暗号資産ウォレット、そのID及びパスワードを譲渡及び交付することによって暗号資産を前夫に売却し、損失が発生したという主張が認められなかった事例(所得税・国税不服審判所令和5年11月28日裁決)
本件は、審査請求人が行った暗号資産の譲渡等に係る所得について、原処分庁が雑所得に該当するとして所得税等の更正処分等を行ったのに対し、請求人が、雑所得として課税された取引とは別の暗号資産等の売却を行ったことにより損失が発生しているから、これらの損失の金額を更正処分等における雑所得の金額から差し引くべきであるとして、原処分の一部の取消しを求めている事案です。
請求人は、各ウォレット、そのID及びパスワードを譲渡及び交付することによって暗号資産を前夫に売却し、損失が発生したと主張し、売買契約書や確認書を証拠として提出しました。
しかし、国税不服審判所令和5年11月28日裁決(関裁(所)令5第12号)は、送受信履歴等に基づいて、各暗号資産は、本件各暗号資産約定引渡日において本件各ウォレットに格納された状態で請求人から前夫に引き渡されたとは認められないと判断し、請求人の請求を棄却し、原処分を維持しました。
どうやら請求人の主張を裏付ける事実が存在しなかったようです。
日頃から課税関係に関する自己の主張を裏付ける証拠を確保しておきましょう。
この事案で、真実、暗号資産の譲渡が行われたかはわかりませんし、裁決書に黒塗りが多いのでわからないこともありますが、少なくとも契約書の約定内容が送受信履歴等から認定される事実と適合していないことが審判所の判断に大きく影響しているのかもしれません。
送受信履歴やウォレット内の暗号資産の所在のみが暗号資産の権利保有者を示す唯一の材料ではないですが、結局、契約書のみではこれらが示す保有者の所在に係る判断を覆すに至らなかったのでしょうか。
オンチェーンとオフチェーンの記録の両方が考慮され、前者の信ぴょう性が後者に勝ったという見方もできるかもしれません。
なお、請求人は、海外不動産に関する投資事業に関連して商品に金員を拠出するとともに、当該商品に関して費用を支出したことを前提に、本件商品等取引(その事業を請求人に紹介した紹介者との間で、本件商品等を100万円で紹介者に売り渡したことなどを内容とするもの)も主張していますが、ここでは取り扱いません。
裁決書をダウンロードしたい方は以下からお願いします。
Ⅰ 事案の概要
1 本件各暗号資産取引契約書
請求人は、暗号資産を保管するための電子媒体(ウォレット)に、各暗号資産を格納したことを前提に(以下、請求人が格納したと主張する各暗号資産を「本件各暗号資産」といいます) 、売買契約書(※)を平成30年12月16日付で作成していました。
(※)以下、「本件各暗号資産取引契約書」といい、本件各暗号資産取引契約書に係る取引を「本件各暗号資産取引」、本件商品等取引と本件各暗号資産取引とを併せて「本件各取引」といいます。
なお、本件各暗号資産取引及び本件商品等取引の存否については争いがあります。
本件各暗号資産取引契約書には次のことが記載されていました。
請求人の前夫との間で、その各ウォレットのID及びパスワードを前夫に引き渡すことによって本件各暗号資産を売り渡すこと(以下、当該取引により前夫に引き渡すこととされたウォレットを「本件各ウォレット」といいます)
本件各暗号資産を前夫が10万円で買い受けること
本件各暗号資産に係る本件各ウォレット、そのID及びパスワードの引渡日を平成30年12月16日(以下、「本件各暗号資産約定引渡日」といいます)とすること
本件各暗号資産取引契約書の別添内訳所には、
①本件各暗号資産の種類が請求人の購入日付とともに記載され、
②請求人が本件各暗号賓産の購入に当たり支払った各金額及びそれらの合計額が17,679,654円であること
が記載されていました。
2 本件各暗号資産取引確認書の内容
請求人は、前夫との間で、本件各暗号資産について、本件各ウォレット、そのID及びパスワードを請求人から前夫に本件各暗号資産約定引渡日に引き渡したことを確認する旨を記載した「確認書」と題する書面(以下「本件各暗号資産取引確認書」といいます。)を令和4年12月18日付で作成した。
3 審査請求に至る経緯
令和3年1月22日:
請求人は、平成30年分の所得税等に係る確定申告
令和4年3月29日:
原処分庁は、請求人に暗号資産の取引に係る所得(以下「本件所得」といいます。) があり、これが雑所得に該当するとして、更正処分及び重加算税の賦課決定処分
なお、本件更正処分において、本件各暗号資産の取引に係る所得は含まれていなかった
令和4年6月27日:
請求人は、本件各取引に係る総収入金額から必要経費を控除することにより生じる損失が本件更正処分に含まれていないことなどを不服として、再調査請求
令和4年11月22日:
再調査審理庁は、本件更正処分については棄却し、本件重加算税賦課決定処分については無申告加算税相当額を超える部分を取り消す再調査決定
Ⅱ 争点
本件各取引がなかったか否か。
具体的には、本件各取引が存在しないことを前提に、請求人の平成30年分の所得の金額を計算すべきか否か。
なお、請求人は、本件各取引は実際に行われたものであるとして、次の各損失が生じたことを主張しています。
①本件各暗号資産取引については18,647,189円(前夫への売却価額10万円から本件各暗号資産の取得価額18,747, 189円を控除した金額)
②本件商品等取引については48,427,010円( 紹介者への売却価額100万円から本件商品等の取得価額49,427,010円を控除した金額)
Ⅲ 審判所の判断
1 前夫への各暗号資産の引渡しについて
審判所は、結局、送受信履歴等に基づいて、各暗号資産は、本件各暗号資産約定引渡日において本件各ウォレットに格納された状態で請求人から前夫に引き渡されたとは認められないと判断しました。
