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過ぎた自責が他人に作用する

日本人は慎ましいが故に、自責傾向が多いとか何とか言いますね。統計見てないから知らないのですけど。
そのあたりの所感について書きたいかなと思います。

自責の起因こそ様々あれど、「責任を感じること」と「責任を自分のせいにすれば解決した気になること」「責任を感じすぎて混乱すること」「責任を感じすぎて話の要点を見失うこと」は別物です。

責任の所在はケースバイケースなのでさておくとして、後半の、「責任を感じすぎて」は、自分だけではなく相手にも作用します。

私で言うなら、
①責任を負い過ぎて混乱し、話の継続が不可能になった。(続けると精神障害になるため)
その場合は話を打ち切ります。相手が話をしたがっていても、差し障るなら断ります。
繰り返しますが、私は精神障害者製造マシーンにはなりたくないのです

責任がその人にあるのは誰から見ても明らかであっても、こんな暗闇に放り込むくらいなら、私が死んだことにする方がよいのです。
そうすることでその人の責任は帳消しになる。
エゴであるとは理解しています。
それでも精神障害者製造マシーンにはなりたくないのです。

この場合、責任を果たせないため、相手に全ての責任を負わせる形になります。

私のエゴは容赦です。なんの得にもならないものです。時には相手を甘やかして、二の舞を再発させても責任転嫁になることがあるでしょう。
それでも、友人をこんな暗闇に招きたくないから。
正しい処置は『罰してきちんとさせること』であるとは理解していますが、出来ないものは出来ない。

私があなたの代わりに病むだけです。
それを望まないなら、自責から離れる力を身に着けて。
あなたの自責は何も生まない。

②責任を感じすぎて要点を見失うこと
自分の責任だと理解していて、謝罪もしているけど、落ち着けなくて、話が困難な人です。
混乱しててとか、涙が出てしまってとか言います。
3回目ですが、私は精神障害者製造マシーンにはなりたくないのです

不安になると、話がとっ散らかります。
あれも心配これも心配、何をしたら許されるのかばかりになって、話が逸れていきます。
その不安を取り除くために我慢をするのは私です

メンタル粉々になってる精神障害者の私が、相手に配慮しないといけなくなります。
別にしなくていいじゃんと言われたらそれまでですが、私はそうしたいのです。
責任を負うべき側が不安で支離滅裂になるのを、精神障害者側が我慢して配慮する。変な構図になります。

責任に対して過剰な人は多く見てきました。
謝らない人はどうかと思いますが、謝れば万事OKなわけでもありません。謝るべき人選を誤らず選択し、関係者をきちんと集めて話をして、謝罪と可決されるならそうする、妥協案というならそうする、選択することを丸投げして謝罪するのが誠意ではありません。

誠意をもって謝ったなら、堂々としていればよいのです。
でなければ結局その責任は私預かりになります。
だって相手が責任を背負えないのだから。
背負える人間が精神障害者であろうと、そうしてケリをつけていくしかありません

③そもそも負わせてない責任で潰れる人
なんかね居ますねこういう人。
自分の遺言マガジン書いてればいつかは書くと思いますが、「重いなら背負わなくていいよ」「無理に対応しようとしなくていいよ」「しんどかったら断っていいよ」と幾ら言っても、私の荷物を持とう持とうとして、最終的に潰れてしまい、八つ当たりかます人です。(この子が同県だから多分雨が止まない)

自分が味方でいてあげなくちゃとか
何かしてあげなきゃとか
お節介を跳ね除けたりはしませんが、
それがいつしか形が変わってしまって
自責に似たような他責(一応自責)に苛まれてしまっては、なんの意味もありません。

八つ当たりされんの私だもの
そんな自責いらないですよ。


自責とは、反省の意を示すものです。
自罰の域に入ってしまう自責は、自分のためにも、相手のためにもなりません。
相手が「もう知らない!」と言ってくれるなら話は違うでしょうけれども、極稀に私のようなエゴイストはいますから、あなたの自罰はそのエゴイストに全て持っていかれます。

命を代償に金銭を帳消しにするか。
相手の将来を潰さないために自分が病むか。
八つ当たりを許すために縁を犠牲にするか。

自責の代償を身代わりに払うエゴイストもいるのです。
それは本末転倒です。わかっています。
責任がある側に責任を取らせる、それは普通のことです。
4回目ですが、私は精神障害者製造マシーンになりたくないのです
だから、自分が負わなくていいものを負います。

自責が過ぎるというのは、相手にそういう目にあわせるということです。

自分を責めることと、反省することの線引きを大事にしましょう。
ダラダラといつまでも自分のせいにする知り合いを、見ていたくない。そんな感情は私以外にも持つ人はいるでしょう。
病んでいく人に向かって、指差しで「あいつが悪いの!」とか言いたい人は、正直、人格を疑います。
相手をそんな愚者にしたてあげるのが自責でもある。

責任は責任として独立する方がよいものです。
整理整頓して、自責からなるべく離れましょう。

他人から植え付けられた自責(一種の暗示に似たもの)は、ちょっと難しいことですから、今回は言及しません。
精神障害の自責は根が深いので。

5回目ですが、私は精神障害者製造マシーンになりたくないのです
過ぎたるは及ばざるが如しといいます。
分別をつけましょう。
それが、「お互いにとって」よいです。

責任感のある人は、悪いことではありません。
むしろかっこいいですね。
誠意も感じられます。

自責自罰ばかりの人は、心配にしかなりません。
不憫で憐れです。悪く表現するなら、情けないです。
そんな状態では、誠意は伝わりません。感じないんじゃありません、伝わりません

自分の望むゴールをイメージして。
深呼吸して。
自分を悪様に言う「自分」を黙らせる。

大事なことです。

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