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出生前からハラスメントを受けてきたイエス

タイトル画像:Marc Pascual via Pixabay

2023年3月26日 礼拝

ヘブル人への手紙
2:9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。

はじめに


もうすでに受難節に入り、来週は受難週、復活日(イースター)と教会カレンダーは目まぐるしくページをめくる日が続きます。福音書を見ていきますと、その大半の記事は、イエス・キリストが伝道を始め、十字架までの期間の出来事が中心です。とりわけ、受難週の7日間に関してはその半分ほどを占めますので、福音書とは受難がテーマと言っても過言ではありません。今回は、キリストの受難について見ていきますが、受難週だけが受難はなかったことをご紹介したいと思います。

関わるだけで受難


イエス・キリストは、十字架にかかり、私たちの罪を負って死んでくださったということはよくご存知であろうと思います。
聖書は、まさしくこのイエス・キリストの十字架が中心といっても過言ではありません。しかし、メシアであるイエスをめぐっては、その誕生前から受難であったことがわかります。
旧約聖書を見ていきますと、

「証人」を意味するギリシヤ語マルテュスから来た語で,キリスト教では,自分のいのちと引き換えにキリストをあかしした人を殉教者と言う.<復> マルテュスに相当する旧約聖書の語はヘブル語エードゥで,イスラエルの民は神の証人であるが(イザヤ43:10),特別な意味で預言者は神の証人である(エレミヤ1:5).迫害によりある預言者たちは殺され(Ⅰ列王18:4),伝承は預言者イザヤが殉教者になったと伝える(参照Ⅱ列王21:17).中間時代の第2マカベア書には多くの殉教物語が記されており,その原著者とされるヤソンは殉教者物語の父とも呼ばれる.

出典:『新キリスト教辞典』いのちのことば社, 1991

メシヤの預言を行った預言者イザヤは殉教し、メシヤ預言を行った他の預言者たちも殉教を遂げています。

イエス・キリスト懐妊の時

イエス・キリストの誕生はどうだったでしょうか。イエス・キリストの誕生は、望まれた誕生ではありませんでした。
母マリヤの懐妊を知ったいいなずけのヨセフは、当時のイスラエルの慣習から、婚前交渉をおこなったということで、女に不貞行為があると姦淫罪に問われ、ヨセフが告発したら、マリヤは石打ちの刑によって殺害される恐れがありました。しかし、神は二人の夫婦を守り、結婚へと向かいますが、ヨセフとマリヤの両親については何の記述もないことから、すでに亡くなっていたか、あるいはユダヤ教の教えから、不貞だということで遠ざけられたのかもしれません。

こうして、二人の結婚は最初からユダヤ教社会において、困難がつきまといましたが、その後、皇帝アウグストの勅令により、先祖ダビデの生まれ故郷ベツレヘムに行って住民登録をするということになります。

住民登録をするにしても、マリヤはすでに臨月を迎えており、ナザレからベツレヘムの長旅は厳しいものでした。しかも、泊まる場所もありませんでした。当時のユダヤ教では、出産は汚れたものとされ、ベツレヘムのどの家の人も彼らの宿泊と出産を受け入れてくれる場所はなかったのです。

 女性が男児を出産した場合,彼女は月経による穢れと同じく7日間穢れる(レビ12:2)。8日目にはその子の包皮に割礼を施し,産婦は出血の穢れが浄まるのに必要な33日の間,家にとどまる。その浄めの期間が完了するまでは,聖なる物に触れたり,聖所にもうでたりしてはならない(レビ12:34 )。 女児を出産したときは,穢れの日数は倍の14日間となる21。産婦は出血の穢れが浄まるのに必要な66日の間,家にとどまる(レビ12:5)。

