聖書の山シリーズ8 礼拝と恵みの雨 モレの丘
タイトル画像 commons.wikimedia.org File:Givatamore.jpg
2022年9月11日 礼拝
聖書箇所 士師記7章1節-8節
それで、エルバアル、すなわちギデオンと、彼といっしょにいた民はみな、朝早くハロデの泉のそばに陣を敷いた。ミデヤン人の陣営は、彼の北に当たり、モレの山沿いの谷にあった。士師記7:1
はじめに
聖書の山シリーズの第8回目。モレの丘についてまつわるみことばを見ていきます。モレの丘というのは、創世記12章6節にあるモレの樫の木の記述に登場するのがよく知られたところです。ただ、モレが山であるのかについてはよく知られていないのではないでしょうか。今回は、このモレの丘についてご紹介したいと思います。
モレの丘について
モレの丘はイスラエル北部地区のエズレル(イズレエル)平野の北東にある山(丘)です。海抜は515メートルで、海抜50~100メートルのエズレル平野から見ますと、比高が約500メートルほどありますから、丘陵の定義が100から200メートルとしますと、十分に山としての高度を有しています。比較的高度がありながらも丘と呼ばれているのは、その山容からきているのでしょう。たおやかな稜線は、急峻な山岳とは異にします。その穏やかな姿から丘としていたのでしょう。この山の8キロメートル北東にはタボル山が、北にはナザレの町が、南にはギルボア山があります。現在、ユダヤ人のアフラの町のすぐ東にあります。
ヘブル語の名前の由来については、議論のあるところで、いくつかの説があります。ひとつは「ヨーテル」。「モーセ書第5巻(申命記11:14)、ヨエル書(ヨエル書2:23)
の中で、『初めの雨』と訳されますが、イスラエルの地における毎年の雨季の最初の雨を示す言葉ではないかという説。 第二は「高き所」という意味で、この丘が実際に周囲の谷よりも際立っているからです。 第三は、ヘブル語のでmorehは、「先生」という意味があり、地元の聖人として解釈されているそうです。また、モレは未来を預言する預言者の意味としても解釈されています。 また、モレに住んでいた雨をもたらすことのできる聖人、あるいはかつてこの場所で行われていた雨乞いをする教団を考える学者もいるそうです。
モレの樫の木
「モレの丘」は、聖書では、創世記12:6、申命記11:30、士師記7:1の3回言及されています。
モレでは、山そのものというよりも、「樫の木」のほうがが有名です。
まず、創世記を見ていきますと、ヘブル語の「エロン・モレ」(創世記12:6a)は、英語版聖書では様々な訳語が使われています。しかし、この言葉が聖なる木や木立を指すと考える翻訳者は、この地域の乾燥した風景の中で、その大きさと樹齢で注目される「樫」と表現することが多いのです。例えば、創世記12:6aのNew King James Versionでは、terebinth treeとなっています。
このテレビンスですが、テレビンスは、カシューナッツ科アナカルディ科に属する落葉性 の顕花植物です。「テレビン油」はもともとテレビンスの木 ( から採れるものを指したそうです。果物は、キプロスで特製の村のパンを焼くために使用されます。クレタ島では、ブランデーの風味付けに使用されます。古代ギリシャでは芳香と薬効のために使用されていました。テレビンス樹脂は古代近東全体でワインの防腐剤として使用されていました。
"Moreh "はしばしば「教師」や「神からの預言」を意味しており、その木の所有者やそれが生えていた土地を指すと理解されています。
なぜ、ここで、『樫の木』が、特別に書かれているのかといいますと、埋められた偶像や捧げられた宝物の上に、生えていた樫の木をある意味、記念碑として位置づけていたからです。
ジョン・ウェスレーは、
アブラハムが最初に約束の地カナンに入った時に、そこで神と出会い、そこでの契約を思い起こす記念碑として、『樫の木』が用いられたということだったようです。
ミデヤン人と戦うギデオン
モレの丘で最も有名な記事は、士師記7章に登場するミデヤン人と戦うギデオンの戦闘の場面です。ミデヤン人の陣営は、ギデオンの陣営の北に位置し、モレの山沿いの谷にありました。
エジプトからイスラエルを救い出された主は、シナイの荒野でイスラエルと契約を結び、彼らのために戦い、約束の地に導き入れたが、イスラエルの民はカナンで農耕生活を身につけることによって、主の恵みと導きを忘れるようになりました。5章8節に記されているデボラの歌にあるように
カナンの「新しい神々」を選んで主の目の前に悪を行い、真の宗教と信仰から離れていきます。そのため、主はカナンの王ヤビンの手に渡してイスラエルを裁かれました。そうしたところに立てられたのが、預言者デボラとバラクでした。彼らは、カナン人ヤビンの圧制からイスラエルを救い出し、イスラエルに安息が四十年間続きました。ところが、デボラが死ぬとイスラエルは再び主の前に悪を行ないました。そして主はミデヤン人を七年間、イスラエルに襲うようにされました。
ミデヤン人は、アラビア半島にいる遊牧民です。彼らがヨルダンの東までやってきて、ヨルダン川を渡ってイスラエル全土を荒らしに来ました。彼らは遊牧民なのでそこを攻め取って征服するのが目的ではなかったようです。イスラエル人たちの作物や家畜を略奪するためだったようです。
彼らは、ラクダに乗り、収奪にやってきました。その数は多く、数え切れないほどでした。そうした中、主は、ギデオンを選びます。
主の使いが、ギデオンを呼びます。その時、彼は、酒ぶねの中で小麦を打っていました。ミデヤン人の襲撃を恐れてのことでした。主の使いは、6:12で「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」と言います。恐怖におびえていたギデオンを呼んで「勇士よ」と呼ばれたのです。しかし、どう見ても、彼は勇敢とは言い難い行動を取り続けます。それでも、なんとか主が命じられることに従っていきます。主は粘り強く、彼の不安や疑いに付き合うようにして、ご自分が共におられることのしるしを与えていきます。
