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【真実とは何か?~知らない事は「罪」~】

 「堀 潤」と聞いて、見聞きした事がある方は少なくないだろう。元NHKのキャスターで、現在はフリージャーナリストとして活躍されている、あの「堀 潤」さんだ。
 私が堀さんを初めてきちんと見たのは、実はNHKのキャスターとしてではなく、AbemaPrime(通称アベプラ)でコメンテーターとして出演された時だった。普段地上波では扱わないようなセンシティブな内容にも切り込んでいく同番組は、内容もさることながら、ユニークなコメンテーター陣の独自の視点での発言が非常に面白く、こと大阪で3ヶ月間テレビのないシェアハウス生活を送っていた私の唯一の楽しみでもあった。堀さんはどんな奇抜な意見でも、攻撃的な暴論でも、常に傾聴し、まず相手に寄り添い、受け入れる事から始める。そうして相手の気持ちの深層を聞き出していくという取材(インタビュー)の鉄則を常に保つため、安心して見ていられるし、話し手から新たな情報を聞き出せたりと、色んな意味で本当に学びが多い。
 ライフスタイルの変化から、しばらくアベプラから離れていたのだが、最近また見るようになり、堀さんが映画を作られた事を知った。
 
「わたしは分断を許さない」

 妊娠・出産・育児を経て以降、実に数年ぶりに一人で映画を観に行った。現実を目の当たりにする事への緊張感を覚える反面、実際に自分の目で見なくてはならないという使命感のようなものに突き動かされて、何とか千秋楽に時間を作り、映画館へ向かった。
 堀さんが独自に丁寧に取材された国内外の様々な社会問題。実際に堀さん自身で確かめようと現場に足を運んで感じたのが「分断」だった。 2011年に起きた東日本大震災のその後や、沖縄の基地問題、香港の民主主義デモ、カンボジアの中国化、パレスチナのガザ地区で70年も続く緊張、朝鮮との交流、東京出入国在留管理局における「ナンミン」、そして今問題になっているミャンマー情勢…。どれもテレビやインターネットで一度は目にした事があるだろうし、誰しも何となくでも聞いた事がある・知っている事だと思う。
 この映画をみて、改めて自分の無知さを心底恥じ、悔いた。
 東日本大震災で職や住まいを奪われた人に賠償金が支払われた事を揶揄したり罵倒する人がいる。被災者の深谷敬子さんは「お金なんていらないから、震災前と同じ生活を同じ場所で営みたい。」と願うが、ただそれだけの想いすら叶わない。戻れるのか視察するも、相変わらず線量は高いままだった。想い出のつまった自宅や自営の店舗は荒れに荒れ、すっかり変わり果ててしまっていた。今まで目を背けて来た現実に直面して、ただただ愕然とし、もう戻れないのだと諦観した。「ありがとうございました」の言葉と目からは深い哀しみが溢れ、言葉を失う。
 沖縄の基地移転問題。この件を見た時、私はCoccoの「大丈夫であるように」というドキュメント映画を思い出していた。当時既に関東を離れていたが、どうしても見たくて、上映している都内まで足を運んだのだった。あの頃から何も変わっていない。むしろ悪化している。日本国内の75%の米軍基地が沖縄に集中している異常さ。しかも辺野古への基地案は「密約」として随分昔からあったという。移設にかかる費用も全て日本負担という悪条件。何たることか。「沖縄は常に雑に扱われてきた」と話す元沖縄県知事の太田昌秀さんは諦めと呆れた様子で、その目には哀しみが溢れており、自嘲するようにも見えた。いくら声をあげても国につぶされてしまう。それでも声をあげ続けなければならない。あげるのを諦めたら最期、本当に取り返しがつかない事になってしまう。自分の故郷を諦めたくないから。未来は明るいと信じたいから。小さな声が少しでも大きな声になるように、と。 
 シリアで拘束された安田純平さんを覚えているだろうか。中東をはじめとする内紛地域で取材を敢行してきた。2015年6月にシリアの武装勢力により拘束され、2018年10月に開放されるまで自由を奪われていた。当時、安否を気遣う報道から、いつしか自己責任論へと論調が変化していったと記憶している。安田さんが日本へ無事帰国し、記者クラブでの第一声は「謝罪」であったこと、記者クラブでの質問の大半が拘束時の状況だったこと。本来であれば現地で見聞きしたシリアでの厳しい現状・惨状を伝えるべきこの場で、こんな不本意な事があるだろうか。
 内紛地域から逃れてきた難民キャンプには、自分の置かれた状況に屈せず、屈託なく笑う子どもたちが大勢いた。「サッカーが好き」「バスケットボールが好き」「テニスが好き」と笑顔で話す子どもたちも、その笑顔の裏で死と隣り合わせで命からがら逃げて来たという大きな傷を背負っている。その心のケアも当然必要だ。現地キャンプで心のケアに努める松永晴子さんいわく、彼らは聡明で哀しみを中々見せないという。そんな子どもたちの一人である11歳の女の子ビサーンちゃんの将来の夢は「小児科医」だという。子どもを救いたいと話すその目はキラキラと澄んでいて、まっすぐ見据えて語る言葉と眼差しに力強さと覚悟を感じた。今の日本の子どもで、これだけ自分の意思を強く持つ子どもが果たしてどれだけいるだろうか。

 その他にも、世界では数多くの「分断」が今現在起きている。 ミャンマー情勢も日毎変化しているし、入管法改正法案の動向も目が離せない。
 誰も望んで反対をしているわけではない。仲違いをしたいわけではない。ただただ平和に暮らしたいだけだ。
 分断を生むのは一体何か?国民一人一人が望むものと国が望むものの乖離。国は何を守るのか?首長の威厳か?国の体裁か?…否、国民であるべきではないのか。
 メディアが伝えるそれは、本当に真実か?都合よく切り貼りされていないか?
 諦めて受け入れなければならない。愛してやまない故郷を、生活を、ただ壊れていくのを見届けるしかない。そんな残酷で哀しいことを見過ごしていいのか。それは本当に諦めるべきことなのか?変わらない事なのか?受け入れなければならない事なのか?変えたくない圧力を、壁をぶち壊す「声」を拾うのが政治家じゃないのか。 立場が変われば視点は変わるのは理解できる。変わってしまった今こそ、権力のある人達がその視点を「一般市民」だった頃に立ち返って、初心の考えを思い出してほしいと強く願う。 
 そして、私達自身の意識も変えていかなくてはならない。私達が生活する上で、誰かに何かを託して押しつけている。自分達が知らない現実がまだまだ沢山あるという事を、まず知り、正しく理解する必要があると考える。

  世界が望むのはただ一つ。 

「世界中の人たちが、毎日を安全に健やかに生活していくこと」  


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