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木に縁りて魚を求む

モワッとした湿度の高く暑い空気。
慣れない煙と夏の香り。
くすんで淀んだ美しくない暗い空。
それが懐かしくて、何処か悲しかった。

あの時と同じように窓枠に上り、あの時に似た、くすんだ空を見上げる。
10代後半くらいから、自ら手放したものまで欲しいと想うのだから強欲なのかもしれないが、それでいいとすら思う。
歳を重ねるスピードは思いの外早くて、私が想い馳せる日はもう2年も前になってしまった。
あの頃煙をふかしながら、片手でクルクルと退屈を凌いでいた長い髪は今はもう肩までもなく、ただ、その手を退屈げに窓枠にダラっと垂らして空を見上げた。

リズミカルにポタポタと音を立てるのは数日前に降った雨の名残だろうか。
それとも空調の機械が産む結露か。

手放したものを取り戻そうと足掻けば、大切なものを失ってしまうことも知っているから、私は何もしない。そこまで愚かでは無い。

花のように笑うのに疲れてしまって、それを辞めても、確かに隣で手を取ってくれる人がいると信じたいから、珍しい。
いや、実は珍しいのではなくて、それが本質なのかもしれない。
信じたいと思わないと言い聞かせて自分を守っているのかもしれない。
自分を大切にするのは難しいとよく言うけれど、それならば人を大切にしたり相手を思い合うのは如何程難しいものか。
古本屋で1冊200円で買った小説にも手を付けず、ただ、創作意欲を掻き立てる題のものばかり引っ掻き集めているのだから、本当はそれを読みたいとは思っていないのかもしれない。
ifに取り憑かれて生きるのは想像を絶する程のストレスを齎すが、安全に生きていく為には仕方の無いことで、そのifを覆す大きな事故が起こりうることも、既に想定している。
この世の中に自分の思考が追いつくことなど、どんな天才であろうがないんだから。
そう考えると、心のざわめきが途端に消えて、世界が無色透明で冷たいガラス瓶のように見える。
中身は、当然空っぽ。

職場の上司に最近、「いつも良い返事をしてくれるから助かるが、何を考えているのか分からない。よく言われるでしょ。」そう言って笑われたけれど、私以外の人が何を考えているのか悟っているとその上司が思っているのであれば、それは勘違いも甚だしい。
人の中の人は、あくまで想像する側の人間の想像の範疇でしかない。
随分と退屈だ。

桜の花弁が落ちていくのを見て、ヒラヒラと擬音を付けたような、そんな人間になりたかったけれど、生憎そんなセンスも持ち合わせて居ないようだから、こうしてタラタラと無意味なことを綴り、同じことをする人に共鳴し合って、そうやってやり過ごす。
外気温が高かろうが、低かろうが、ここは寒くて冷たいから、爪先で歩くのを辞められずに居る。

別に達観したい訳では無いが、くすんだ空に走る稲妻を眺めながら、ifを作り上げることで、自分の居場所を今ここに感じる。

手放したものを取り戻そうとする人、夢追い人、どれも自分には似合わない、のではなくて、それをする勇気のない臆病者だというのを隠蔽してしまいたいのでは、と言われれば、否とは言いきれずに、そうかもね。と、乾いた笑いを発するんだろう。
実際何においても、そんなに大きな熱も無ければ、野望もない。

何か問題が生じれば自分の作った世界をその人の足下まで拡げ、言い負かそうとするのが私の悪い癖だと、親や友人に批判される事もあるが、結局その足下の景色に批判する貴方も納得してしまうじゃない。つまらない。
その人の納得は、私の自信に繋がるのではなく、私の諦めに繋がるの。
ああ、やっぱり、ここはそういう所なんだね。と。
足下に拡げた世界を押し退けて、違う世界を私の渦中までも押し入れてくれる人が居たのならば、きっとその人の言葉で、もう少しこの滲んだ色も綺麗に見えるだろう。
綺麗とは限らず、寧ろ今よりももっと深く、暗いところにある、絶望の可能性もあるだろうけど。

薄暗い部屋を照らす黄身がかったランプの寿命は、何時までだろうか。
これを買ってきたのも丁度2年前だったか。
そんなことを考えながら、淹れたての紅茶を啜った。

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