を得られて嬉しい気持ちになるパターン。
②モチベーションの低下により、次第に作品に掛かっているノルマを意識してしまい、最終的に満足感よりも疲労からの解放感(達成感)が勝ってしまうという、残念な気持ちになるパターン。

 大きく分けてこの2パターンな気がする、っていうことを言いたかったです。大きくですよ、大きく。大雑把に。
 ①のパターンでも達成感を十分に感じるときはありますし、②のパターンだって、別に満足感だったり、他のプラスの感情が無いわけではないので、どっちかって言ったらぐらいで捉えていただければ。


 で、こっからはおまけというか、更に少し踏み込んだお話です。
①のパターンについてなんですけど、このパターンの時にじゃあ解放感はないのか?って話にも振れると思うんですけど、このパターンの時は解放感ではなく、虚無感に襲われる時が多いんです。そういう経験が何回かあって。めちゃくちゃ満足して、その後です。映画を見終わった後とか、すんごい長尺のPCゲームのED後とか、ライブ終わった時とかもたまにある。ここ最近だと、昨年プレイした「さくら、もゆ。」っていうPCゲームがもうヤバくって。人生観変わるほどの衝撃だったんです。おすすめです(宣伝)。
 こういうのって、全部その作品世界に気持ちが完全に入り込んじゃってる時によく起こると思います。なので、自分がどれだけ熱中していたか、どれだけ自分の一部になっていたかだと思うんです。内容そのものよりも“重ねてきた時間”に対して掛かってくるのが多い。虚無感に襲われると、それだけ作品と自分とが一緒に重ねてきた時間を手放したくない!ってもがきたくなりません?いわゆる、余韻にずっと浸りたくなるやつです。現実世界に戻りたくない!ってなるやつ。しばらく作品の音楽聴いてたりとか、気づいたらそのこと考えたりとか、定期的に繰り返し好きなシーン見ちゃうこととか。
 ②の解放感の場合はこれが起きないと思うんです。やっと解放されたのに、わざわざまた作品世界に飛び込まないでしょう。なので、満足後の反動の違いが①と②のパターンでは大分違う気がします。ただ、①のパターンでも全部が全部、虚無感に襲われるってことはない。繰り返しになるけど、本当に自分の一部のようになっている時、時間を忘れるくらい熱中していた時間が長い時、によく起こるかなぁと。あと、虚無感ってどちらかというとマイナスイメージがあるかもですが、それを埋めようとするもがきまで含めて虚無感とすれば、僕は良いことだと思ってます。結構好きかもしれない。
 満足した後に、虚無感に襲われずに、それを糧に、活力にする時もあるし、何ならそういう活力と虚無感両方の時もある。その時の自分の心理状態や作品内容によりけりですね。


 そろそろまとめを…。思ってたより長くなってしまった。書いてる内にあれもこれも、どんどん膨らんできちゃうの悪い癖(かも)。
 勘違いされるかもなんで、言っておくと、これ①の②どっちのパターンに割り振りたいとか、②だとそれはもう悪い作品だとか、そういうことではないです。自分がただ満足感不足の時に起きてた現象は何なのか、気持ちの状態を言葉として整理しておきたかっただけです(自己満)。これまでもこういう内容について考えたことある方は結構いるんじゃないかと思いますし、もっと他の意見も沢山あると思います。そこはみんなバラバラでも、それはそれで面白いですし。あくまで僕自身が経験に基づいて考えてみた1つの意見として受け取っていただければ幸いです。

 結局、ノルマがあるとわかってはいても、物語の内容は踏み込んでみないとわからない部分が絶対にあると思うし、実際に自分の感性がどう反応するかはその瞬間まで絶対にわからない。経験が増えて事前情報だけで、ある程度は自分の感性に合うか合わないかとかを判断できるようになったとしても。なので、時間が許す限り、多くの物語作品にこれからも触れていきたいなぁと思う次第です(まじで時間が足りないんよ)。それに、物語性があんましない作品も勿論好きだし。ギャグとか癒しも日々の生活には重要です(笑)

 ってことで、”物語作品に対する満足感と達成感” でした!こういう抽象的なこと書くの得意ではないんですけど、何とか書き上げれた…。論理的に説明できてるかしら…。ここまでお読みくださった方ありがとうございます。またこういうこと書きたくなったら書くかもです。

ではまた!


 

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