そして、ミデヤン人はアマレク人やその他の東の人々と共に、ヨルダン川を渡り、イズレエル平原にやってきました。モレの丘を挟んで、ハロデの泉のところにギデオンたちは陣を敷くのですが、敵は十三万五千を数えました。後で本人は、敵の陣を見に行きますが、数え切れなかったようです。
対して、ギデオンが召集したイスラエルは三万二千人です。四倍も違う敵と戦わなければならないという絶体絶命の危機にイスラエルはありました。
主の命令はいつも逆張り
普通、戦争が起こる際に、何を勝利の基準とするでしょうか。それは、兵士の数です。兵士の数に勝るほうが、普通は勝利できると考えます。当然の事ながら、敵に勝る兵の数を集めることから考えます。しかし、主は、そうした人間の思考とは全く逆をギデオンに伝えます。
2節には「あなたといっしょにいる民は多すぎるから、わたしはミデヤン人を彼らの手に渡さない。」と主は言うのです。
ちょっと待ってください、敵はイスラエルの4倍の数を揃えています。それなのに、主は多すぎるというのです。それで三万二千人がなんと一万人にまで減らされ、さらに三百人にまで減らされてしまったのです。兵士の数は、的に対して四分の一から五百分の一に削減されてしまったのです。
結果どうなったでしょうか。
集められた精鋭の活躍もありましたが、それ以上に、主の働きにより、ミデヤン人の陣地に恐怖が襲いかかり、ミデヤン人たちは総崩れになります。こうして、ギデオンたちは戦いにおいて勝利を果たします。
自己放棄と主への依存
私たちは、何かを成し遂げようとした時に量が必要と考えます。能力が高くなければ、あるいは、多額の献金がなければ成し遂げることはできないと考えます。また、恵まれていないから、何もないからと諦めてしまうわけですが、神のお考えはいつも私たちとは逆です。何もないところから、むしろ少ないところから、大きなことを行なわれるということです。
アブラハムがモレの山を訪れたときもそうです。
アブラハムは、イスラエルの信仰の父となり、その子孫は海の数のようになると何度もアブラハムに契約を与えました。その結果は見ての通りです。たった一家族が今や、全世界をリードする国となり、小国であるにも関わらず、その動向は、常に大国を凌ぐほどの国家へと成長しています。その力の源はどこにあるのかと言えば、彼らの人口でもありません。ましてや彼らの信仰でもありません。
アブラハムに現れた主のお言葉がその基礎にあるのです。神の言葉は変わることがなく、その約束は、必ず果たされるということです。
もし、ギデオンが作戦力や、兵士の数によってミデヤン人を圧倒していたとしたらどうでしょうか。彼は、自分の能力やイスラエルの力を誇ったに違いありません。主がわざわざ兵力を絞り、奇襲戦を行い、勝利したということは、神がミデヤン人を倒したのだという力強い神への賛美が生み出されるためでした。徹底した自己放棄と、主への依存の中に生きる信仰は、このような大胆な生き方を生みます。三百人が角笛を吹き鳴らしている間中、主は敵陣を混乱させ続けました。そうして、同士打ちすることでミデヤン人は打ち破られていったのです。
礼拝と恵みの雨
ギデオンは、主の命令に従い続けましたが、それも自分の力でしたことではありません。主がギデオンとともにあること、また、ギデオンに勝利をもたらすお方であることを確信させるために、夢を見させその解釈を聞いた時、彼は何をしたでしょうか。
彼は、15節に「この夢の話と解釈を聞いたとき、主を礼拝した。」とあります。ギデオンは、ここで主を礼拝したのです。ギデオンの戦いは、礼拝において頂いた力によって、戦いの勝利は確実になりました。ギデオンは、前にも紹介したように、弱々しい人物でした。常、主のみわざのしるしがなければ前進できないような人物でありました。ところが、ギデオンを主は『勇者』としてくれました。それは、ギデオンが、主が自分と共におられるという信仰があるからでした。そのため、ギデオン自身が戦うということは、主のための戦いをしていると信じていたので、躊躇なく精鋭に対して、
と大胆に言えたのです。パウロの場合もそうでした。
パウロは、自分が人より優れていると自覚していたからこう言ったのではなく、主の前に徹底して身を低くして主に仕え、恵みに生かされていることを承知していたからでした。
わたしたちの礼拝の本質もそうです。自分の身を低くして、謙遜な態度を主の前にさらけ出すことを意味します。自分は主の恵みなしには何もできないという表明です。
モレの丘というところは、自分の小ささと力の無さの表明の場の象徴であります。
つまり、礼拝の場であったということです。
アブラハムがカナンの地に入った最初の地としてモレの樫の木がありますが、そこで彼がまず、行ったことというのは礼拝でした。カルデヤ人のウルから旅立って、黄金の三日月地帯を北上し、約束の地に到達して彼が行ったことは、モレの樫の木の場での礼拝でした。ミデヤン人との戦いの場でギデオンがしたことはアブラハムと同じく礼拝でした。モレの意味は、『初めの雨』という意味があるということです。つまり、恵みの雨を意味します。心を尽くし、思いを尽くし私たちが礼拝するところに恵みの雨がもたらされます。イエス・キリストを心から讃美し、イエス・キリストにある一致を確かめる礼拝が守られているなら、恵みと勝利がもたらされることを、思い出していくものでありたいと思います。
参考文献
新聖書辞典 いのちのことば社
新キリスト教 いのちのことば社
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