見出し画像

イースターに救われた兵士たち

タイトル画像:Jan Jerszyński , CC2.5, commons.wikimedia.org

2023年4月9日 礼拝

マタイによる福音書28:11-15

マタイによる福音書
28:11 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。
28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。
28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」
28:15 そこで、彼らは金をもらって、指図されたとおりにした。それで、この話が広くユダヤ人の間に広まって今日に及んでいる。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社


はじめに


イースターおめでとうございます。

イエス・キリストの復活を祝う復活祭の朝を迎えました。
この日はキリスト教信者にとってもっとも素晴らしい日であると思います。私たちの視点からすれば、イースターは死からよみがえる希望の日です。
ところが他方、キリストを信じていない人にとっては復活ほど信憑性のない不自然なこととして奇妙に思うことだと思いますが、この復活こそが、キリスト教の核心であります。クリスマスも大切な行事ですが、それ以上に私たちにもっとも大切な行事は復活です。

今回は、主イエス・キリストの復活にまつわる話として、イエスの墓を盗難から守ったローマ兵を取り上げたいと思います。
彼らを通して分かることとは一体何なのでしょうか。

番兵として任務にあたった理由


イエス・キリストの死と葬儀の時、ユダヤ人とローマ帝国の支配者層との緊張関係が高まっていました。
その主な原因は、政治的・宗教的な対立にあります。

ローマ帝国は、ユダヤを支配するためにローマの総督ピラトを任命し、ピラトはユダヤ人たちの実質的な支配者であったユダヤ教の祭司団と協力してパレスチナ半島を支配していました。

しかし、この支配に対して神の民であるユダヤ人が、異邦人であるローマに支配されるのかという宗教的な反発が強くあり、多くの人々がローマに対する独立闘争を展開していました。

古代ユダヤ人にとって異邦人は、外部の文化や宗教に属する人々を指し、しばしば不信や排斥の対象とされていました。

ユダヤ教においては、旧約聖書から神が選民であるイスラエルの民に、他民族とは異なる行動指針を与えましたが、異邦人はその指針に従わず、不浄な食物を食べ、偶像崇拝を行うと見なされていました。

また、異邦人に対する偏見や差別は、政治的な要素も含んでいました。古代ユダヤは、強力な周辺国家に囲まれ、しばしば侵略や支配を受けることがありました。このような状況下で、異邦人に対する敵意が高まることもありました。

このような状況下で、イエス・キリストの説教が広がりを見せ、ローマ帝国の支配に対する不満や、神への信仰に対する疑問を抱く人々が増加しました。

一方、ユダヤ教からはキリストは、神の子(神)であるとし、キリスト教徒はユダヤ教の神殿礼拝を破壊し、新しい信仰を広めることを目的とした宗教団体と見なされていました。このため、ユダヤ教の祭司団は、キリスト教徒を異端者とみなし、排除するために行動を起こしました。また、ローマ帝国の支配者層も、キリスト教とユダヤ教の違いについて理解できず、ユダヤ教内での対立にしかとらえていなかったようです。

キリスト教徒は、ユダヤ教徒からの弾圧を受け、総督のピラトらローマ帝国当局からも不信感を抱かれていたようです。
ユダヤ教徒からは、キリストが復活すると聞かされていましたから、キリストの死後、弟子たちが遺体を密かに取り出し、復活したと言いふらすことでユダヤ教とイエスの弟子たちとの対立が激化し、イスラエル国内が荒れることを危惧していました。

そこで、キリストの遺体が、復活を信じる弟子たちが、墓からイエスが出られて今は天におられると、フェイクニュースが発信されることを危険視したからの盗難を防ぐために、ユダヤ教徒側がローマ総督に頼み込んで、ローマ兵に墓の番兵をしてもらうことになりました。

マタイによる福音書
27:62 さて、次の日、すなわち備えの日の翌日、祭司長、パリサイ人たちはピラトのところに集まって、
27:63 こう言った。「閣下。あの、人をだます男がまだ生きていたとき、『自分は三日の後によみがえる』と言っていたのを思い出しました。
27:64 ですから、三日目まで墓の番をするように命じてください。そうでないと、弟子たちが来て、彼を盗み出して、『死人の中からよみがえった』と民衆に言うかもしれません。そうなると、この惑わしのほうが、前の場合より、もっとひどいことになります。」
27:65 ピラトは「番兵を出してやるから、行ってできるだけの番をさせるがよい」と彼らに言った。
27:66 そこで、彼らは行って、石に封印をし、番兵が墓の番をした。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

ローマ兵にとっては、この任務は単なる警備任務にすぎず、キリスト教徒に対する特別な感情を持っていたわけではありません。

ところが、キリストの遺体が3日後の日曜日の明け方早くに失われる事件が起こります。その時の様子が福音書に記されていますが、

マタイによる福音書
28:1 さて、安息日が終わって、週の初めの日の明け方、マグダラのマリヤと、ほかのマリヤが墓を見に来た。
28:2 すると、大きな地震が起こった。それは、主の使いが天から降りて来て、石をわきへころがして、その上にすわったからである。
28:3 その顔は、いなずまのように輝き、その衣は雪のように白かった。
28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

