新約聖書 使徒の働き2章
2022年6月5日 礼拝
使徒の働き
2:1 五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。
2:2 すると突然、天から、激しい風が吹いて来るような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。
2:3 また、炎のような分かれた舌が現れて、ひとりひとりの上にとどまった。
2:4 すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。
Gerd AltmannによるPixabayからの画像
| はじめに
復活祭から今日で50日目の日曜日を迎えました。この日をペンテコステ(五旬節)とギリシャ語では言います。この日は、大麦の収穫の初穂の束をささげる過ぎ越しの祭から50日を記念して祝う祭りです。ペンテコステの日は紀元2世紀頃から復活祭(イースター)にならぶ重要な祭りとして祝われています。今朝は、このペンテコステについて取り上げていきます。
| 旧約聖書にみるペンテコステ
ペンテコステ(五旬節)とは、過ぎ越しの祭から7週間経過するところから「七週の祭り」とも呼ばれていました。(出34:22,申16:10)
この祭りは、ユダヤ人たちの伝承をもとに行われていたというように思われがちですが、旧約聖書にある神のことばに対する応答としてユダヤ人たちは祭りを行っていたことがわかります。
麦の収穫祭として
イスラエルの主要作物である麦の収穫に関する祭りでもあり、大麦の立ち穂に鎌が入れられ、大麦の収穫の終りを意味します(申16:9)。
大麦の収穫に次いで、小麦の収穫も同時に祝う祭であること(出34:22)。
そのため、「刈り入れの祭り」(出23:16)とも呼ばれてます。
また、収穫した麦の穂を主に捧げる日であることから、「初穂の日」(民28:26)とも呼ばれています。
イスラエルの三大祭の一つ
この祭は3大祭の一つとして祝われていたことが申命記16:16に記されています。このことから、ユダヤ人にとって重要な祭りの一つであることがわかります。
歴史的にも、ペンテコステは重要な祭りであることが記述されています。ソロモンの時代においても、祝われていたことが第二歴代史8:13にあります。
ペンテコステの祭りの指示の資料が、出エジプト記にあることから、説にもよりますが、約紀元前15世紀頃に与えられたものとして考えられます。それから、ソロモンの時代(紀元前1011年頃 - 紀元前931年頃)とされていますから、500年以上にわたって祭りが継続していたことを示す資料になります。
祭りの義務
ペンテコステの祭りは、安息日に近い様子が見られます。
いかなる労働もしてはならないこと
聖なる会合が開かれること
イスラエル人のすべての男子は主の前に出ることが義務である
礼拝の順序
新しい小麦粉にパン種を入れて焼いた2つのパンを、和解のいけにえと共に祭司によって主に向かって揺り動かす。(レビ23:17‐20)
敬虔なイスラエル人はこの日を喜びの日として祝う(申16:11)
穀物収穫の恵みに対する感謝と主に対する恐れを表現した(エレ5:24)
祭りの意義
ペンテコステの祭りは、収穫への感謝という側面がありますが、同時に、ささげられる罪のためのいけにえと和解のいけにえがあることから、単に麦を収穫したことへの感謝という側面だけでなく、罪を贖ってくださった神への感謝と恐れを表すという二面性をもった祭りでもありました。
さらに神の契約の民として、エジプトから解放されたことを記念する祭でもありました。(申16:12)
いけにえをささげる根底には、罪の象徴であったエジプトを離れ、カナンの地に入ることで、罪を取り除き神との和解に入るという出エジプトの歴史に基づくモチーフがあります。こうした概念があって、後にペンテコステはシナイにおける律法の賦与を記念するものと考えられるようになります。
サドカイ派の人々は過越の後の第1日曜から50日目に祝いをし、それをエルサレムの神殿が破壊されるまで守り続けていきます。
しかしパリサイ派の人々はレビ23:15の安息日を種を入れないパンの祭と解釈して、それが紀元70年以降ユダヤ教では一般的となります。それにより、今日ユダヤ人の暦では五旬節はいろいろな曜日に当るようになっています。
| 新約聖書にみるペンテコステの意義
新約聖書中、3ヶ所取り上げられています。最も重要なのは、使徒の働き2章にある記事です。この日を境に、教会時代に突入するという、神の救済史における特筆すべき日になります。イエスは、復活後に昇天する際、弟子たちに約束の聖霊を受けるまでエルサレムにとどまるように教えました。
この言葉を聞いた使徒や、弟子たち120人ほどが、ある屋上の間で祈りに専念しながら聖霊の降臨を待っていました。そうしたところ、ペンテコステの日に、聖霊が激しい響きとともに彼らに下りました。
