「404」制作メモ②(表現とその危険性について一考)
こんにちは、青木です。
今回は、制作メモ①でもあげた以下の2点に触れていきます。
★本編
★制作メモ①
劇団あてどなしは上演を前提とせずに作成しているものの、「もしもいつか上演をすることになったら」というていで作っています。制作メモとかがそのなれはてです。
①フライヤーへの記載
②[さよならキャンプ]という劇団さんが発案した観劇あんしんシートの使用
もしも、いつか公演を行う機会があればボクは事前にさよならキャンプさん考案のもと生まれた、【観劇あんしんシート】を活用したいと思っています。
(※ニュース記事はこちらから)
中には劇団のHPに「このような演出があります。ご注意ください」という注意書きを設けている劇団さんもみたことがあります。「観劇あんしんシート」に関する記事を読んだのもきっかけになりました。記事を読んだ時にたしかになるほどと思いました。
(★補足 映画のレーティング表示)
【観ないという選択肢】を設ける意味
〇これからの観客の想定
このnoteの中でも「17時55分 地方ニュース」(事故死)や「私小説(旧題:6畳の策略)」(復讐殺人)でセンシティブな内容扱った作品を書きました。
ただ、昨年の秋、社会問題を取り上げた演劇を観ました。賛否のある演目だったので、ここでは演目名は伏せさせていただきます。その演目を行った真摯にその問題を取り組んでいたゆえに、その問題を伝えるという意図であえて攻撃的な表現を用いていました。
そして、深夜番組で脚本を書き始めた芸能人のドキュメンタリーがありました。「今回、役をやる劇は実際のサイコパスが起こした事件を題材にした作品だ」と。公演の一部では血を模した赤い水を全身浴びているようなリアリティを求めた場面でした。
演劇を観慣れていた方だと思っていたボクでさえ、観客の立場で作品を観た時にだいぶショッキングな表現だと感じました。
中四国の片田舎ですが、演劇に携わりませんか/観てみませんかと発信しているところを多く見かけます。舞台芸術に触れてもらうため子ども向けのWSも増えてきたのを見かけました。
きっと自分が観た上記の作品も、ボクのような作品も規制されてしまうでしょう。出来たとしても「演劇人が観る劇」の場でしか許されないと思います。
でも、ボクは作品を規制されることよりも「ハッピーエンドで終わるだけの物語が増えていき、それしか許されない演劇」の風潮が出来ることの方がボクは嫌だし、恐ろしいと思います。そして、「演劇を観ていない人が観たいと思う/または観てなにかしら記憶に残る人」に届けたいのにそれが出来なくなるのは、それほど悔しいものはありません。
もちろん、ハッピーエンドが悪だとは思いません。ボクも好きです。素晴らしい作品も、劇団さんもたくさんあります。
〇【主張すればだれかがどこかで傷つく】テーマとその共存
あてどなしでも取り扱っているテーマになります。ですが、ボクがどこにも所属せずに「死を題材にした作品」に固執した作品を書くのには理由があります。
青木は今まで何度か死の淵をさまよったことがあります。今でも覚えています。2019年4月7日、職場の人間も同居していた親も憎みながらボクの命日を迎えるはずでした。寝ているか死ぬ計画を練って一日が終わる日もありました。服薬とカウンセリングで今もごまかしごまかし生きていますが、フラッシュバックで動けない日もあります。
十分生きた末に亡くなる人もいれば、事故死のように不慮の事故や病死でなくなる人もいます。そして、自分のようにこの世を憎みながら死を選ぶ人間もいるのも事実です。それが「人の助けで乗り越えました!よかったね!」「いじめていた人は学校に来れるようになってよかったね!」と、簡単な、誰でも乗り越え解決できるような問題のように捉えられる作品で描かれることが腹立たしくて仕方ないのです。ハッピーエンドが望まれるのは頭ではわかっていても、忘れ去られて、のうのうと生きている加害者も助けてくれなかった傍観者も憎い。青木はひねくれているのでそう思ってしまうのです。
昔は、「そのままこの苦しみを伝える!」とあえて強い言葉を選んで作品を書いていた時期もありました。そのような強い言葉、強い表現をあえて選び、使う人の気持ちもわかります。
ですが、ボクが命日になるはずだった年に付き合いの長い友人に泣かれてとめられました。いつも両親やボクの周囲はみな「なんでそんなことを考えるんだ!」と怒る人ばかりだったので動揺したのを覚えています。そして同時に、テーマや題材、表現、行動1つで加害者を傷つけることも出来るが、傷つけたくないと思っている人、何も関係がない人まで傷つけてしまうことも出来てしまうことに気づかされることになりました。
本やサブスクの映画・ドラマにように早送りや途中で読むのを辞めることが出来ないため、目の前で自分が観たような視覚的にショッキングなものから逃げられないのはかなりきついよなと、コンプライアンス以前に演劇表現でむやみやたらに人を傷つけたくはないのが一番の理由です。「そんなん集客に響くじゃないか!チケット売るのだって簡単じゃない!」というのもあるのですが…。
演劇の観客層が増やす/増えていくなら観客の方の選択肢や注意札の配慮あってもいいじゃないかという意見は賛成ですし、「こんな事実があります!では向き合いましょう!」は時としてエゴであり強要だと思っています。
青木も日々この手ものは迷いながら書いています。持っていく台本も、作風も。ですが、譲れない主張ゆえなのか、実力が足らないのか、それの両方か、大体どこからもいらないと言われてしまう。
難しいですね( ´ཀ` )
それではまた…。
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