上記のような判断に至った根拠は各暗号資産によって異なりますが、例えば、次のような事情が示されており、請求人の主張を裏付ける事実が存在しなかったようです。
請求人の保有するウォレットに送金され、本件各暗号資産約定引渡日に至るまでの間、請求人の支配下において管理保管されていた事実を示す証拠はない
当該各暗号賓産が本件各暗号賓産約定引渡日において本件各ウォレットに格納された状態で前夫に引き渡された事実を示す証拠はない
請求人は、本件各暗号資産約定引渡日の時点でこれらの各暗号資産を取得し、請求人の支配下において管理保管していたとは認められないから、本件各暗号資産約定引渡日において、これらの各暗号資産を本件各ウォレットに格納することができたとも認められない
暗号資産を個人から購入したことを示す証拠を提出するが、当該暗号資産を購入するための対価の支払を裏付ける客観的な証拠はなく、当該暗号資産が未配付であるという内容のメッセージも存在することからすれば、請求人提出の証拠を踏まえても、請求人が当該暗号資産を購入するための対価を支出したとまでは認められない
請求人が現金を送付したことに関する証拠はあるものの、その送付に関するメッセージのやり取りを踏まえても、請求人による現金の送付が、当該各暗号賓産の購入の対価であったとはいい難く、請求人が当該各暗号資産を購入するための対価を支出したとまでは認められない
2 請求人の申述・答述、前夫の答述について
審判所は、以下の点を踏まえて、以下に示す請求人の申述及び答述、前夫の答述は、本件各暗号資産取引があったことについて疑問を生じさせるものであって採用し難いものであり、これらを前提に本件各暗号資産取引があったと判断することはできない。
そのような採用し難い申述及び答述と一致する本件各暗号資産取引契約書及び本件各暗号資産取引確認書によっても、本件各暗号資産取引があったということはできない、すなわち、本件各暗号資産取引契約書によって本件各暗号賓産取引がされたということはできず、また、本件各暗号資産取引確認書も、本件各暗号資産取引の存在の根拠とはならない、と審判所は判断しています。
《請求人の申述・答述》
請求人は、本件再調査請求の審理手続において、再調査審理庁の担当職員に対し、令和4年9月22日の時点では、前夫に本件各暗号資産の所有権が移転したことの根拠となる事実について沈黙して回答しませんでしたが、同年10月6日、再調査担当職員に対し、前夫に対して本件各ウォレット、そのID及びパスワードを譲渡及び交付することによって本件各暗号資産を引き渡したものの、引渡しを確認できる書類等は存在しない旨申述しました。
また、請求人は、本件各暗号資産の引渡しについて、審判所に対して、要旨次のとおり答述しています。
本件各暗号資産の引渡しは、本件前夫に対し、本件各ウォレット、そのID及びパスワードを誤渡及び交付することによって行ったが、本件各ウォレットは、いずれもスマートフォンにアプリをダウンロードして使用するものであった
本件各ウォレットは、本件前夫がその場で本件各ウォレットのアプリをダウンロードして同期した後、私が同期を切断した上、本件前夫が秘密鍵を変更したため、私は本件各ウォレットにアクセスできなくなった
審判所は、上記を踏まえて、本件各ウォレット、そのID及びパスワードを譲渡及び交付した上で、本件前夫がスマートフォンに本件各ウォレットのアプリをダウンロードして同期し、請求人が本件各ウォレットの同期を切断するという比較的単純なものであり、複雑な内容ではなかったにもかかわらず、請求人は、再調査担当職員から最初に本件各暗号資産の所有権が移転したことの根拠となる事実を問われた令和4年9月22日、本件各暗号資産が前夫に移転したことについて具体的に説明できておらず、本件各暗号資産の移転に関する上記の内容を当初から一貫して説明できないことを指摘しています。
そして、審判所は、このような請求人の対応は、不自然、不合理なものであり、このような請求人の対応それ自体からしても、本件各暗号資産が実際に本件前夫に移転したことについて、疑問が生じるとしています。
《前夫の答述》
前夫は審判所に対して、要旨次のとおり、答述しています。
本件各暗号資産の引渡しについては、本件各暗号資産取引の当日に、本件各ウォレットのアプリをダウンロードし、請求人のIDや秘密鍵を入力して本件各ウォレットにログインした
その上で、本件各暗号賓産全てが本件各ウォレットに格納されていることを自分の目で確認することによって行い、確認後、代金の10万円を現金で請求人に支払った
そして、帰宅後、本件各ウォレットのログインに必要となる秘密鍵を変更した
審判所は、本件各暗号資産の中には、本件各暗号資産約定引渡日において前夫に引き渡すことができる状況になかった又は引き渡していなかったことが認められることに照らして、前夫の上記答述は直ちには採用し難いなどとしています。
3 審判所の結論
審判所は、上記のような検討を経て、要旨次のとおり、本件各暗号資産取引があったという可能性を裏付ける事情は認められず、請求人が主張する本件各暗号資産に係る損失が生じたとも認められないと判断しました。
以上からすれば、本件各暗号資産取引契約書によって本件各暗号資産取引がされたということはできない
その他の証拠等から本件各暗号資産取引が認められるかについて検討すると、請求人及び原処分庁の提出賓料並びに当審判所の調査及び審理の結果によっても、本件各暗号資産取引があったという可能性を裏付ける事情は認められない
むしろ、本件各暗号資産取引はなかったものと認められる
よって、請求人が本件前夫から10万円を受領したとしても、その理由が本件各暗号資産取引に基づくものであったとは認められず、請求人が主張する本件各暗号資産に係る損失が生じたとも認められない