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SABRINA vol.11


今日は10月23日なので一応僕の誕生日なんだけど、僕はあんまり自分の誕生日に興味はなく、むしろSNSなどで発信してしまうと微妙な関係の人でも返信しないといけないような空気が流れている気がして何だかする気が起きない。

今のところ朝っぱらから銀行に行って手続きをして、家に帰ってから1人で黙々と絵を描きといつも通りの感じでいるつもりではいる。
だけど、段々とせっかくの誕生日だから1人ではもったいない気もするし、誰かに会いたいような感覚になる気もするし、そういう意味では主観的には興味がないんだけど世の中の誕生日のイメージとのギャップに困惑しながら24時間過ごさないといけない不思議な一日とも言える。

日付が変わってから僕に「おめでとう」を言ってくれた人が女性が4人と男性が1人だった。厳密に言うと、僕の誕生日の日付を知っている人は他にもいるかもしれないけど行動に移してくれた人が合計5人ということなんだと思う。
そして、今男性がもう1人増えて合計6人になった。(じわじわ増えるのかな。)
僕より僕の誕生日を大切にしてくれてわざわざ意外にめんどくさい連絡までくれる人が7人もいるなんて僕からしたら物凄く嬉しくてこちらもめんどくさくならない心地の良い人数だと思った。
そこまでして貰えるようなことを自分がしてるかどうかで言えばそうじゃないなと思える人しかいなかったので、そういう意味では自分が恩を感じて大切に思える人が可視化された良い日なのかもしれないと思う。

なぜかわからないけど、母親から連絡は23日の前日の22日に来た。
酔っ払ってるのか何なのかわからないけど、とりあえず前日に来た。
一度子供を経験したことがある人なら誰しもがギョっとするような内容が書いていた。正直言って代理人やら何やらに返答しといて欲しいぐらいの感覚ではいるけど、とにかく直接的に会話をしようと思わない。
ここで一応他の人が読んでもわからないけれど簡易的に返そうかな。

まず「私の海里」といっても僕はお母さんの物でも何でもない。
一度、お母さんの体を通っただけで、それでは何のためにヘソを切ったのかわからない。その感覚が子供を私物化して永遠に人を苦しめる怪物となったとしか思えない。僕は人間だから物でもないのでどこにも属さない。
多分人に許しを請うにしては人の人生をあまりにも大きく変えすぎた。
それだと常に被害者の人が許したり変化を求められることになるからするべきじゃないと僕は思う。
謝ったところで怒ったところで許したところで起きたことはなくなることはないからもう各々で頑張るしかないってのが僕の意見です。
貴方たちは僕に連絡はしないと言った。
僕は自分から貴方たちに連絡したことはない。
だからそれでいいと思ってます。
僕ができる親孝行は家族に意識を向ける時間が惜しいほど何かに向かって邁進していくことです。
僕にとって一番とてつもなく自分からエネルギーが湧いてくる瞬間は家族を思う時です。それはもしかしたら怒りの感情かも知れないけど、僕が一番エモーショナルな感情に陥ることは間違いない。
でもそのエネルギーを上向きに変えるだけで何か成し遂げたり他人に良い影響を与えるかもしれない。そうすると僕の家族は肯定されるかもしれない。
その怒りから肯定へと変換される理不尽な循環でしか僕が家族に何かできることはないと思ってる。それでいいんだと思います。
悪人は確かにいない。ただ僕はたまたま強かった。
それが確認できて次に何かできる日であれば僕は充分です。
僕より両親のほうがもしかしたら特別な日かもしれませんね。
産んでくれて育ててくれてありがとうございます。
ではでは。

2023/10/23 PM14:33