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右側通行から左側通行に変わった日にタイムスリップしてみたい!1978年7月30日の沖縄

人は誰でも一度は過去や未来などのタイムトラベルに憧れると思っている。
未来は予想にして不定だが、過去へのトラベルは史実を目の当たりできる。
そんな中、タイムスリップは現代においてはまだ空想の話ではあるが、
もしもタイムトラベルができるとしたら、どの時代に行きたいかを考えてみた。

私が行ってみたいのは・・・。

1978年7月30日の沖縄。

沖縄県民はこの日を「ナナサンマル」と呼ぶらしい。

この日、沖縄で何が起きたかの話の前にさらに6年前のに遡って知るべき出来事がある。
1972年は当時アメリカ領だった沖縄が日本に返還された年だ。
つまり戦後から1972年までは沖縄はアメリカだったということ。

ということは交通においては日本人が当たり前に思っている左側通行ではなく、
アメリカと同じ右側通行だった。

ただ1972年に沖縄が日本に返還されたからには日本になるわけで
国際法的で1つの国において交通ルールは1つのみと定められていたので、
沖縄もアメリカ式の右側通行から日本式の左側通行にしなくてはならなかった。

しかしすべきことが多すぎる。

看板、道路、標識、信号など交通に関する全てを一気に変えることなど不可能に思われる。
自動車学校の指導員は6月からひたすら指導方法を習得したようだ。

だが、当時の為政者は工夫に工夫を重ね、なんと8時間で右側通行から左側通行に変更させた。詳細は下記に。

タイムスリップするとしたら、その前日に沖縄入りして、8時間ずっと観察させていただきたい。その歴史的瞬間をこの目で見たい。

もしも万が一、日本が中国の日本省になったり、アメリカの51番目の州になったりした場合、同じように交通ルールを中国式やアメリカ式にするのかは分からないが、
もしするのだとしたら、想像を絶する作業が発生するだろう。

7月29日22時より、沖縄県全域で緊急自動車を除く自動車の通行が禁止され、沖縄県警察本部から県内の警察署への無線連絡により、一斉に変更作業が開始された。変更作業は翌30日6時までの8時間で行われた。変更作業に際しては約800人の作業員と約300台の車両が動員され、約19億円が投資された。その間、新標識から旧標識へ目隠しの移動、新白線を隠していたテープの除去などが行われた。30日4時18分、沖縄県の管理する全ての道路で切り替え工事が終了。5時50分、一旦解除されていた自動車の通行規制が再度行われ、すべての車が停車した後、右車線から左車線に移動。6時に再びサイレンが鳴り、多くの県民が見守る中で、止まっていた車が左車線を走行し始めた。

Wikipedia「ナナサンマル」

あなたはタイムスリップできるとしたら、いつのどこに行きたいだろうか?
イメージを膨らませるだけでもワクワクする。

詳しい話はいくつかのリンクを貼ったので、
興味があったらご覧になってみてください。

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