見出し画像

プロセカ読んだ

懐かしい気持ちになった(第一声)

画像貼りたいとこですが、公式が「4写以上のスクショ(に該当するログ)はダメ」って言ってるから、まだ貼れないね。

彰人がぶつかってたもんの正体はすぐに分かりました。つか合唱部が知らないんじゃお話にならないですね。
私が「上手い弾いてみたさんは大勢いる。でもそやのトップクラスは、私の心を震わせない。無名の弾いてみたさんの方が、よほど私の心を掴んだ」って言ったのを聞いたことある人は聞いたことあると思います。同じです。

うちの合唱部のお話しをしましょう。
夏季に大会があり、『課題曲』『自由曲』の2曲を歌います。課題曲は出場校全員が必ず歌います。
自由曲は出場校それぞれで違います。

私の年の課題曲は『きこえる』。

自由曲は『Believe』。

先生もよく選んだなこの対を。
まあ今は置いておきましょう。

うちの顧問という人は、歌の背景を説明する人でした。あの先生社会科だったっけ???
部員は全く聞いてませんでしたが、私はクソ真面目に聞いてました。校長の長話聞いてるタイプですね。

ベルリンの壁がなぜ出来たのか?
なぜそれを壊すのか?
その国にとってそれはどんな意味があったのか?
そんな話を聞いて、まぁまだ10代の若造でしたから、正直に「分からん!!!!」と思いました。

なので、練習時間以外は図書館に入り浸って『ドイツ』だったり『ベルリンの壁崩壊』だったり調べたり、顧問に聞きに行きました。
油泥の渚ってなんだろなとか。
そしたら、戦争とか原爆の話に詳しい社会科の先生に繋いでくれて
とんでもねぇ恐ろしいものを見ました。

きっと、活劇の和泉守が青い瞳に映した怒り
そんな光景が。

当時から、わたしは『歌は、技巧も勿論必要だけれども(金賞常連校はヤバかった)、感情が、光景が、聴衆に届かないなら意味はない』と思っていました。
この頃だったかな、「神に、宗教に縋ることで生きてきた。人々が希望を失わないために続けたのが歌(讚美歌)だった」を知ったのは。
なんかの書物で見ました。

いつ爆弾が落ちてくるか分からない。
油泥に塗れた川に住んでいた鳥は空に帰れない。翼が重い。水ですすいでも取れない。
体が(原爆で)燃えて、『喉が渇いた、たすけて、たすけて』という子どもに、もう助かる道はない。水があっても、体内の水分が足りない。内側から焦がされる。熱した鉄板にビーカーの水を垂らしてなんの意味があるだろう。
そうやってみんな、水を求めて水辺に集まり、死んでいく。川は死体だらけだったそうです。

『空をください』『森をください』『歌をください』
『何も出来ないこの部屋で、ただ膝を抱えて蹲っている苛立ち』

空を返して!
燃やすのは一瞬でも、戻るのは何百年もかかるのに!
どんな希望を持てばいいの!
何も出来ない、こんな悔しいことはない!

わたしたちのいきてきたせかいを
かえしてよ!!!

歌もトランス型なので、顧問からは
『お前の歌は、当事者か当事者家族が歌うような、悲嘆に満ちた歌に聞こえる』と言われました。
それが正解かは分からんけど。
ただ、ひとつ言えるのは
金賞常連校の課題曲には勝ったそうです。自由曲でボロ負けしたらしいけど。
金賞常連校は、綺麗で、美しく、足並みの揃った、『合唱とはこうでなくてはね』という狂いのない歌です。もうどんな練習してんだと思いましたww

でも、課題曲は泥塗れの曲です。
美しく、行儀よく、音が耳に心地よい合唱を
求められていない。
狂気の沙汰のように暴れ狂う感情の奔出。
理不尽な命の略奪への怒り。
その象徴だった壁の崩壊。

合唱はしないといけません。合唱コンクールなので。()
その合唱の中で、ある種のミュージカルのようなものを求めてくる。歌えばいいわけじゃない。声が美しければいいわけじゃない。
血塗られた歴史を、表現するものだったんです。


さて自由曲ですね。
こちらは知名度も高いし、顧問からの説明は無かったです。
なので、うちの学校が敗退したのはもう決定事項に近かったんですよね。この年だけ銀賞を取ったと狂喜乱舞してる先輩見たけど。
歌にどんな気持ちを込めるか考えてない、ただ耳障りのいい曲を目指している、そんな本気の集団ではない私らが万年ドベって当たり前だわ。

