聖書の山シリーズ11 戦うことの不毛 アマの丘
タイトル画像:https://commons.wikimedia.org/wiki/File:Gibeon.png#/media/File:Gibeon.png
2022年10月2日 礼拝
聖書箇所 Ⅱサムエル記2章
Ⅱサムエル
2:13 一方、ツェルヤの子ヨアブも、ダビデの家来たちといっしょに出て行った。こうして彼らはギブオンの池のそばで出会った。一方は池のこちら側に、他方は池の向こう側にとどまった。
2:14 アブネルはヨアブに言った。「さあ、若い者たちを出して、われわれの前で闘技をさせよう。」ヨアブは言った。「出そう。」
2:15 そこで、ベニヤミンとサウルの子イシュ・ボシェテの側から十二人、ダビデの家来たちから十二人が順番に出て行った。
2:16 彼らは互いに相手の頭をつかみ、相手のわき腹に剣を刺し、一つになって倒れた。それでその所はヘルカテ・ハツリムと呼ばれた。それはギブオンにある。
2:17 その日、戦いは激しさをきわめ、アブネルとイスラエルの兵士たちは、ダビデの家来たちに打ち負かされた。
2:18 そこに、ツェルヤの三人の息子、ヨアブ、アビシャイ、アサエルが居合わせた。アサエルは野にいるかもしかのように、足が早かった。
2:19 アサエルはアブネルのあとを追った。右にも左にもそれずに、アブネルを追った。
2:20 アブネルは振り向いて言った。「おまえはアサエルか。」彼は答えた。「そうだ。」
2:21 アブネルは彼に言った。「右か左にそれて、若者のひとりを捕らえ、その者からはぎ取れ。」しかしアサエルは、アブネルを追うのをやめず、ほかへ行こうともしなかった。
2:22 アブネルはもう一度アサエルに言った。「私を追うのをやめて、ほかへ行け。なんでおまえを地に打ち倒すことができよう。どうしておまえの兄弟ヨアブに顔向けができよう。」
2:23 それでもアサエルは、ほかへ行こうとはしなかった。それでアブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突き刺した。槍はアサエルを突き抜けた。アサエルはその場に倒れて、そこで死んだ。アサエルが倒れて死んだ場所に来た者はみな、立ち止まった。
2:24 しかしヨアブとアビシャイは、アブネルのあとを追った。彼らがアマの丘に来たとき太陽が沈んだ。アマはギブオンの荒野の道沿いにあるギアハの手前にあった。
2:25 ベニヤミン人はアブネルに従って集まり、一団となって、そこの丘の頂上に立った。
2:26 アブネルはヨアブに呼びかけて言った。「いつまでも剣が人を滅ぼしてよいものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵士たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」
2:27 ヨアブは言った。「神は生きておられる。もし、おまえが言いださなかったなら、確かに兵士たちは、あしたの朝まで、自分の兄弟たちを追うのをやめなかっただろう。」
2:28 ヨアブが角笛を吹いたので、兵士たちはみな、立ち止まり、もうイスラエルのあとを追わず、戦いもしなかった。
はじめに
聖書の山シリーズの第11回目として、『アマの丘』を取り上げていきます。あまり知られることのない山ですが、Ⅱサムエル記に記されている記事から、この山で起こったことについてご紹介していきます。
アマの丘について
アマの丘について、記されているのは、Ⅱサムエル記2章のみで、その位置がどこにあるのかは不明です。ダビデ軍の将軍ヨアブとアビシャイがイスラエル軍の将軍アブネルを追っていたとき、日没時に到達した場所が、『アマ(Ammah)の丘』でした。( 2 サムエル2:24)。
Easton, Matthew George (1897). 「アマ」。Easton's Bible Dictionary (新版および改訂版)によれば、それはギベオンの東にあったそうです。
(出典:en.wikipedia 「Ammah」)
ギベオンがどこにあったのかといえば、下記の地図を見てください。エルサレムの北西10キロにある丘にギベオンがあったようです。