兵士が属していたローマ軍団


オクタヴィアヌス帝(後のアウグストゥス帝)の時代には、ローマ軍団は強力かつ組織的な戦闘力を持っていました。「アウグストゥス」として実質上の皇帝となったオクタウィアヌスは、すべての軍団を属州配備としました。そしてイタリア半島内に駐屯できる軍団として親衛隊を創設、自らの直属としました。ローマ軍団は約5000人からなり、大きな旅団に分割されており、一般的に10人のコホルス(centuria)に分かれていました。

ローマ軍団は、主に重装備の歩兵と軽装備の騎兵から構成され、歩兵は、標準的な装備として、長剣、投槍、盾、そして鎧を着用していました。騎兵は、槍や剣、そして軽い鎧を身に着け、敵の側面や背後から攻撃することができました。

オクタヴィアヌス帝の時代には、より組織的な形で運用されるようになります。ローマ軍団は、規律に厳格で、訓練を重視しており、専門的な兵器や戦術を使用することができました。それは、職業軍人の確立がありました。それ以前は、農民が軍人となり、長期にわたって離農を強いられた従来の徴兵制によって、兵士の貧窮化が進んだことによるものでした。紀元前2世紀には、マリウスの軍制改革が行われ、従来の徴兵制を廃し志願制となります。こうして兵役義務の無かった無産階級が給与を目当てに多数志願する事になり、自作農は兵役から解放され農業に専念できるようになり、軍事と経済が両立され、一層専門家としての軍人の役割が確立するようになります。

オクタヴィアヌス帝の時代には、ローマ軍団は地中海地域で多くの戦争を戦い、その勝利によって帝国を拡大し、イスラエルもその強大な軍事力に屈し属国となっていきました。

復活を目撃した兵士たち


屈強で、精神的にも強い男たちで揃えたローマ軍の兵士たちでしたが、御使いを見て恐れ、身体が硬直してしまったようです。

マタイによる福音書
28:4 番兵たちは、御使いを見て恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになった。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

イエス・キリストはその間に、よみがえり墓から出ていったようです。聖書には、兵士たちが復活を目撃したとは直接書いてありませんが、墓の蓋をしていた石が転がされ、封印されていた墓が開かれたことが、紛れもない事実として、彼らは見たに違いありません。

兵士たちは、身体の硬直が解けた後、すぐさまユダヤ教の祭司団(ここでは、祭司長・律法学者)たちのもとに駆け寄り、イエス・キリストの墓が開かれたことを報告します。

マタイによる福音書
28:11 女たちが行き着かないうちに、もう、数人の番兵が都に来て、起こった事を全部、祭司長たちに報告した。

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

ここで、疑問が生じます。あれほど、規律が厳格で知られるローマ軍の兵士が祭司長たちのもとに報告に訪れたのかということです。

実は、イエスの復活の時、墓の番兵たちはイエスがいなくなったことを恐れたのは、彼らが任務を果たせなかったことによるものでした。
彼らはローマ帝国の兵士であり、イエスが復活することを予期しておらず、単に墓を守るために配置されていたのです。

しかし、イエスが復活し、墓から去ってしまったことを知ったとき、彼らは任務に失敗したと考え、ローマの軍法会議にかけられ厳しい罰を受けることを恐れました。当然、彼らを任命した上官の責任も取らされます。
また、イエスの復活が本当であることを知りましたが、墓が開かれたことで、警備という任務遂行ができなかった失態を犯しました。こうしたことが彼らの恐れた理由の一つでした。

聖書の記述によると、屈強で知られるローマの番兵たちは大きな恐怖に襲われ、震え上がってしまいました。彼らはローマ総督に報告することになっていたので、この事態をどう説明するかについても、相当懸念を抱いていたことが伺えます。

こうしたことがあって、兵士たちは軍法会議にかけられるよりは、イエスの死刑を請願した祭司長たちに相談するより他ないと兵士たちは考えたのでしょう。本来ならば、軍の上官に報告する義務がありますが、上官に報告することはきわめて高いリスクを伴うと考えて、祭司長たちに援助を求めたということです。

協議する祭司長たち


マタイによる福音書
28:12 そこで、祭司長たちは民の長老たちとともに集まって協議し、兵士たちに多額の金を与えて、
28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。
28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」

出典:『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

こうして、兵士たちによって日曜日の早朝にもたらされた報告は、ユダヤ教祭司団に衝撃をもたらします。イエス・キリストの遺体が消失したという報告は、祭司団を揺るがします。複数の兵士たちの証言が嘘ではないこと、いくら世界有数の規模と軍事力を持つローマの兵隊たちであっても御使いの力と、復活の事実には勝てなかったという証言は、その信憑性に一定の評価を与えるものです。