『きこえる』と打って変わって、もはや逆じゃんみたいな曲ですよね。
希望を歌おう。泣いている人がいたらそっと傍に寄り添おう。君が笑えるようになったら、わたしも一緒に笑うよ。
顧問が何を思って選曲したのかは知りませんが、もしかしたら地続きで歌わせたかったのかもしれません。

戦争で疲弊した人たちがいる。
その人たちはまだ泣いている。
平和な時代に生まれた私たちには、悲しみを共有は出来ないけれど
そばに居ることと
また笑える日が来たときに、一緒に笑って、良かったなぁと思うことは出来る。

まあ10代のボンクラの私にはそんなもん分からんかったので
ただ、包み込むように歌いました。
痛かったね。もう大丈夫だよ。
私がそばに居るからね。
つらかったら泣いていいからね。
その時は私も一緒に泣くからね。
その分、笑える日が来たら分かち合おう。
一緒に笑おう。
今は痛くて苦しいね。つらいね。
でもいつかは笑える日が来るように手伝うね。
あなたが笑ってくれたら、わたしはとても嬉しいから。

結局、わたしはトランス型なので
顧問に『お前の歌はどうなってんの?』と言われました。知らんがな。
顧問的には『今、未来の扉を開ける時。悲しみや苦しみが、いつの日か喜びに変わるだろう』のところが、『きこえる』の喉を掻き毟るような悲痛な声と逆で、『そんな世界になるよ。望んでみてほしいよ』みたいな言葉に聞こえたそうです。

だって、歌って、そういうものじゃん。
技術はあんまなかったよ。
透き通る声とか、お腹から出る遠くまで通る声とか、メゾソプラノ~テノールまでをガクンガクン上がり下がりしてもついていくし、16小節ノンブレスも出来たよ。

でも、技術は、無かったよ。
私にあったのは、表現力だけ。

話がいきなり戻りますが
技術を先に磨いてきた彰人が、表現力の方にもシフトし始めたのかなと思うと
それは強いと思います。
先述の通り、「上手いだけの人はいくらでもいるが、私の心を掴まない」。
世間がどれだけ持て囃しても、本人は至って真剣で全力でも、伝わらないものは伝わらない。
私の心を掴んだのは、無名のピアニストです。
要するに音だけです。
歌詞もない。表情もない。旋律だけです。
それでも私は心を掴まれた。

ビビバス、がんばれ。


以下余談
この『聞こえる』、うちの子の「櫟朱実」にも少なからず関係しています。
わたしよくアチラサマの話をすると思います。
1回、どうしても来て欲しいと言われて、電車で片道1時間半(徒歩含めて2時間)かかる神社様に行きました。
『こっち、こっちに来てくれ』と言うので、従って行きますと、奧神籬に到着。
待ってくれ本殿には神職しか立ち入れないからってこんなとこ呼ばんでも。

ご所望は歌と踊りでした。
踊り子の一族では無いので、剣舞しか出来ませんよと言ったら、その方が都合がいいと。マジか…。
歌はと聞いたら、なんでもいいと言われました。
歌はたくさん知ってるんですよと困っていますと、『お前なら、歌うべき歌が分かるはずだ。歌い方も分かるはずだ。それ以上は必要ない』と。マジかー…。

結局のところ、それはその神様に捧げるものではなくて、戦死して未だにそらに還れないひとたちのためのものだったようです。そりゃ剣舞の方が都合はいいよね。
命を落とした武人に、どんな礼儀が必要かくらいは、わたしでもわかります。でも、そこを護る神様としては、定期的な儀礼の鎮魂では、戻れる魂は全て戻ったから、もう意味は無いと。
武家の末裔で、歌の意味を、世の理を、魂の在り方を、迷える魂の求める色を理解出来る
そんな人間が、もう巫女に居ないのだと。

そんなんあんまりやんなと思って、葬儀士の朱実を生みました。
魂の循環を助ける者。
地に楔穿つ呪縛を解く者。

歌は自由なものです。
誰もが本当はそれを知っている。
まほよめでリンデルが言ってましたね。

還れない魂に、捧げる歌を。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?