出典:『新聖書辞典』いのちのことば社

どのように、マリヤはベツレヘムで宿泊先を断られていったのかを探りますと、現代のユダヤ教の超正統派のあり方が参考になります。

超正統派と穢れ

ユダヤ教の超正統派(ハレディ派)の人たちは、穢れに対して非常に厳格な考え方を持っています。彼らは、律法に書かれた規定を厳密に守り、穢れに触れることを避けることが求められています。

超正統派の人たち:AnnaAnouk,via Pixabay

具体的には、超正統派の人たちは、儀式的に清められていない食品に触れたり、死体に触れたりすることを避けます。また、女性の月経期間中には、その女性に触れることも避けます。

超正統派の人たちは、日常生活の中で穢れに触れることを避けるため、食品の選択や、接触する相手の選定などに細心の注意を払います。また、穢れに触れた場合には、特別な儀式を行うことで清めることが求められます。

超正統派の人たちは、穢れた人を泊めることを避ける傾向があります。なぜなら、穢れに触れることがユダヤ教の法律に反するとされているためです。

超正統派の家庭では、穢れに触れた可能性のある人が家に入る前に、清めるための儀式を行うことがあります。また、超正統派の人たちは、自分たちが清められていない場合には、他人の家に泊まることを避けることがあります。

ただし、超正統派の人たちにも個人差があり、中には穢れに触れた人を泊めることができる人もいます。また、特別な事情がある場合には、穢れに触れた人を泊めることが許されることもあります。しかし、一般的には、超正統派の人たちは、穢れに触れることを避けることが求められているため、穢れた人を泊めることはあまりないと言えます。

現代の超正統派の人たちもかなり、律法に従い厳格に信仰を貫いていますが、おそらく、超正統派以上に新約聖書時代のイスラエルでは、律法に対して厳格であったことが想像できます。

家畜小屋での出産

現在のベツレヘム市街:Bethlehem Overlooking View,Maysa Al Shaer, Public domain, via Wikimedia Commons

そうした、信仰上の制約を超えて、ベツレヘムの人の中に、臨月であることをかわいそうに思い、同情した人の中に、ヨセフたちに家畜小屋ならと提供した人がいました。ようやく泊まることを許可されて、そこでマリヤは出産することになりました。

降誕教会:Berthold Werner, CC BY-SA 3.0, via Wikimedia Commons

小屋とは言いましても、私たちがイメージするような木造の家畜小屋とは異なり、当時の家畜小屋は洞穴でした。

現在、ベツレヘムには生誕教会という名の教会が存在し、その地下にイエスが生まれたとされる洞穴が残されています。岩肌は幕で覆われ、石製の飼葉おけが置かれています。

ベツレヘムの町は、なだらかな丘になっていて、その周辺の平地にも、たくさんの石灰岩の洞穴がありました。現在でも何百もの洞穴を見ることができます。多くの人々は、そのような洞穴で暮らしていましたから、イエス・キリストが生まれた場所も、そのような洞穴のひとつだったというのが定説です。ベツレヘム郊外には、羊飼いを記念する教会もありますが、それらも羊飼いがいたとされる洞穴の上に建てられています。

イエス・キリストは汚い洞穴の中で生まれてきたのです。しかも、出産の期間マリヤはベツレヘムの人々から穢れるとして忌み嫌われ、イエス・キリストを心から喜んで迎えるという人は皆無であったわけです。

メシヤである主イエス・キリストはその生まれからしても、孤独と貧しさがつきまとっていました。

イエスの誕生後

誕生後、東方の博士たちが、メシヤに謁見を申し出るために、ヘロデ大王のところに向かいました。ところが、その情報がもたらされると、すぐにヘロデ大王は誕生された主イエス・キリストが、ユダヤ人の王として迎えられると自分の政権が奪われることを恐れたヘロデは、ベツレヘムに兵をやり2歳以下の嬰児を虐殺します。先にヘロデの計画を御使いに教えられたヨセフは、エジプトへ家族で逃避行を行い危機を脱します。

