『あなたの感情の定義が分からない』とよく言われる
そんなもん人に寄るってのが正直な感想ですけどね。
特に私は愛に特化して、憎しみが欠落しているから、他人を許さない、憎みながら生きていく、嫌いになる、それで乗り越える人には理解されません。
私は理解できるけどなぁ。
別にいいじゃん、嫌いになっても。
私ができないというだけであって、他者もすべきではないとかご大層な詭弁を言う気はありません。
それではまずこちらから
私はこれをとてもよく考えます。
例えば、うち中学は1組に3人はいじめられてる子が居るようなとこでした。
いじめてる側がどう感じてそうしてたかは知らんけど、いじめられてる側はつらそうにしていました。
私もいじめられてる側でしたけど、3人いるなら残り2人の話が聞こえますよね。俗に言う、根も葉もない噂というやつです。
『~なんだって』という、不確証な言葉が飛び交うことが、私には大変謎でした。
友達から聞いたから鵜呑みにしましたと言わんがばかりの、『噂』というもの。
そもそも、それがマイナスなイメージだったから、じゃあなんだというんだ?
というのが、当時の私でした。だから浮くんだな。
話が一旦逸れますが
当時、私には『翼』と『つばさ』という友人が居ました。『翼』は日本人ですが、『つばさ』は留学生なのだと聞きました。
外国という概念が薄い小学生の私は言葉選びを間違えてしまって、『外国人のつばさ』は受け入れて貰えなかったと感じたような反応をしました。
友達を傷付けたのだと反省しました。
その人をよく知りもしない私が。
私の価値観だけで相手を決定する。
そんなものを嫌だと思うようになります。
これ、
『噂』もだと、思いません?
『~なんだって』という、鵜呑みで相手を決定する。
よく知らない、なんなら話にあがるまでクラスメイトとしてしか認識してなかった人を。
奇しくも、そうやって『~なんだって』という人のどのくらいかは、嘲笑いながら言います。
子ども心ながら、不快で気持ちが悪いなと思いました。
なので、私は『噂』は鵜呑みにするのではなく
確かめに行くものとして扱いました。
たまに止められることもありましたが、多くは反感を買いました。まあ悪口を言う仲間を増やしたいですからね、挙動不審ですよね。
そういう意味でも嫌われました。
クラスメイトも大体は曲解や誇張による邪険の的になっていただけなので、いじめられっ子同士友達になるなどしましたが
なんかいつの間にか気にしない組で休憩時間一緒にいるよね。主に男子。
具体的な話をひとつしましょう。
その子はもう新しい家庭を築いているので。
私がいた部活には、不登校の子が居ました。
よくてもカウンセリングルームか保健室で、まあ大体どちらにも居ないけど
部室にだけは来てくれるようになって、一時期はそれでいいじゃんと思っていましたが
無神経な後輩は邪魔だと言うのですね。
ごめんな私から見たらお前の方がクソ邪魔だったよ。部活に勤しまないお前が部室に来てるだけの人をなんで悪し様に言って許されると思ったの?
真面目に練習してる奴が不服を言うなら多少は考えたよ部長だったからな私。
お前サボってたじゃん。
どの口が『練習しないなら来ないでください』なんだよ。じゃあお前も帰れや。
部員からも邪険にされたので、その子は部活にも居場所がないと思い始め、同級生内ではちょっとした大慌てになりました。
別にね苦しんでまで学校来なくていいとは思うんですよ。登校拒否をダメとか思わんよ。
でも、頑張って登校したのに邪険にされるとかさあ、人間汚ねえよなぁ。
その胸の中に道徳倫理ってものは入ってねえのか?
そんなこんなで、友人のメンタルが危ぶまれることは何回もあって
1回、ちょっと授業に遅刻したことあるんですよね。数分だから先生来てなかったか見逃してもらえたんですけど。
その時も『あんな奴のために走り回るとか、無駄じゃね?授業遅れてさぁ、カッコ悪~。』って言われましたね。
喧嘩か上等だ買ってやるぞと思ったら、そいつの横の席の女子が引っぱたいてました。早い。
『他人の問題につべこべ言うな、みっともない。』
そりゃそうだ。
とりあえず殴ろうかと思った矛先は下ろしましたが(※殴って土下座はさせる気だった)
言わないと釘はさせないので、つかつかと歩み寄って
『私の友達の大事なことだ。侮辱するなら喧嘩は買ってやる』
とだけ言ったら、しおしおになりました。
まあこいつ前科持ちなんでね。
前述の通り、1組に3人はいじめられっ子がいるクラスです。もう1人が私の友人でした。
まあこの子に余計なトラウマ植えられたりしましたがそれはまた今度にするとして
友人が聞いてるの分かってて、私の前で、その子をディスったことがあるんですね。
つくづく人間てのは汚ねえよなぁ……。
丁度、彫刻の時間(美術)で、机が木製(綺麗に整ってる木製じゃなくて、なんかこう、丸太。)だったので、持ってた彫刻刀を思いっきり机に突き刺して
『まだ言いたいことがあるなら私が聞いてやろう、体育館裏にでも来い』って言ったら黙ったんですよね。
この程度で女子(※私は女です)を怖がるなら、言わなきゃいいのに。悪口だけは言いたいのね。汚ねえよなぁ(3回目)
さて冒頭に戻りますね。
美しくもあり、汚くもあり、愚かでもある。
矛盾した悩みで自分を追い詰めて泣く子もいる。
(私がいじめられっ子ということは、口を挟めない弱気な友人も居たのです。)
それは優しさであり、思い遣りであり、尊い。
前を向けなくなって登校しなくなっても。
道を違えて、違う人生を送るだけ。
確かに汚くはある、無様なだけでもある。
他人をコケにしないと満たされない自尊心に、どうやって誇りを持てるのだろうか。
当たり前にある幸せを拾えない人生は、どんなに大きな幸福を得ても満たされない。底の抜けたバケツのようだね。
滑稽だね。
でも、それを認識して苦しむ人も、多少なりともいるわけだ。
それまで「汚ねえよなぁ」とは、思えないかな。
人間って複雑怪奇ですよね。
でも、私がそう思えるのは、友達が居たからです。
前述の通り、『にゃーがいじめられてるのに、助けてあげられなくて、ごめん、ごめんね』って
電話でボロボロ泣きながら謝ってきた子が居たのです。名前も思い出せるよ。
君が被虐待児で大変だったことも思い出せるよ。
それでも『友達が傷付けられてるのに、私には何も出来ない、もしかしたらそれで傷付けてるかもしれない』と、彼女は泣くのです。
当時の新聞記事にこんなんがあります。
『虐められていた友人を助けられなかったことを苦に自殺』
酷いと思いませんか。
悪し様に言ってる人はのうのうと生きて、優しい人は死んでいく。
図太い馬鹿もいるし、繊細な優しい人も居る。
約束を破る恩知らずもいるし、何かしたいから一生懸命になる人もいる。
人間ってそんなもんなんです。
私は、私がなりたくない自分にはならない。
それだけを、守ります。
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