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ヤンキーでもなくケンカもした事ないただの若者川尻達也が格闘技に魅了され格闘家を目指すまでの道のり①。

令和になり何か新しいチャレンジを始めようと思いnoteを登録してみました。
格闘家川尻達也と申します。
よろしくお願いします。

先日ある人から「格闘技を始めた理由は?」と聞かれ過去を振り返る事がありました。
それと同時期にある方からFacebookを通して私のアマチュア時代の試合映像をいただき懐かしい思い出が蘇りました。
もう20年以上も前。
そんな事が重なり、そろそろ格闘家人生も終盤になり記憶が薄れる前に振り返り的にここに格闘家になるまでの道のりを残しておこうと思いました。
記憶があやふやなところもあるので間違っていたらご愛嬌。

格闘技を始める前の話。
子供の頃からボクシングや柔道にキックボクシングなどの格闘技全般、そしてプロレス。

全く興味ありませんでした。

父親がプロレスが好きでテレビでプロレス中継を観た後は決まって私に四の字固めやサソリ固めをかけてきて痛くてよく泣いてました。
なのでプロレスに対して嫌悪感さえありました。

そんな私の格闘技の入り口は、中学二年生の時友達の家でやったスーパーファミコンのプロレスソフト『スーパーファイヤープロレスリング』。

そこからプロレスが好きになり土曜日夕方から放送される新日本プロレス。日曜日深夜から放送される全日本プロレスに夢中になりました。
話はズレますが、当時の私は全日本プロレスの超世代軍や四天王プロレスに夢中でした。
UFCが始まり総合格闘技という存在がプロレス界にも知れ渡っていった頃、レスリング出身の三沢光晴選手なら400戦無敗のヒクソン・グレイシーに勝てると本気で思ってました。
三沢のエルボーが世界最強。
友達と本気で言い争いになった事もありました。

プロレス→格闘技。
そのきっかけは、父親が買っていた週刊少年チャンピオンで連載の始まった当時正道会館の佐竹雅昭さんを主人公とした漫画『となりの格闘王』でした。
連載開始は1992年11月26日号
中学ニ年生の頃です。
そこからK-1が好きになり、翌年の1993年にK-1グランプリが始まります。
1993年にはUFCも始まりホイス・グレイシーの存在を週刊プロレスを通して知っていく事にもなります。

プロレスもK-1も好きでUFCにも興味を持ち始めた中学三年生の私。格闘技通信か何かで佐竹雅昭さんが『俺を倒せる日本人出てこい!』と煽ってました。

その記事を見て「あ、これは俺に言ってるんだ」とビビビッときました。
そう。ただのバカです。
無知って怖いですね。
格闘技の経験どころかケンカの経験もなく、ただのスポーツ好きな少年だった私ですが、佐竹雅昭さんの一言でおぼろげながら夢ができました。
まぁ、中学の頃に描いた夢なんて高校になれば簡単に忘れるんですが…。
でも一番最初に格闘家というものを意識したのはこの瞬間でした。

やりたい事が見つかった中学三年生の私ですが、だからといって夢に向かって進路を決めるってほど情熱はなく人生を懸けてなんて想いも全くありません。
ただ単に仲のいい友達が行くからって単純な理由で高校を選び高校生になりました。

高校生になったら部活は空手部に入ろう。
空手を始めてK-1に出て佐竹を倒そう。

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FIGHT BOX FITNESS代表 茨城県つくば市並木ショッピングセンター 初めての人のための格闘技フィットネスジム RIZIN・Bellator・UFC解説者 ジムトレーナーや解説者として格闘技の楽しさを伝えていきます。