こうした聖書の記事を見ていきますと、人々に待望された救い主(メシヤ)の誕生と、その預言をした預言者たちは、時の為政者たちによって惨殺されていくという運命をたどりました。

メシヤとしてお生まれになったイエス・キリストも生まれた当初から、その生命を奪われる運命のなかにあったということは衝撃です。

ヘロデの死後、身の安全が確保されたと見るや、ヨセフの一家は、幼子イエスを連れて、ナザレの地に戻ってきます。

イエス・キリストの地元での評価

少年期や青年期のイエスの姿についての記事がほとんど聖書に記されていないため、父ヨセフの家業である大工の仕事をしながら生計を立てていたことと考えられています。

ヨセフはダビデ王の末裔ではありましたが、その繁栄と栄華はすでに過去のものとなっており、ヨセフはイスラエル辺境の一介の職人であり、ローマの勅令に右往左往しなければならない平民に落ちぶれていました。イエスも、公生涯に入られ、イスラエル国内に宣教しながら、地元に戻ってきた時の描写があります。

マタイによる福音書
13:55 この人は大工の息子ではありませんか。彼の母親はマリヤで、彼の兄弟は、ヤコブ、ヨセフ、シモン、ユダではありませんか。

13:57 こうして、彼らはイエスにつまずいた。しかし、イエスは彼らに言われた。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、家族の間だけです。」

出典:『新改訳聖書』いのちのことば社,

その時、ナザレの人々は、イエス・キリストを歓待して迎えたのではなく、知恵と不思議な力に満ちているが、所詮大工の倅(せがれ)かと馬鹿にしたわけです。人々は、メシヤとも思わず、出自がどうであるかということに目が向き、その人の本質にまで目が向くことはなかったのです。イエス・キリストを育てたヨセフという人物は、地元ではよく知られてはいましたが、優れた技術や資本で知られていたわけではないようです。寒村の大工職人でありましたから周囲からは軽く見られていたようです。

また、イエス・キリストの不可解な出生は、あらぬ噂の種であったこともあるでしょう。悪く言う人の中には、単に大工の息子というよりは、不貞をはたらいたマリヤの息子ないしは、婚前交渉したヨセフとマリヤの子というような見方をもった人もいたかもしれません。イエス・キリストは、聖なるお方というような見方は、少なくとも地元ではされていなかったようです。

とは言いましても、少年期のイエスは、大方の人々からは愛されながら育ったようであります。

ルカ
2:52 イエスは知恵が増し、背丈も伸び、神と人とに愛された。

出典:『新改訳聖書』いのちのことば社

ベテスダの池での奇跡

また、イエスが公の活動を始めた30歳の時に、バプテスマのヨハネによってバプテスマ(洗礼)を受けて後、彼は多くの人々に福音宣教を行い、奇跡を起したりすることで人々の信仰心を高めました。こうした奇跡は、人々に多大な影響を与えました。宣教が始まった直後、イエスはベテスダの池に向かいます。

ビザンチン教会のそばにあるベテスダの池の遺跡
Berthold Werner,Jerusalem, Pool of Bethesda, public domain,via Wikimedia Commons

ベテスダの池は、エルサレムにある池で、そこには病気や障害を持つ人々が多く集まっていました。この池には、時折天使が下りてきて、水をかき混ぜるという伝説がありました。そして、水がかき混ぜられた瞬間に最初に池に入った人は、病気や障害が治ると信じられていました。

この場所で、ヨハネによる福音書では、38年間もの間、病気で寝たきりになっていた男性がいました。寝たきりでしたので、最初に池に入ることができません。ずっと、他の人が先に入るのを指を加えて見ているより仕方がなかたのです。イエス・キリストは、この男性に近づいて、「起きて、床を取り上げて歩きなさい。」と告げました。すると、男性は病気から完全に回復し、自分の寝ていた床を持ち上げ、歩くことができるようになりました。

