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鶴岡ドリームスタジアム

山形県鶴岡市の鶴岡ドリームスタジアムです。行ったのは2004年で、行きは東京から飛行機。帰りは鶴岡から秋田に出て、新幹線だったと思います。鶴岡駅からバスでしたが、今は知りませんが当時はかなり昭和なバスにノリました。

結構きれいな球場でしたが、スコアボードは手書きでした。2014年にLEDになったみたいです。

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調べてみると、以前はIBAF日本代表の合宿やキューバ代表の練習にも使われたとのこと。グラウンドの状態は良いですからね。

2003年の代表みたいですが、後藤隆之前監督や西郷泰之選手の名前があります。後藤さんの実績はやっぱり凄いですねえ。


わざわざ行ったのは日本ハムのイースタン・リーグ優勝がかかっていたからで、なんとなく誘われて・・・行ったという感じでした。しかしこの年は選手会によるストライキがあり、代替試合をやるかやらないか決まっていなかったので勝っても胴上げをしませんでした。肩透かしですね。

鶴岡で鶴岡とか笑ってた記憶。

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岩本勉は今かなり偉そうに解説してますが、2000年以降は出れば打たれ、でしたし、リリーフに出て四球連発とかしょっちゅうでした。人気のなかった日本ハムを盛り上げた功労者ではありますが。

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当時の記述を見ると、西浦のホームランで2点差に迫り、球界に藤島のホームランで1点差に。

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そして小谷野と田中賢介が出塁し、代わった河原から上田の3ランで逆転勝利だったようです。

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捕手は三菱重工Westのコーチみたいですね。

この当時の日本ハム二軍は若手の飯山、小田、小谷野、紺田、田中賢介、森本あたりが二軍にいて、あとは西浦、上田、藤島ら上田利治監督が目をかけながら、大島監督に干されていたベテラン連中、移籍組の林孝哉、山田勝彦らがいて、強かった。

二軍が強くてもまあ意味はないんですが、二軍でも常に勝ちを求めて試合をしないと、選手は成長しないと思います。個人的には社会人野球におけるオープン戦と一緒かなと思っている。

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今の日本ハムは二軍がだらしなく、1軍の野球もナアナアな印象を受けますが、よく見ていないし興味もないので知りません。プロ野球、TVでなんとなく見たりもしますが、本当につまらないですね。

この球場で覚えているのは特製の玉こんにゃくが売られていて、バカバカ食べたことですね。群馬の玉こんにゃくも有名ですが、全然味が違います。



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