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深掘り作業

生理前なんでナーバスにはなりそうですが、生理重過ぎくんだからどうせ動けないし
あれ今日食べる日だっけ?
飯食えないんだけど(動けないから)
役所はヘルパー出せないと鼻で笑うしなぁ公務員仕事しろ。どこの悪役令嬢様なんだ野郎の集団で鬱陶しい。
メール窓口の方は「受けられます、対応が悪く申し訳(以下略)」って感じだったけど。代わった方がいいんじゃね。まあもう助けてって言わないから死んでたらお前らのせい

誰かいればなぁ、とは思ったものの、
「降りてこない」(※無理)って母親に言うだけで私の部屋をノックしにも来ない父と、一人暮らしは何も変わらないし。
携帯持てなくなるからね。なんなら指一本しか動かなかったり、2日くらい気絶(出血過多)してたりしますから、「ご飯くれ」って命令しないといけないのが無理なんですよ。分かります?普通なら頼みますよね。頼むんじゃ分からないらしいんですよ。命令しないといけない。しんどい。

かといって私に入れ込みが強すぎると、些末な失敗をいつまでも引きずって、そこに居るのに面倒見ないで逃げるので、まあどのみち変わってない。
ああ他人に期待することのなんと無駄なことか。
でも私の体は他人を頼らないと維持できないポンコツだし、私の体がポンコツだと周りは理解しない。
酷い腹痛に襲われたとて、4文字をからがら吐いたとて、返ってくるのは「で?何すればいいの?」

それを指示できる状態に見えるのか。
指示されないと何も分からないのか。
そりゃ確かに急性の腹痛とか捻転なのかとか生理痛なのかとか見分けはつかないよ痛がってるだけだからね。でも痛がってるのはどう見ても分かるだろ冷や汗かいてるんだぞ??なんなら呼吸のリズムも狂ってるはずだけど??
座り込んで、お腹抑えてて、冷や汗浮かんでて、息が上手くできてない人間に「で?何すればいいの?」頭着いてるの??

噂程度に、知能指数がかけ離れていると会話が難しくなると聞いたのを、ふと思い出しました。
噂なんて噂です。根拠を聞いて納得したわけではない。ということで調べてきてみました。
今やっても知能指数高に属しており、昔は確かギフテッド……?だったかな……?なんか言われたことがあります。まあザックリ言うなら私が高い方。
となると、揉めたりしてる方が平均か低い方になります。

かくあるべき思考はない……ない……こともないか。薄い方なので、「なんでこんなことが分からないの!」はあまり言いません。公務員は仕事
しかしまあ、私には「呼吸状態で、過呼吸なのか、喘息なのか、乾咳なのか、風邪なのか」を聞き分ける能力がありますが、それを他人に求めはしません。だって自分の体験が地盤だしな

しかし、熱で顔が赤いとか、ぼーっとしているとか、事実的にお腹を抑えて苦しんでるとか、視覚情報で明らかに判別できるものは、そもそも土台の問題です。「どうしましたか」「寒気がしますか」「集中力が切れますか」「どんな痛み方をしますか」くらいは、童でもないなら分かろうと思うのですが。わからんものなん??

私が区分してるのはそこだけです。
「目に見えてわかる」のと「知識や体験があるからわかる」は軸の違う話です。
知識や体験からくる処理能力の高さは他人に投げつけるもんじゃあない。
実習中に「普通は分かるでしょ」と言われたことがあり、それは確かに普通でしたが、親に蔑ろにされてきた私にとっては普通ではなかった経験があるからです。

「普通は分かるでしょ」は割とキツい言葉です。
地方によって違うとかありますからね。
本州の人間が北海道の方と話をすると、話がややズレるとかあるように。
すごいねあっち冬がヤバすぎるから、休暇は長くても外出ができないらしい。不便そうだ……。

さて、話が逸れましたが。
そんなことを調べていました。

身に覚えのある悩み項目だ。

すごく身に覚えのある結びの言葉だ。(論理的に喋るので、最初は違うかな違うかなで読みますが、最後にああそうだわと腑に落ちます。)

