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秋の人のよりし柱に咎めあり


ずっと遠くを観ているような。
ショーウィンドウの外側から、自分のものではないものを、硝子越しに眺めているような、そんな、感覚だった。
2ヶ月も仕事をしていない私は、曜日感覚や時間の感覚を失ってしまって、何処か知らない場所にずっと独りで座っているような。

それでも、道を歩けば不意に金木犀が香ってくるし、毎年決まっているかのようにその花が咲けば降る雨は、またその花をすぐに零れさせていくし。
水溜りに浸かった橙色が、徐々に溶けて白んでいくのを今年も横目に盗み見る。
季節は私が立ち止まっても、確実に刻々と生付いては死んでいくんだと思った。
青く茂っていたあの葉も、枯れて地面を転がり始めてる。

今、私は私のことがまるで他人事のようで、だからこんなにも落ち着いているのかもしれない。
先月の今頃には考えもしていなかったことが、私を追っては追い抜いて、また私を置いていく。
カサブランカ。
今年はその香を感じることもなく、日常が擦り減って行ったな。
足元のすり減ったパンプスを、玄関先で脱いでそのままゴミ袋に投げ入れた。
「さよなら。」
ボソッと呟いたその言葉は、もはや何に対して呟いたものなのか、私にはわからなかった。

ずっと明るく染めていたショートカットの髪を、更に短く切って黒く染めた。
私は私で居ることに疲れてしまったのかもしれないが、そんな私の手を引く、その手の温かさに、まだこの世界は捨てるには勿体無いと思えてしまって、その優しさと温かさにただ溺れた。

彼の瞳には私はどう映っているんだろうか。
きっと貴方が想うより、私は温かくも、美しくもないのよ。
そう伝えたところで、恐らく無駄なんだろうな。
そこが、堪らなく愛おしく想えてしまうところが、どうしようもなく弱くて痛々しい。

「鬱陶しいくらいに愛されたかったのかもしれない。」
いつかそんな事を綴った覚えがあるが、実際そうなんでしょう。
「月が綺麗ですね。」その答えが、「死んでもいいわ。」でないと受け付けないくらいなんだから。
曖昧で無責任な優しさや同情にはもう飽き飽きしてしまって、薄暗い部屋で酒に溺れる。
自発的な愛に限界を感じてしまったら、そこで終わりかもしれない。
与える事を諦めてしまえば、相手は忽ち去って行く。当たり前だけれど。
それをせずに何かを与え続けようとすれば、馬鹿を見るのがオチだと24年でやっと気が付いたから、自分の大切な人達がそんな事をしていたら、全力で止めるんだろうな。

4年過ごしたこの部屋には期限が設けられてしまった。自業自得ではあるけど。
気に入っていた筈のこの部屋も、最近は荒れ果ててしまって、なんだか重苦しい荷物に思えてしまった。
部屋の中身をなんなら全て捨ててしまいたいところだけれど、そんなに上手くいかないのが、現実。
ないと困ってしまうものも、何気に沢山あるんだと思う。
でもそういうものって、基本的に日常使わないから、忘れがちだよね。

そして、ふとした瞬間手放してしまっていたことに気が付いたら、大体後悔するんだよ。
人生ってそんなもん。
私を手放すことになった彼らがその現象に陥っていたら、腑が捩れるくらいには満足だな。なんて。
そんな事を言っているうちは多分それは無理だと思うけれど。
沢山刷り込んでおいたから、時間の問題だろうね。
「さよなら。」
愛してくれる人を失った、可哀想な人たち。

部屋の掃除が進まないのは、きっと何処か今の自分が他人のように思えているからだろうな。
そろそろ現実を見てくれと自分に何度も言うけれど、そんな言葉は吐き出した煙と一緒に、瞬く間に空気に溶け込んでしまって、どこか遠くに消えてった。
まだ、金木犀が咲いているのに、冬の足音が聞こえているような気がします。
思ったより何に対しても時間ってないもので。
秋って一体いつから何時迄なんでしょうか。

毎年夏は私を壊して何かを確実に奪って行くけれど、春が来てしまいさえすれば、案外なんともなくケロッとしているんです。
桜の花弁を踏みつけながら、さも普通の人かのように笑う私がいつも其処には居る。
今年は、誰と桜を観るのでしょう。
あの薄桃色の花が、やっぱり私は今も嫌いです。
季節問わずに、視界の隅をチラつくあの花弁が、大嫌い。
だけれど、雪を見ても私は桜を思い出す。

月は見たい時に限って姿を現さずに、今日も開けた窓から流れ込む冷たい風に、体が悴んでいくだけでした。
空調の音は最近はしない。
冷暖房がなくてもやっていける、そんな過ごしやすい天候だからね。
そんな天候の、そんな季節が、またすり減って死んでいくのを私は、ただ眺めてまた心を落ち着かせています。

金木犀、その香り、あまり長く香らせてしまうと、価値が下がるよ。
だから、早めに、ね。 

「さよなら。」

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