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ひきこもり猟師の元でアライグマを捌いた。

正解が一つになる

この文章を書くのには少し、悩んだ。

ツチヤ氏には、事前に今日の体験をブログにして良いかと確認は取っていたが、まずこの一泊二日の旅で得た多くのものを言葉に下ろしていいのかと、自分の中で葛藤があった。

言葉にするということは、気持ちや心と言ったスピリチュアル的要素を、他人が理解出来るように、形に変換するということだ。

わざわざそれら多くの感情を、一つの正解にしてしまっていいのだろうか。

だが、少なくともアライグマを捌いた感想なんて、いくら言葉にしようとも誰が理解出来ようか。

と、言っても結局私は、猟師になりたいし、その体験を雑誌などの媒体で多くの人に共有、伝えたいと思っているから、この複雑極まりない感情たちを何とか、自分の持ちうる全ての語彙力を爆発させて伝えていこうと思う。

出会い

Youtubeの「アライグマの脳漿鞣し」動画でファンになったひきこもり猟師ツチヤ氏と、初めて出会った。

綺麗な画面で、自然の音の中、淡々と話をする彼はある種の独特な世界観を持っているのだと、思いながら、彼の動画を見ていた私は、少なからず、良い意味でも悪い意味でも、どんな人なのだろうと期待、心配していた。

しかし、出てきた人はまさに普通の優し気な男性だった。

そのままひのはうすの中へ通された私は、掘りごたつに入り、お茶を頂きながら、だらだらとツチヤ氏となんでワークショップに予約したかなどを話した。

コミュニケーション能力はあると自負しているというのと、少なからず多くの狩猟動画を見てきた私にとって、ツチヤ氏との時間は、共通の話題がある友人との会話のように、時間を過ぎ去らせて言った。

11時半ほどに到着して、小一時間話したところで、そろそろ解体を始めましょうということになり、河原でアライグマを捌くことになった。

生の感触を

何かを書く上で、何かをする上で、生きていく上で、大切なのは経験で、苦労で、経験だ。

もちろん苦労した人間が一番偉いとは言わないが、上質な経験には必ずと言っていいほど、それなりの苦労が伴う。

普段はゴム手袋をさせるんだけど、そう言ってゴム手袋を探していたツチヤ氏に私は素手でやりたいと言った。

臭いもつくし、きついかもしれないと言われたが、私は心で必ず素手でやろうと決めていた。

その手に着いた臭いも、内蔵の感触も、川の水の冷たさも、生で体に刻みこもうと。

そして、河原で解体を始めた。

死体は重くて硬い。

まずは洗ってくださいと言われ、アライグマの亡骸を川で洗うことになった。

基本的な汚れを落とすための作業なのだが、個人的にこの作業が一番キツかった。

真冬の山の川の水は当然の如く冷たいのだ。

無数の小さい虫が指先に噛み付くような、チリチリと痛む感覚が、数分続く。

猟期は基本的に11月から2月。

いずれも真冬の時期だ。

その時期に解体をすると考えれば、この作業は乗り越えなければならない必須関門なのだが、蛇口のレバーを左に向ければお湯が出てくることに慣れすぎた甘えた手にはそれがなかなかにきつい作業だった。

それが終われば、シートの上にアライグマを乗せ、捌き始める。

仰向けに寝てるような体勢にして捌き始める際、前脚と後脚を開く必要があるのだが、開かない。

前脚はそこまで可動域があるわけでないので、開かないのも仕方ないのだが、後脚は結構体重を乗せて開かせないと、上手く動かすことが出来ない。

筋肉は死後、硬直を起こすということは知っていたが、ここまでなのかと、私は衝撃を受けた。

先に言ってしまえば、食べた際の肉はとても柔らかかったのだ。

でもそれが信じられないほどにアライグマは硬かった。

内臓取りと皮剥と切り分けと

正中線のなかで、肋があるところまで肉を露出させ、みぞおちから臀までは深くナイフが刺さらないように加減しながら皮と肉を裂いていく。

そうしたら気管を切除し、心臓、肺、肝臓、横隔膜を剥がしながらその他の内蔵を取っていく。

この時私はただ肉塊となった獣が食べられる肉へと変わっていく感覚が楽しくてたまらなかった。

気付いたのだ。

食で供養とか言っていたのに、自分はただその作業たる解体を心から楽しんでいると。

生憎〆るという作業がなかったというのもそうだが、私はこの解体ワークショップに参加するまで、解体しながら涙を流してしまうのではないかと思っていた。

でもそんな暇はなかった。

河を流れていく水のように、凄まじい勢いで太陽は傾いていくし、時間も過ぎていく。

もちろん日が完全に落ちてしまえば、手元が見えなくなってしまうので解体作業は中止だろう。

今となってはこんなことを考える余裕があるが、その時は、なるべく内臓を傷つけないように、皮剥の際、皮になるべく穴をあけないようにと、考えることだらけで、獲物に感謝するなんてことすら、頭に浮かばないほどに、様々なことを考えながら捌くという行為を行っていた。