で、そういう論述をしますので、ここが日本であることと、相手が感情優位なのを加味すると、「最後まで話を聞かない」は成立します。

日本語は諸外国より難しいとされています。
簡潔に言うと、文法の並びが違うためです。

英語。
「I(主語) disagree(述語), I think(以下補助)~」

中国。
「不是(述語)我的(主語)想法(主旨)。」

日本。
「~~(前置きが長い)、~~(根拠説明も長い)、なのでそう考えません。(主語がない、述語は最後に来る)」

「人の話は最後まで聞け」と言われますよね。テストの問題も最後まで読めとか。
他国は述語(要点、結論)が前に出るのに対し、日本は最後尾につきます。
そのくせ日本人というものは気が短く感情的なため、述語に到達する前に気になる言葉があるとそれ以降が頭に入らなくなります
例えで言うなら、考えが違うので、どこかに否定語が入るでしょう。否定語に気を取られるため、根拠などを示しても頭に入らず、『否定された』とだけ認識します。めんどくさいね。

じゃあ否定語を最後に回して話せばいいか?と言うと、最後まで聞かない。話が長いので

じゃあ端的に言えばいいかというと、短く纏めすぎて、今度は邪推が入り込む余地が出来る。めんどくさいね。
自分の考えを否定されたくないという日本の風潮のせいかなと思います。米とかは否定されてなんぼ、喧嘩上等、口論を重ねるから分かり合える。みたいな風潮があります。体感だけど。

でも確か自殺に関して調べてた頃に見たので、相手と分かり合わない環境にいることが統計的に自殺にも間接的に考慮の余地がある、なんかそんな感じです。すみません卒論の時には200冊近く速読したので、全部を熟読は出来てないですが。
パーソナルスペースだとか、友人間の関係構築だとか、他者への信頼に基づく悩みの軽減みたいなのを片っ端からひっくり返していったんで……。

話戻しましょう。
とりあえず。
IQの高低とか気にしたくないし、友達に優しくしたいのは当たり前だし、そこらへんは特に問題ないんですよ。ただ結局、『相手に伝わる程度まで語彙を崩して』、『伝わらなければ色々取り替えて説明をする』けど、『最終的に相手が話を聞かない(分かるように言えだったり、邪推だったり)』されるから、『こちらはヘトヘトにしんどくなってしまって』、でも『説明をやめたら「ほらみろお前が悪いんだ」って言ってくる』ので、もう疲れてんのに失望叩きつけてくるやつの頭の構造に合わせるのが面倒になる
論理的に話せとは言わない、論点は合わせてくれ。ってわけですよね。
最近の人ホント論点があってないったらない。
直近で言うなら『こういうことされたら嫌です』と表明してる人が嫌がることしてる、要は地雷の真上に立ってるくせに、『その人のために言っている、お前が悪い』と言ってくる人ですか。
勘違いに勘違いを重ねてリアルの鬱憤が出ただけでしょうが、いやそもそも論点そこじゃないんだよな……。ってなる。
その人のために言ってる自負があるんですね?よろしいです。じゃあその人もいる場で話しましょうか。って言ったら黙るんですよね。
なんで黙るのでしょうか?って話ですが、見苦しい言い訳をするばかりで、『で?誰のために言ってたんでしたっけ?スクショ出そうか??』ってなるわけです。
完全にあちらの邪推ですから、身に覚えのない侮辱です。めんどくさ。

私から見たら知能指数はあまり高くない友人とよく話をしていた頃があります。たぶんあの子は100行かないと思う、タイムオーバーも絶対する。でも論点はズレにくかったため、会話は出来ていました。だから高低じゃないんだよね。『何の話してるの?』が分かるかどうかだけ。
逆に言えば、知能指数が明らかに低い友人より、知能指数は平均くらいはあるだろうという友人の方が、話が通じないんです。おかしいね。
まあその、低い方の友人は多分、『自分はあまり物事を捉える能力に長けていない』と自覚があったからでしょう。驕ることがなかった。
驕りが高いのは平均値の人間の『誰かのため(自分を含める)という免罪符ありきの発言』です。めんどくさいね。

あとは高過ぎてもダメな気がします。
うち、母以外は学業成績のいい集団で、5段階評価なら5、英語評価ならSしか成績表にないみたいな家庭です。兄貴のは見たことないから断言はできませんけど、私の大学の成績表でS以外は四年分で2教科だけでした。
1人は他人を下に見るのが好きな講師なのでまぁAがついてるだけマシですが、専ゼミのA評価は「伸び代があるのに天井評価したら伸びないでしょう?(意訳:あなたA評価だと満足しないでしょう?伸ばしてね)」だそうです。
鬼畜な副学長をゼミ担に頂けて幸せですありがとうございます。S評価に慢心したくないのでお望み通り学び続けます。(えがーお)

