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神さまだった。③


我が家では、父や祖母の話題などは
決して口にしない日々が当たり前になっていた。

彼らの名前そのものも
NGワードになりつつあったが
そういうところにもズンズン入り込んできた。

ズンズン。
Pくんはズンズン、だった。

ものすごい入り込んでくるけど
無邪気だから
嫌な気持ちはしない。 
ただ、戸惑ってはいた。

なんでお父さんは亡くなったの?
なんでさくらと弟は仲悪いの?
なんで家族で仲良くしないの?
なんで?なんで?なんで?

面食らった。
すごいな、ズンズンだな、と。

だけど、かなり救われた。

家族全員に対して
彼はそんな調子だった。

やがて、全員バラバラだった家族が
なんだか話をするようになった。

彼のおかげで、家族の仲が
良くなっていった。 

みんな、元気になっていった。

明らかに傷だらけで
手当てが必要な家族ひとりひとり。

放っておけなかったんだと思う。
見過ごせなかったんだと思う。彼は。

誰ひとり、たすけてが言えない人達。
助けが必要なのに。

彼は母の肩を、誇張なしに
何時間でも揉んであげたり

弟の話を何時間でも聴いてあげたり

その優しさにひとりひとり
心がやわらいでいった。

墓場のように寒々しかった家が
家庭、という名前に近づいた。

彼の優しさ、正直さに面食らいつつも
自分でも知らなかった自分を
どんどん知るようになっていった。

彼といると、素直な気持ちを
ひん剥かれてしまった。 
子どもになれた。
自分って生きてもいいのかも。と思えた。

それは、わたしだけではなかったはず。
弟も母も、きっとそうだった。

わたしはPくんといると
ばあちゃんといるときと似た
何かを感じていた。

それは、ばあちゃんが住んでいた場所と
Pくんの生まれ育った場所が
同じだから似ているのかな。なんて。

Pくんに対しての感情は
恋、とかとは違った。
憧れの先輩、というか。

不思議な人だったし
不思議な存在だと感じていた。

それ以前に、当時はじめてできた
彼氏に夢中になっており
Pくんのことを
異性として思って見たことはなかった。

不思議な、何か異国の人との
交流のように感じていた。

好きなら好き。嫌いなら嫌い。
良いものは良い。
俺は俺。人は人。

こんな人、周りにいなかった。
見たことがなかった。


この頃は、
大好きな友達、大好きな彼氏がいて
浮かれまくっていた。
毎日が最高潮だった。


Pくんとはいつも一緒にいた。
学校の授業も、放課後も。
彼の優しさに触れていくと
自分のやわらかな優しさにも気づいていった。

わたしは弟を可愛いと思えるようになり、
その感情を認めると同時に
これまで弟を大事にできなかった自分が
恐ろしくなった。 

その感情をどうやって
取り扱ったら良いのかわからなかった。

弟に対して当たり前に抱えていた
嫉妬や疎ましさや、汚い気持ち。

そんなものをごく当たり前に
抱えていたことが怖くなって

それらを抱えていた手を解いて
それらを放るように手放して
ガシャンと地面に放つようにしても

まるで染み付いた汚れが取れない。
汚い、汚れた手。罪悪感。因果応報。

その、胸を責めるものを
却って原動力にするしかなかった。

いろいろな気持ちは生ずれど
母に対しても、同じように素直な気持ちを 
感じられるようになっていった。

たけど、やはり家族のことで 
わたしはいつも悩んでいた。

Pくんはその悩みをいつも聴いてくれた。

そんなある時
わたしはお母さんに手紙を書いた。

わたしは言いたいことは
手紙で伝えるパターンの人間だった。
母から受け継いだのかも。

言いたくても言えないことでも、
手紙でなら言える、というような。

母へ書いた手紙。

ありがとう、の意味は
いろいろあるのですが
感謝の気持ちを伝えたい

涙はあまり、できるだけ
見たくないのに
わかってるのに素直になれない
ばかだね

といった手紙だった。

その手紙を歌にすればいいじゃん。と
彼は言った。

わたしは無理だ!と喚いた。
恥ずかしい。

こんな剥き出しの気持ち
どうやって伝えたら良いのか。
手紙で渡すならまだしも…。こんな気持ち。

「それを歌うんだよ」
と、ギターを弾きだして。 


ほら、歌って。

ほら、と。

いや、無理!と喚くわたし。

このラリーが続く。

でも、やめない。
ギターを弾き続ける、彼。

ほら、歌って、と
弾き続ける。

もうね、やめないんだよ、この人は。
やるんだよ。やると言ったら。

やる人なの。

めちゃくちゃむかついた。
でも、笑っちゃうんだよね。
そのしつこさに。曲がらなさに。

だって、わがままなんだけど
彼の思い描いているものが伝わってきて。

①さくらはお母さんが好き。
②さくらは歌が好き。
③じゃあお母さんに歌を作って
歌ってあげればいいじゃん。

単純明快。それだけ。

わたしの抱えている
複雑な「どうしよう」を全部取っ払って
本当のことだけでいいじゃん、という思考回路。


わたしの思考回路といったら

①お母さんのことは好き。
好きだけど、それだけじゃない。
納得いかないことばかり。
許せないことばかり。
でも、お母さんことは好き。
許したい気持ちもある。
でも許せない。許したくない。でも許したい。
だから、どうしたらいいかわからない。