こうして、クリスチャンにとってのペンテコステは、この聖霊降臨を記念する日となりました。ペンテコステには、旧約聖書をふまえて、以下のような意義があるとされています。
(1)キリストの贖いのわざの完了と終結を意味する
旧約のペンテコステが、過越の祭から数えて50日目であったことから、逆算するとイエス・キリストが「過越の小羊」として、「すでにほふられた」事実を伝えています(Ⅰコリント5:7)
(2)信徒は収穫の麦として捧げられている
ペンテコステの日に祈っていた信徒たちに聖霊が臨まれ、「家全体に響き渡った」こと、「炎のような分かれた舌」が信徒一人ひとりに臨んだことが使徒の2章2ー3に示されています。これは何を示すのかと言えば、先に挙げた、『祭りの順序』に示した記事に一致します。「家全体が揺り動かされた」のは、旧約でいえば祭司が捧げ物を揺り動かす行動であり、「炎のような分かれた舌」とは、「火によるささげもの」であることがわかります。ちょうど、祭司にあたるのは、神であり、神が捧げられたものを揺り動かし、火によって捧げるという一連の礼拝の方法を行ったということです。
つまり、そこにいた信徒一人ひとりが、ペンテコステの初穂の麦として捧げられたということです。ですからクリスチャンはすべて神に捧げられた聖別された存在であるのです。
(3)異邦人の霊的刈り入れの始まり
この日、3千人の初穂(新しい信徒)が与えられるという奇跡が起こります。しかも、神は、あらゆる国民が救われるために、中近東、地中海諸国に散らばっているユダヤ教信者が巡礼に訪れるペンテコステの日が選ばれました。この日に、外国語で話す賜物(異言)が使徒たちに与えられました。(使徒2:4‐13)
ところで、異言について触れますが、それは「他国のことば」で話されたものでした。しかも、聖霊の満たしのもとで語った彼らの言葉は、そこにいた外国に住むユダヤ人が理解する言葉であったことでした。そこで特に重要なことは、彼らが話した外国語は、キリストを告白していたことです。異言はしばしば、曲解されるのですが、まずは、理解できる外国語かどうか、キリストを告白し、賛美することばであるかどうかによるということです。不思議な言葉を語っているから、聖霊に満たされていると勘違いしてはいけません。ヨハネは、こう言います。
十字架と復活、昇天という神の贖いのわざの完了から、霊的刈り取りへと歴史の駒を進めたのがペンテコステでした。この日を境に救いの歴史がまた新たに計画され、この日をもって教会が誕生したと考えられています。
(4)聖霊の臨在がはじまる
聖霊は「もうひとりの助け主」なって、クリスチャンに臨在してくれるようになりました。
聖霊は、弟子たちとともに生きたイエス・キリストの代りに弟子たちに臨在し、彼らを力付け、神の国の宣教を権威づける拠りどころとなります。
こうして三位一体の第三位の神である聖霊が父なる神のみもとから降臨されて、私たちクリスチャンのたましいに住まわれているのです。旧約時代には、聖霊の臨在は一時的なものでしたが、現在の教会時代には、恒久的なものとして、今や、世界中のクリスチャンの心の中におられるのです。
(5)モーセの十戒と信仰
イスラエルの民が石の板に刻まれた十戒を受けたのが、出エジプト後50日目であったと言われています。
同様に、イエス・キリストが死からよみがえって、死を克服した50日目に、律法が聖霊によって信じる者の心の内に刻まれたのです。
今や、私たちは、十戒の石の板と同様に、神のことばを宿す存在へと作り変えられていることを示しています。すなわち、もはや、私たちは神の言葉を無理せずに行えるように作り変えられているということです。
(エレミヤ31:33,エゼキエル36:25‐28,ヘブル8:10)
(6)預言にしたがって
ペテロは、使徒の働き2:17-21の中で、「終わりの日に、わたしの霊をすべての人に注ぐ」という預言者ヨエルを通して間約束されていた賜物が、神の右に座したキリストによって実現したことを強調している(2:33,39).
| まとめ
こうしてペンテコステについて見てきましたが、歴史的にも、神学的にも非常に重要な祭りであったことが理解できます。神の救いの歴史のなかで特筆すべき日でありますが、残念ながら、よく知られていないのが実情です。神は入念に人が救われるために計画し、実行し、人間の生活と神のご計画を織り交ぜながら理解させようという強い意志を感じさせる祭りであります。誤解や、勘違いに惑わされることなく、聖書はどう教えているのかをしっかりと読み、考える時としたいものです。
新聖書注解の著者はこうペンテコステを締めくくります。
参考および引用文献
新聖書注解 新約2 使徒の働きーエペソ人への手紙 いのちのことば社
新聖書辞典 「ペンテコステ」 いのちのことば社
新キリスト教辞典 「ペンテコステ」 いのちのことば社
新改訳聖書第3版 いのちのことば社