さて話を戻します。
確かに高低で疲労度が格段に違うのは認めるし、話が出来てるからって他の場面で疲れないわけじゃないけども、会話ができないと決めつけるのも実に短絡的。
とか甘いこと言ってるから疲れるんだろうけど、じゃあ100人中99人がコレと言うなら100人中1人しか理解できないし、その1人が気が合わないとかあるわけだ。
端的に仮定で言うと、うちは母が80、父が100、長男が130、次男が120、私が115としよう。
私と近いのは次男だよね。でも私と話ができるのは長男だけなんだ。論理の展開方法の気が合わないので、特に次男は全く。一般人の蔑視が可愛いレベルで無理だ。アレと分かり合える日は死んでも来ない気がする。

だからかな。高校の私が1回思ったことがあるんですが。
当時、仲のいい男子がいました。でも学績は平均よりやや下で、AO入試とかに使う志願書を30枚もボツにされてる子でした。対して私は1枚書いて終わりです。
差はわかって頂けると思います。
まあ高校生とはいえ、受験を控えた思春期ですから、「頭のいいにゃーさんには分からないよ!!」って言われたことがあります。
残念なことに、数日前に次男に「頭の悪いお前には分からないよ」と言われております。

低いからって、低い方にいるのが楽なわけじゃないし。高いからって、高い方にいるのが楽なわけじゃない。
確かに疲れます。貼り付けたリンク先の方が『毎回毎回毎回毎回』の次に『毎回毎回毎回毎回毎回毎回』と数を増やしてる理由も分かります。
その人にとってはただの一度、私にとっては何万回目です。万が一とはよくいったものですね、その万が一が来た時に、他人は掌を返して嘲笑うのです。ほらこういう奴だったと。
今まで説明を噛み砕いて噛み砕いて話してもらってた身の人間ですら、「そんな人だとは思わなかった」とか言うのです。
噛み砕くのに苦心する私たちを信じずに、ただの一度膝をついただけで指差して踵を返すのです。

疲れるんです。本当に。
何なのって感じ。
でも、噛み砕いて言う人は、私はちょっと外して言いますが(自己評価できないから)、優しい人が多いと思います。
わざわざ膝を折って、相手にわかるレベルにすること。相手の歩調に合わせて歩くこと。疲れるんですよ。それでもやりたいんですよ。
だって友達とか家族ってそういうものでしょう。
大事にしたいと思うのは普通ではないの?

蒼伊『逆行した悪役令嬢は、なぜか魔力を失ったので~』KADOKAWA

この前の通院の話を、たまに手伝いに来てくれる友人にしました。
「話の通じないお父さん、そのままの父親と、どうしていくのか」を
友達は「話が通じない、分かってくれない、をそもそも大前提にしないと帰れないのか」と取りました。

そうなのかもしれません。
家出すればちったあ反省しないかなと思いましたが、『家出された当時のショックからまだ脱出していない』のが現実です。
母はまぁ会いたいなぁと言ってるので、会えば謝罪程度はするかもしれないし、しないかもしれないですが。服薬で八つ当たりした記憶がないとか言ってましたからね(謝罪はされましたが)、何を言ったから私が傷ついたは分からないのかもしれません。

父に至ってはもう心臓に毛が生えてるのかなってくらいデリカシーがないから無理かもしれない。
ああうん、無理かもしれない。
私の友達を「いつも来るデブ」って言ったもんな。謝らなかったからまだ許してないぞ??
母さんに「さすがにお友達をデブ(蔑称)呼ばわりされたら、にゃーだって無視するわよ」って言われて縮んで反省してましたが、反省したのを認めただけですからね。
ちなみに一週間も無視したので、3日の修学旅行とかでも「にゃーが居ないってうるさかった」とか言われる父には罰にはなったはずですが。

3日の修学旅行が無理なのに、1年家出してるわけですが、いつになったら帰してくれるの?
また私が屈まないといけないの。そうなんだろうな。
傷付けられた側だって主張していいんだって周りは言うけど、

ということなので、きっと私が『目的を達成する』ためには、私が諦めるしかないのです。
そんなエネルギー、今は無いけど。

これからも疲れる人生を送るんだろうな。
他人に勝手に指さされて嗤われるんだろうな。
邪推まみれの他人に嫌気がさすんだろうな。
邪推してるくせに邪推してないと信じてる人間を、相手にしていくのだろうな。

疲れたなぁ。

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