②わたしは歌うことが好き。
歌がなくちゃ生きていけない。
だけど、自分に自信がない。
歌には自信がある。
自分を表現したいけれど
醜い自分は隠しておきたい。
人目に触れたくない。
だからどうしたらいいかわからない。

③、④もずっとこんな調子。

とにかく複雑で大変な頭の中。

わたしはAだけどBだからCでもありDだからEなんだけどFになっちゃう。本当はAなんだけど、Aであることは認めたくないというか、違和感がある。むしろ、AでなくてGなのかもしれない。Hという思いもあるから、自動的にIでもある。だからJなのかもしれない。そうするとKだしLだしMでもある。だから、NでOでPでQでRでSでTとUだしVでもありWということになってしまう。
XYZ……………………
すなわち、わたしはAではないのかもしれない………。


ああでもないこうでもない
頭をこねくり回した後に
そして振り出しに戻り、繰り返す。


くどい。複雑。

常にこんな調子。ごっちゃごちゃ。
頭の中ごっちゃごちゃ。

常に混乱状態。カオス。

Pくんは
こんな調子のわたしと話していると
「え、AならAでいいじゃん。」 

終了。


これ。 

これが、なんだか
もう太刀打ちできない大きな何かに
ピシャリとやられる感じで。

この感じ、どこかで知っていた。
それ以上逆らえなくなる何か。

今思えば、それは

ばあちゃんが
さくらは良い子だ。
だってばあちゃんの孫だから、という
図式のそれとそっくりだった。

まるでどんな数式が並んでも
答えに「なぜならば、ばあちゃんの孫だから」
という文言が入ればそれ以上はない。 

オールマイティだった。
もはやジョーカーだった。それは。

そのオールマイティなものって、 
その正体って、そのあたたかさって…

一体何なんだろう、それは…と
とてつもない引力を持つそれに
物凄く魅力を感じていた。

「さくらは、歌が好き。じゃあ歌えばいいじゃん」

ABCDEFGのA以降、出番がない。
AならA。以上。

そんな彼といるうちに自分も段々と
Aだと思ったらAだと
言えるようになってしまった。 

Pくんの前では。

彼の前ではそうなってしまえる自分だった。

ばあちゃんといる時の自分のようだった。
Pくんといる時だけは。

小難しさや捻くれた物の見方が
できなくなってしまって。
恥ずかしいくらい子どもになってしまって。

怯えて、すべてを疑って
世界を睨みつけている虐待されてきた犬が
愛情深く接してくれる
人間に心を開く、みたいな。

そう。わたしがその犬で
彼がムツゴロウさん。
そんな感じだった。

よーしよしよしよし、って。

わたしは牙を剥いていたのに
ヘソ天して無邪気になっちゃう、みたいな。

うわー、この例えすごい嫌だ。
悪趣味だ。

他に何か言いようがないものだろうかと
考えてみたけれど…ない。
これがしっくりきちゃう。
ムツゴロウさんと獣。

だから、地元の友達の前の自分と
Pくんといる時の自分とを
統合しようがなかった。

友達、彼氏、家族、
誰の前の自分とも違う自分。

何なのかこれは、と戸惑っていた。
幼すぎて馬鹿みたいな自分。

普段、牙を剥いているのに
子犬のように無邪気にさせられてしまう。

だけど、Aでもあるけれど
BだしCだしDでEでFでもある
複雑な獣としての自分だって嘘ではなかった。

それに、AならAでいいじゃん、とか
わたしのことわかってもいないくせに
簡単なこと言わないでほしい。
彼に対してそんな思いもあった。

だけど、彼の言う、
簡単なことをやっていくうちに
自分が自分でなくなっていくのがわかった。
物凄く戸惑いながら。

獣である自分。

クソで、ゴミで、最低な自分には相応しくない
やわらかくて一番大事な何かが
わたしの内にあった。 

お母さんが好き。ありがとう。
弟が好き。ありがとう。
お父さんが好き。ありがとう。

こんな気持ちがある自分を
取り扱ったことがなくて
のたうち回りそうなほど寒気がしつつ
そのあたたかさに、
どこかうっとりとしていた。

素直な自分。


そんな素直な自分を歌にする。

観念して腹をくくって、歌ってみた。

即興で母へ宛てた手紙の言葉を歌詞として
彼の弾くギターに乗せて歌ってみた。

歌うと覚悟を決めると
胸のざわつきが静かになっていった。

力任せにバタつかせていた翼が
空に身を任せても良いのだと
理解したような瞬間があった。