航空写真で見ますと、よりギベオンがわかります。視点を東に移しますと、谷を挟んで小高い丘があります。そこが、もしかすると、「アマの丘」ではないかと推測できます。
サウル王死後の情勢
ユダ族領地に帰還するダビデ
サウルがペリシテ人との戦いに破れギルボア山で壮絶な死を遂げましたが、その報せを受けダビデは、サウルへの弔辞を捧げます。
ところが、時は急を迎えていました。悼む気持ちも早々に、ダビデは、次の行動に動かなければなりません。
それは、戦いに勝利したペリシテ人の侵攻と、サウル王を失ったイスラエル軍が、ダビデの軍隊に対して戦いを挑むことが予想されたからです。そこでダビデは、主に祈ります。
自分の部族であるユダに戻るべきか否かを伺います。神はこの問に対してユダのヘブロンに向かうことを仰せられます。
ダビデは、ペリシテ人の領地ツィケラグからヘブロンに移り住みます。こうして、ヘブロンに戻ったダビデはユダの王として迎えられます。
ギルボアの戦いで剣に倒れたサウルと、同じく戦死した三人の息子の遺体を勝利したペリシテ人が回収し、首を切ってベテ・シャンの城壁にさらします。夜、ヤベシュ・ギルアデの勇士たちは遺体を回収し、街の救助者に献身的な姿勢を示す。火葬の後、サウルとその息子達はヤベシュの樫の木の下に葬られました(Ⅰサムエル31:8-13、Ⅰ歴代誌10:12)。ダビデは、サウルを立派に葬ったのがヤベシュ・ギルアデの人々であることを知ると、彼らを祝福するために使者を送りました(Ⅰサムエル2:4-7)。
ダビデの、こうした心遣いに対して、ヤベシュ・ギルアデの人々の反応は記されてはいません。ヤベシュ・ギルアデとは、下記の位置にあります。
現在は、ヨルダンの北西部に位置し、ガリラヤ湖の南東に位置する地域です。ヘブロンからの距離は約100キロ北東の位置にあります。サウルを支持するイスラエル北部の人からすれば、ダビデは正統な王とはみなされていなかったようです。むしろ、ユダ族以外の部族からすれば、ダビデは成り上がりものであり、イスラエルの王位を継承しているとは思われてはいなかったようです。
サウルは、生前に自分の王位を継承するであろう息子たちや、軍を掌握する実力者、そして自身の支援者を残して世を去っていきました。イスラエル軍司令官アブネルは、サウルの子イシュ・ボシェテをサウルの後継者とします。こうしてイスラエルは、ダビデとイシュ・ボシェテの二人の王が対峙するという内戦状態に突入します。
しかも、地中海沿岸から内陸に侵攻してくるペリシテ人は強く、イスラエル北東部のベテ・シャンにまでその勢力を伸ばします。ベテシャンの位置は、下記の地図をみてください。
こうしてペリシテ人は、地中海からヨルダンへ侵攻し、イズレエル平野を掌握したペリシテ軍は、イスラエルを北と南に分断します。こうして、イスラエルは国内では、イシュ・ボシェテの軍とダビデの軍にペリシテ軍が割って入るという分裂の時代を迎えていました。
イスラエル内戦から学ぶもの
ヘブロンの戦い
王位継承を巡って、イシュ・ボシェテの軍とダビデの軍はギブオンの池のそばで対峙します。
両者が睨み合う中で、戦闘が今にも始まりそうな中で、イシュ・ボシェテの司令官アブネルが、一人ずつ格闘させることを提案します。これは、全面戦争に持ち込まずに、代表が闘うことで勝負を決めようとします。この申し出を飲んだヨアブは、その提案を受け入れ、12人の選抜した闘士を送り出します。とっころが、両者決着はつかず、全面戦争につながっていきます。やがて、ダビデ軍が優勢となり、イシュ・ボシェテの軍が追いつめられていきました。
こうした勝負の勝敗の影に、主の御手がありました。人がこしらえた王政ではなく、神がダビデを王としてお立てになる約束は、徐々にではありますが、整えられいきます。神の御計画は、必ず成し遂げられるということです。イシュ・ボシェテ王という人間的な視野に立てば、正統な王でしたが、神は、彼を選んではいなかった。ダビデを王として油注いだ事実が着実に動きだしていたのです。私たちが手練手管でもって人間をまとめ、力によって支配を強めていくような肉的な行いではなく、神は、そのご計画のとおりに、気が付かないうちに少しずつ歴史の歯車を動かし、事を進めていくのです。
そうした神の働きというものは、すぐには見ることができません。いつになったら、神は御手を伸ばしてくれるのかと気を揉むのですが、私たちに必要なのは、忍耐であることを思い起こさせます。