精肉

解体作業を終え、感じていたのは登山の様な達成感と、ツチヤ氏への感謝だった。

アライグマの脂と血でべとべとになった手を見て、改めて肉になったアライグマはほぼすべて自分がやったのだと実感する。

もちろんできないところはツチヤ氏に手伝ってもらったが、自分でもよくやった方だと思う。

始めたころこそ、日向にあった作業場ももう陰り、風が吹き抜ければぶるっと身体を震わせる。

そそくさとその場を片付けて、私たちはひのはうすへと向かった。

まな板の上でできる精肉作業はツチヤ氏がやってくれるとのことで、またそのアライグマの煮込み料理を作ってくれると。

私はワクワクしながら、彼の作業工程を見ていたのだが、今考えてみれば料理している姿をじっと見られているなんて、落ち着かないだろう。

私がされたら、率直に嫌だ。

だが、それでも肉についてしまった汚れや、筋膜の取り外し方など、丁寧に教えながら、黙々と作業を進めてくれる彼は、本当に忖度なしに良い人だと言える。

猟師風トマト煮込み

今晩のアライグマ料理はカチャトーラ。

猟師風のという意味のカチャトーラはイタリア料理の一つらしく、トマトの肉煮込みのことを指す。

そんな中ツチヤ氏が作ってくれたのは、アライグマのツチヤ風カチャトーラ。

人参、玉葱、ジャガイモ、トマト缶、ローズマリーやローリエ、ニンニクもたっぷり入ったトマト煮込みに、白米を添えて、カレーのように食べるカチャトーラは本当に美味しかった。

高級料理店で食べて、唸るほどの料理を食べた時のおいしさとは全く違う。

寒い中、解体を教えてくれながら、その後も数時間台所に立ち続けてくれたツチヤ氏が作ってくれたカチャトーラは、私が解体したアライグマをツチヤ氏が調理するというある種の友情の証の様な、臭い言い方をすれば確かな絆を感じるような、そんな料理だった。

ガツンと香るニンニクとトマトの奥にふんわりとローズマリーの清涼感あふるる香りが漂う。

一口放り込めば、しっかりとしたアライグマと野菜の出汁のスープが口の中いっぱいに広がって、尚のこと食欲をそそらせる。

まずはアライグマの肉を頬張ると、じんわりと滲み出る脂に、煮込みが故に柔らかいながらも、軽快に歯を押し返してくるような楽しい歯ごたえは、食に対する飽きを感じさせない。

少し脂身の多い部分を食べれば、豚の角煮で感じるような甘いとろけるようなくちどけと、しっかりとしたジビエたる肉の感触を同時に味わえる。

ある程度そうやって楽しめば、ツチヤ氏がおすすめする、ご飯にかけて食べるというのをやってみる。

一番イメージしやすいのはやはりカレーだろう。

カレーはスパイスが主役の中で、野菜や肉の出汁が出たルーをご飯に合わせて食べるが、カチャトーラは違う。

やはり主役はアライグマだ。

しっかりニンニクやトマトなど、香りの強い野菜で匂いが抑えられてはいるが、確かにアライグマの香りがする。

その切り込み隊長とも言える、芳醇なアライグマの香りの後から、人参や玉ねぎなどの野菜の甘みや深みが追い打ちをかけてくる。

もちろん今回は白米もいる。

日本人の心を数千年掴んで離さない彼らの力は、イタリアンであるはずのカチャトーラの中でも健在だ。

津波とも言える旨味は、喋ることを忘れさせ、無心にそのカチャトーラを食べることだけを集中させる。

ほっぺたが落ちるとはまさにこういうことだ。

本当に美味しかった。

先生

小学生の頃は気になるあの子との適切な付き合い方を。
中学生の頃は目まぐるしい変化に対応する方法を。
高校生の頃はこれから来るであろう険しい道の歩き方を。
大学生では、より良い幸せを手に入れる方法を。

知りたかった。

もちろんどの教育機関にも先生という存在はいたが、本当の答えを教えてくれた人は何人いるだろうか。

中高生の頃、水泳を行っていた私にとって、なるべく速く泳ぐということを教えてくれた先生は二人いる。

しかし、それだけだ。

気になるあの子との適切な付き合い方も、目まぐるしい変化に対応する方法も、険しい道の歩き方も、より良い幸せを手に入れる方法も教えてくれる人はいなかった。

だが、彼は違う。

河原で寒くとも楽しく、今日の夕飯を美味しいものにするために。

初めて会った私に丁寧に。

教えてくれる彼は先生だった。

臭い言い方をすれば師と言おうか。

ああ、これが正解なのかと。

コンクリートジャングルが嫌いで、アスファルトが嫌いな私にとって彼の口から紡がれる一つ一つの言葉達は、今まで出会ってきた大人たちのどれよりも深く心の中に沈んでいった。

ひきこもりという世間からしたら、よくは思われないであろう称号をわざわざ冠して活動する彼の勇気たるや。

良い大学や、良い高校を出ているのに関わらず、知りたい子供の答えを教えることが出来ない人達より、どれだけ良い先生だったか。

答え

帰りのバスでゆっくりと都会になっていく景色を見ながら私は、昨日、今日の体験をゆっくりと思い出していた。

今まで求めていたこと。

自分が楽しいと思えること。

答えはここにあった。

就職活動という一生を決めると言っても過言ではない競争に、友人たちが白熱しているなか、遊びに行くと揶揄されながらも訪れた檜原村には私の答えがあった。

生憎私はツチヤ氏のように強い人間ではないから、世間体という誰が決めたかもわからない尺度にある程度は従い、これからも就職活動は続けていくだろう。

でも都会が嫌いな私にとっての最良の答えはやっぱり、確かに自然の中にあった。

私の貴重な経験と答え合わせの為に命をくれたアライグマと、そのワガママに付き合ってくれたツチヤ氏に、改めてこの場を借りて。

本当にありがとうございました。

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