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東京スカパラダイスオーケストラというバンドについて(4)

8.冷牟田竜之の脱退

前回にまとめたスカパラのひとつめの黄金期といえる時期については、90年代SONY期と同様とてもいいベスト盤が出ているので、そちらでざっと振り返ってみるのもお薦めだ。

二度目の歌もの三部作、そしてアルバム『Perfect Future』を経て、スカパラの音楽性の中でも重要なポジションを占めていたメンバー、冷牟田竜之が脱退する。ライジングサンロックフェスティバル'08に大トリで出演する直前のことであった。

彼がスカパラで為したことについてはアルバム『FULL-TENSION BEATERS』のくだりでも軽く触れていたが、まず、スカパラの音楽的な主導権を握っていた、というのがある。

今でこそ民主的な、『リーダーのいない』バンドとして知られるスカパラだが、そもそも結成当初は楽器ができないメンバーすら居るほどのバンドであり、まともにバンドとして演奏できるようになるまでかなりの時間を要していた。

そんな中でバンドの音楽的な方向性を、半分くらいメンバーに教えるつもりで陣頭指揮を執ったのが故クリーンヘッド・ギムラと冷牟田竜之だった。この冷牟田竜之というアーティストに関しては単体でも記事になるぐらい書くことがあるのだが、まずは簡単にまとめておこう。

そもそもスカパラに於いて冷牟田竜之というメンバーが担当していたのは、ざっくり言ってしまうと『ロック』である。

スカパラがロックバンドではない、という話は何度か書いたと思う。それは(少なくとも)多数決に於いて『ロック』が表に出てこないということである。

だからこそ、アルバム『FULL-TENSION BEATERS』でのロックへの歩み寄りに驚かされたわけだが、そもそもそのアルバムで陣頭指揮を執った冷牟田竜之というアーティストは所謂『めんたいロック』、80年代の博多に於けるロックシーンからそのキャリアをスタートしている。

なので彼が抜けるということは、シンプルに、スカパラからただでさえ少なかったロックの成分がなくなる、ことを意味していた。

これは2001年のツアーで披露された楽曲だが、スカパラであるということは言われなければわからないだろう。極端な話、こういう要素が昔はあったのである。

他にも、僕が行ったアルバム『WILD PEACE』ツアーでは「カナリヤ鳴く空」でもコラボした盟友チバユウスケのバンド、THEE MICHELLE GUN ELEPHANT「CISCO〜想い出のサンフランシスコ(She's gone)」のカバーが唐突に披露され、客席のだいたい半分ぐらいが盛り上がり、残り半分が呆気にとられるということもあったが、あれもおそらくは冷牟田竜之の発案だったのではないかと思う。

9.残された9人による(最初の)ライブ

冷牟田竜之の脱退によって9人になったスカパラの(おそらく)初ステージがライジングサンロックフェスティバル '08であった。たまたまというか何というか、当時現場に居合わせていたのだが、唐突な出来事に準備が足りなかったのだろうか、と深読みしてしまうような、あんなに『酷い』と思わされた演奏は後にも先にも他に無かった。

しかし、ライジングサンロックフェスティバル '08のアンコール、僕は、フェス最後の盛り上がりを感じると同時に泣いてしまった。

伊藤ふみおを迎え演奏された「Pride Of Lions」は、モニター(SUN STAGEという一番大きなステージだったので左右にモニターがあった)に訳詞が映し出されており、そのニュアンスについては収録CD『Perfect Future』を買って読んでもらうしかないのだが、一部を引用するとこんな感じ。

起きろ、真実の正々堂々とした戦いをしよう
ライオンの群れが駆け回っている
きみは我を失いつつも戦い続ける
素晴らしい仲間のためにだ
(東京スカパラダイスオーケストラ「Pride Of Lions」)より

スカパラはガタガタのバンド・アンサンブルで走り抜けた。彼らは走り続けることを選んだ。というか、おそらくそのつもりしか無いのだろう。これまでにメンバーが抜け、亡くなり、その度に様々なアクシデントに見舞われたりしつつも、そんな仲間たちのためにも走り続ける、そういうバンドなのだ。

バンドのピンチを切り抜けたスカパラは新たなアルバム、そしてアンサンブルを得て変化していくことになるのだが、長くなったので次回にしようと思う。

投げ銭してくれると小躍りしてコンビニにコーヒーを飲みに行きます。