長所にもとずく野心は死を生む
敗色が濃厚なイシュ・ボシェテ軍のアブネルは、敗走を試みます。ところが、ヨアブ将軍の兄弟アサエルが敗走するアブネルを討ち取ろうとして追撃します。
アサエルは、野のかもしかのように足が速かったので、彼はアブネルの後を追ったのです。アサエルからすれば、敵将アブネルを殺すことができれば、イシュ・ボシェテの軍は負け、ダビデが王位を確実のものとすることができると考えたのでしょう。兄弟の将軍ヨアブを伍して、ダビデの側近として召し抱えられたいという野心もあったに違いありません。
ところが、それが仇となりました。アブネルはアサエルが自分を追って来るのを見ると、追走をやめて従者を討つようと言いましたが、警告を無視したアサエルに対して、アブネルは、槍の石突きで彼の下腹を突き、その場でアサエルは息を引き取りました。
アサエルは足が速いことを誇りにしていました。その俊足という彼の長所が彼を死に至らしめることになりました。自分の俊足をもってすれば、きっとメシュ・ボシュエテ軍の将軍アブネルを討てる。イスラエル統一を自分の手で成し遂げるという強い思いは、決して悪いことではないように思いますが、自分の行動の是非以上に、私たちに問われているのは、主のみ心は、どこにあるのかということです。御言葉に寄り添い、従う。事を成す時に必要なのは、御言葉に立ち止まる姿勢です。
自分の能力や長所に委ねるのではない。私たちがあくまでも委ねるべきは、イエス・キリストであり、御言葉であるということです。
私たちも、自分の力を過信し、警告を無視し続けるなら、悲劇が起こります。私たちが誇るのは自分の長所や経験ではなく、主の御名と十字架です。
しばしば、私たちの長所は短所に変わります。状況によって、長所は短所ともなり、短所は長所にも変わるものです。
過信というのは、長所に自分を委ねることです。
鞘を納めることを教えるアマの丘
さて注目すべきは、サウルの将軍アブネルがダビデの将軍ヨアブに呼びかけたことばです。
「いつまでも剣が人をほろぼしてよいものか。その果てはひどいことになるのを知らないのか」
人が憎しみを向けあうことほど、不毛なことはありません。
しかし、そんな無意味なゲームに陥ってしまうのが私たちの姿です。
やられたらやり返す。倍返しだ。というのはこの世だけではありません。
憎しみ合うのは、教会も家族も例外ではありません。近い関係であればあるほど、衝突が生まれ、憎しみが強くなる。それは、関係性が近いほどそうした亀裂と分断が生み出されるのです。
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ」とイエスは語りましたが、その金言が私たちを悪から守るのです。
最初は、サウルのダビデに対する妬みが発端でしたが、今や、イスラエルを二分するほどの影響をもたらしました。神のみことばに従うことよりも、サウル王が残した権威にあやかろうとする者たちの貪欲が、国全体に悲劇をもたらしました。本来は、神の栄光を表すはずであったイスラエルが、二分し剣でもって神の民同士が、殺されていくという最悪な結果を迎えました。こうした分裂は、神の民の恥辱といってもおかしくない状態でした。
自分たちの欲望を捨て、神の栄光を求め、神の国と義を第一としていくことができたら、イスラエルの分裂は生じなかったでしょう。しかしそうできないところに、イスラエル分裂の悲劇がありました。私たちもイスラエルの人々となんら変わるものではありません。近い関係、教会、職場、学校を見ますと、人間間での軋轢や、いざこざ、摩擦そうした軋みが常に繰り広げられています。そこで、私たちは、どう行動しているでしょうか。どう考えているでしょうか。そこに祈りがあるでしょうか。
アマの丘は、私たちに戦いの虚しさを教える場でもあります。
人を殺すことで、より分裂を深め、戦いはより混迷を深めていくものです。闘うことよりも、平和の使徒としてこの世で使わされていくものでありたいものです。祈りましょう。
参考文献
新聖書辞典 いのちのことば社
新キリスト教 いのちのことば社
フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)