ところが、イエスが安息日に病人を癒したことが問題となり、ユダヤ教の指導者たちはイエスを非難し、迫害するようになりました。

ヨハネによる福音書
5:16 そのために、ユダヤ人たちはイエスを迫害し始めた。イエスが、安息日にこのようなことをしておられたからである。
5:17 イエスはお答えになった。「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」
5:18 このために、ユダヤ人たちは、ますますイエスを殺そうとねらうようになった。イエスが安息日を破るだけでなく、神を御自分の父と呼んで、御自身を神と等しい者とされたからである。

出典:『新改訳聖書』いのちのことば社


イエスが「わたしの父は今もなお働いておられる。だから、わたしも働くのだ。」という言葉を発したことにより、自分を神の子と暗に宣言しました。この主張はユダヤ教指導者たちからは極めて不適切であると考えられました。彼らはこの主張を神を冒涜するものとして非常に厳しく非難しました。

イエスが自らを神の子と宣言したことは、当時のユダヤ教の神の唯一性という信仰に反するものでした。ユダヤ教では、唯一神を崇拝することが信仰の中心であり、神の子という概念は存在しませんでした。したがって、イエスが自らを神の子であると宣言したことは、彼を異端者と見なす人々にとっては重大な冒涜となりました。

このため、イエス・キリストは、伝道開始から、命を狙われていた人物でした。イエス・キリストの公生涯は、最初から死が忍び寄っていたものだったのです。

こうした、イエス・キリストにかかわる受難の歴史を見ていきますと、権力闘争からの解放と、個人の自由と権利のために向けられていたことがわかります。

しかし、イエス・キリストは自分に忍び寄る死をも恐れず、ベテスダの池の病人のような弱者に対する救済を、安息日を守る以上に大事であると考えていました。

一方、パリサイ人や律法学者、ユダヤ教の指導層は、弱者の救済よりも、支配している構造を守ることを重視していました。そのほうが、自分たちにとって居心地がいい、楽なことだからです。決まりをわざわざ破ってまで、人を助ける必要があるのだろうかという考えが、ユダヤ教指導者やユダヤ人たちにあったことです。しかし、そうした考えは、我々日本人のなかにも見られることです。

そうした、自分たちが楽でありたい、得したいという思いが、メシヤの預言を拒み、イエス・キリストが生まれても喜ぶどころか排除しようという思いにつながりました。イエス・キリストが神の子であると宣言した公生涯に入られた途端に、イエスの命を狙うというのも自分たちの利益のためでした。

しかし、イエスは権力闘争に巻き込まれることなく、むしろ自らを犠牲にして人々を解放するために行動しました。彼は、自分が神の子であり、神の愛に満ちた人生を生きることが真の自由であることを説き、多くの人々を救いました。

イエスが受けた苦難や十字架上での死は、彼が真実を語り、自由を求める人々を守るために立ち上がったことが原因でした。その死から3日後、イエスは復活し、人々に真の解放と永遠の命を与えることができました。

この世は、権威や権力の闘争に勝利を収めることが、真の解放ということで、闘争に明け暮れる社会に私たちは生きています。そうした闘争の中でストレスにあえぐ私たちの側に立ち、私たちの身代わりに受難を受け続けたお方がイエス・キリストです。

こうしてみていきますと、よくも受難続きの人生を送られたものだとあらためて驚かされるものですが、神は、度重なる受難の中にも常にイエス・キリストがメシヤとして遣わされるために介入し、その危機から守ってくださいました。事実、イエス・キリストは生まれる前から奇跡続きでありましたが、救い主イエスを受け入れた私たちは、実は、私たちの身代わりとなってくださっているお方です。自分を犠牲にし、生まれる前からの受難も、実は私たちの救いと平和のためであり、私たちを擁護し、権利を保証するために必要なものでした。
神は、私たちをベテスダの病人のように見てくださっているということです。力がない、悲しみや弱さしか持ち合わせていない私たちの味方、それがイエス・キリストの受難の意味だということです。