こうして、イエス・キリストの復活を受け入れざるを得ないと信じた祭司たちもいたことでしょう。その中に、ニコデモもいたと思われます。

本来ならば、素直に復活の事実を受け入れることが大事ではありましたが、それを認めてしまうと、まず、ユダヤ教の教義が根底から覆されること、二点目は、祭司団の解体と従来の支配体制が崩されるという懸念が彼らの脳裏に浮かび上がりました。

彼らは治安の安定と急激な支配構造の転換を避けるために、ここは兵士たちの口を塞ぐために、多額の賄賂を渡し、

28:13 こう言った。「『夜、私たちが眠っている間に、弟子たちがやって来て、イエスを盗んで行った』と言うのだ。

出典:マタイによる福音書『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

と工作をします。ただ、軍にこう報告してしまいますと、もちろん、軍務規定違反ということになりまして、兵士たちの身柄は拘束されてしまいます。兵士たちは、この提案には拒否したでしょう。
もちろん、そのことを知る祭司長たちは、こう付け加えるのです。

28:14 もし、このことが総督の耳に入っても、私たちがうまく説得して、あなたがたには心配をかけないようにするから。」

出典:マタイによる福音書『新改訳改訂第3版』いのちのことば社

こうして身柄の安全と保証を祭司長から約束をいただいた兵士たちは安堵したに違いありません。

兵士たちと私たちの関係


こうした、兵士たちにとっても主イエス・キリストの復活はいのちをかけた出来事でありました。当初、兵士たちにとっては、全く自分とは関係のない出来事として、十字架をとらえていたのではないかと思います。

私たちが、こうした一連の出来事を俯瞰しますと、このローマの兵士たちは私たちとは縁のない、過去の歴史とばかり、私たちはとらえてしまうものですが、直接関係性のない点においては、ローマの兵隊も私たちも共通しています。

ローマ兵にしても、私たちにしても、たまたま通りすがりに接点があったということに過ぎないキリストとの出会いですが、主イエスとの出会いは、たまたま通りすがりの偶然の出会いではなく、神の計画に基づく特別な出会いであります。

キリスト教において、主イエスは人類の救世主であり、人々が神とのつながりを回復するために必要な存在です。異なる文化や背景を持つ人々も、主イエスとの出会いにおいては同じ立場にあります。主イエスとの出会いは、人々を一つにし、神の愛を共有することができる素晴らしい機会なのです。

そして、この出会いは、単なる偶然の出会いではなく、自分自身を捧げることを含む、いのちをかけた出会いであります。主イエスとの出会いは、個人的な信仰の体験であり、その信仰を通じて、神とのつながりを深め、人生をより豊かにすることができます。

ローマの兵士は、イエスの墓の番兵として遣わされましたが、復活の主イエスとの出会いは、派遣されたことによる偶然の出会いではなく、個人的な信仰の体験であり、環境、時代背景、文化が異なったとしてもあらゆる人々が共通して持つものであることを示しています。

さて今回、読んだ箇所で、もっとも輝かしい部分は、
主イエスは墓を守りきれなかった兵士たちを救おうとしていたことです。

本来ならば、処罰されて然るべきローマの兵隊ですが、大祭司にのもとに助けを求め、大祭司は彼らを救うために努力しました。
地上の大祭司は、ユダヤ人の間から自分たちの特権的な立場を失いたくないという、保身のために兵隊たちを救おうとしました。

こうした人間の保身のために汲々とした関係のなかにも実は、イエスの救いの予表が隠されています。

地上の大祭司は、自分の保身のために、兵士たちの生命を救いました。その背後には、天の大祭司であるイエス・キリストが、兵士たちのいのちが損なわれないようにとりなしてくれたことがあると思います。
イエスの復活において神は、死者がでないようにとご計画していたと考えられます。

墓の番兵として遣わされた兵士たちは下級の兵士たちであったことでしょう。彼らは、紛争や戦闘が行われるとすぐに最前線に置かれ、戦場の駒として扱われる人たちでありました。ミスや失敗が起これば、ただちに厳しく罰せられるような弱い身分でありましたが、主イエス・キリストは復活の場において、地上の大祭司たちの保身の思いや人間的な弱さに働きかけ、彼らのいのちの保証と身分の保全を図ってくれたのです。

私たちとイエスとの関わりは、このローマの兵士たちと同じようなものです。関わる接点もないところに接点をもたらしてくれた、接点だけでなく、救われるために御手を伸ばして私たちのもとに降りてきてくださった。人間の弱さや罪に働きかけ、救いの手段となしてくれた。

これが、イースターの恵みです。私たちは、自分が今救われていることと、救われたきっかけを思い出す貴重な時ではないでしょうか。