たどたどしかった声が
次第にメロディが歌になった。

彼のギターを信じて
歌い始めたら、歌えた。
歌になっていた。

歌い終えると、彼は

「いいじゃん」と言った。

ふたりの歌ができた。


これ、お母さんに歌ってあげよう。
と彼が言った。
わたしは………喚いた。無理だ、と。

しかし、やると言ったらやる。
そういう男だ。彼は。

そうなると勝てない。

いちばん心のやわらかいところが
刺激されて、抵抗したい気持ちと
よくわからない何かが暴れ出して
どうしようもなくなる。

彼の「AならA理論」によって
わたしの抱える複雑なあれこれが
淘汰されてしまう。

結局、歌った。震えながら。
母のために作った歌。

この歌でふたりの運命が
この後どんどんと拓けていくことになっていった。


この歌にまつわる話も
またたくさんあるのですが
いつものように長くなってしまいそうなので
またの機会に預けます。

とにかく、そんなこんなで
青春とも言える日々が
冷めきったわたしの血をあたためてくれた。

そんな日々が永遠に続いてほしかった。

だけど、春が来て。
専門学校を卒業した。

わたしは彼氏にこっぴどく振られた。
そして卒業を控えた頃から
Pくんとも疎遠になっていた。

生まれてはじめて楽しかった、
生きていると感じられた日々が、
あっけなく終わっていった。

また、冴えない自分に戻ってきてしまった。
夢のような日々から覚めたら
とんでもない空虚が襲いかかってきた。

すっぼりと自分の穴を
埋め尽くしてくれていたものが
そのままごっそり消えてしまって
その穴に吸い込まれるままに
なんとか生きていた。

しばらくして
また不思議な縁が縁を呼び
たまたまPくんと再会することになり。

ちょこちょこ会うようになった。
もう、以前のように仲間はいなかった。
ふたりで会うようになった。

それから、しばらくして
わたしたちは恋人同士になった。
予想外だった。この展開は。全く。

しかも、音楽活動を
共にすることになっていった。

いろいろな出会いがあった。
たくさんの人達が一緒にCDを作ってくれた。
ライブをやった。テレビに出た。ラジオに出た。

ふたりでCDを作った。フェスに出た。

いろいろ、いろいろやった。


やがて、時を経て
わたしが30歳になっていたか
それ以前だったか…

「おばあちゃんに会いに行こうよ!」
と、彼はちょくちょく言いだした。

聞き流すしかなかった。
聞き流せなかったけど。

いや、何を言い出しているんだ、と。
リアクションしては負けだ、と。
絶対にそれは無理、なし。あり得ない。

そんなの、感動ドキュメントじゃないんだから。
お涙頂戴、とかないの。うちは。

そういうのとは違う。
それはまじで違う。

ないない。

しかし、彼はしつこかった。
何度も何度も。

やがてはわたしもブチ切れたりもした。
そりゃないでしょ、と。 

これだけめちゃくちゃな出来事が合って
離縁されて、わたしは祖母を憎んでいることを
散々話してきたというのに。

なぜ、理解してくれないのか。

なぜ?

なぜ会いたくもない人間に
わざわざ会わなきゃならない?と。


だって、さくらにとって
大切な人なことには変わりないから、
会っておいたほうがいい!

おばあちゃんなんだから
亡くなってしまったり、
いつ会えなくなるかわからないでしょ、
と、Pくん。

出た、AならA理論。


こればっかりは、
この問題はさすがに
AだけどBだしCでDでEでFなの。

だから。そんなの無理!と突っぱねたけど…


何回も、何回も。

何回も何回も何回も 
そんなやり取りをしていくうちに
押しの強さに…負けてしまった。

しつこかった。

Pくんの勝ち。
ばあちゃんに会う。

ばあちゃん、心では
もう、とっくに存在していなかった。
生きていなかった。

その、ばあちゃんに会いに行く。

モノクロの存在だった
ばあちゃんが
すこし息づいた感覚がした。複雑だった。


まずは、電話をすることに。


指が覚えていた。
ばあちゃんちの番号。

今でも覚えている。
一生忘れられないのかも。

ピ、ポ、パ、ポ、の音も
未だにしっかり覚えている。

プルルルルルル…………………


何コールかしたら、出た。


「もしもし」




《続きます》

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