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青木麦生の楽らく滞在日記(1月22日・23日)

デイサービス楽らくに断続的に滞在中の歌人・青木麦生さんより、滞在日記を寄稿いただきました。


1月22日

今まで3日ほど日帰りでの滞在だったが、今日から初の宿泊滞在。いつもより重い荷物を背中に背負って楽らくに向かう。

一通り滞在の説明を受けた後ホールに向かうと、理学療法士の方による体操が行われていた。皆さまと一緒にじっくり行う。本気でやると結構ハードだ。背中と肩甲骨がほぐれて汗が滲んできて日頃の運動不足を痛感する。立ってフルメニューをこなしている利用者の方もいて、実に矍鑠としている。

皆さまにご挨拶した後、短歌を窓に貼る。今回は少し大きめにして、UDフォントを使ってみた。枡野浩一さんのかんたん短歌に倣って、楽らくでできた短歌を楽らく短歌と命名することにした。気楽に楽しく作った短歌。でもそこには、ちょっとビターな苦楽も見え隠れしている。

貼り貼りしていたら、嚥下体操が始まってあっという間にランチタイム。今回は利用者の方と同じ給食を頂くことにした。成人男性には少ないよねーと職員の方に心配されたが、おいしかった。

食事の後のまったりタイムで利用者の方とお話。いくつになっても親はこの顔が見たいんだからね、と諭され、実家にも立ち寄らねばなあと思う(前も同じことを言われて同じように思った気がする)。

午後のレクリエーションは、節分リーフ作り。見ていると折り紙が結構難しそうだった。材料を落とした方がいて、拾ったらその流れで一緒に作ることに。というか、「そこの男の人やってね」とキュートな笑顔で言われてしまったので、糊づけを手伝う。こちらとしてはやってもらわないと困るけれども、あらゆる手段を使ってやらせようとしてきて、そのせめぎ合いが面白かった。

そんなことをしているうちに15時半を過ぎ、利用者の方は順次帰路に着く。本当にここにいると一日が早い。2月にまとめて滞在する時に展示をすることにしたので、候補となる場所を計測しながらプランを立てる。

シールを剥がすためのスクレイパーを忘れたことに気づき、最寄りのホームセンターを調べてみると、徒歩30分だった。あいにく、自転車はパンク中。一瞬躊躇ったが、距離的には森林公園駅から歩く距離とさほど変わらないので、散歩がてら歩くことにした。道中短歌でも考えながら、と思っていたが、街灯が少ない暗闇の道を歩いているうちにだんだん怖くなってきて、スマホの充電も少なくなり、ロードサイドを大きいトラックがガンガン走ってて、心細くてそれどころじゃなかった。というか、めちゃくちゃ遠かったので、もう徒歩で行くのはやめようと思った。

帰ってきてシャワーを浴びて、短歌を考えていたらいつの間にか居眠りしてしまった。

目を覚まして、出入口の電気を消し忘れていたことに気づき、楽らくのホールに向かう。

学校もそうだが、静まった夜の施設には、独特の雰囲気がある。昼間の活気が嘘のように誰もいない。暗闇でただ一人。でも、昼間の残像が残っているからか、不思議と孤独という感じはしない。畳に座って周りを見渡す。薄暗い正面に「令和六年 謹賀新年」という貼り紙が時計の下に掲げられている。テーブルの上には、翌日に来る利用者の方の名札とズンドコ節で使うダンベルが準備されている。

何か違和感があると思い、目を凝らしてみると、椅子の肘掛けがテーブルの上に掛かっていて脚が中空に浮いていた。なるほど、ロボット掃除機が効率よく掃除ができるようになっているのか、よくできている。暗闇の中、六角形のテーブルに脚が中空に浮いた椅子がかかっている光景は、少し浮世離れしているようにも見え、まるで宇宙の中を進む宇宙船にいるかのような感覚に陥った。ふと、ボイジャーのことを思い出す。ボイジャーにはゴールデンレコードという地球の生命や文化の存在を伝える音や画像が収められているレコードが搭載されているという。太陽系の彼方の生命体が、楽らくの様子を見たら、どう思うだろう。そんなことを思って愉快な気持ちになった。


1月23日

この際、はっきり言わせていただこう。

筋肉痛である。

お尻の辺りが明らかに痛い。そして、ふくらはぎがだるい。昨日の体操と夜の徘徊の影響が身体に来ているのは明らかだった。

昨日は海賊船のレースで1位を取ったら、モンスターが覚醒。外に出ようにも謎の膜が船に張られていて外に出られない。同乗していた海賊はモンスターにやられて全滅。一人逃げ回っていたところ、膜に穴が空いているところを見つけて奇跡的に生還できたのであった、と言う夢を見た。

9時過ぎにホールに行くと、既に利用者の人が席に座っていた。朝のまったりとした時間もなかなか良い。ご挨拶がてら、利用者の方とお話しする。

短歌をやっていたという方が「締切がないとなかなか歌ができないんですよねー」と言っていて、ひとしきり盛り上がる。

窓に貼った短歌を見てくれる方もいて、「役場なんて今はなかなか使わないでしょう」などと鋭い突っ込みを受ける。今日は日差しを避けるためにブラインドが降りていて、文字が影になって見えるのもなかなかよかった。

だんだん利用者の方と話すことに慣れるに連れて難しいと感じているのは、短歌との距離感だ。お話好きの人は個人的な自分史のようなことも語ってくれる。その中には聞いててハッとする話もあり、短歌にしたいと思うものの、その人に寄りすぎるとなかなかうまくまとまらない。感情移入が深くなればなるほど、センシティブになって踏み込むのに躊躇するような感覚がある。

最終的には作った短歌を楽らく内で発表したいと思っているので、どのようにアウトプットしていくか、ということも考えていかなければならない。

改めて少し引いた位置でデイサービスの活動を眺めてみる。職員の人たちは、とにかくひっきりなしに動き回っている。業務をこなしながら一人一人とコミュニケーションを取り、ケアが必要な場面ではしっかりと手を貸す。一生懸命働いている人の所作は機能美のようで美しい。利用者の人の行動も様々で積極的に体操やレクリエーションに参加する人もいるし、昼食の後には畳で寝ている人もいるし、席に座ったまま居眠りしている人もいる。体操やレクリエーションにも参加せず、ただぼーっとしている人もいる。


今まではどちらかというと話を聞いていくということを中心に行っていたので、どちらかというと活動的でお話し好きの人と接する機会が多かったが、当然のことながら介護区分の段階によってなかなか動けなかったり話せない人もいる。そういう人たちにも目を向けられればいいと思う。

アメリカの詩人マクリーシュの言葉を思い出す。

「詩は意味してはならない/存在するのだ。」


青木麦生(あおき・むぎお)

歌人。大学在学中、歌人・水原紫苑の授業を受けたことをきっかけに、短歌創作を始める。
2000年、短歌研究臨時増刊『うたう』にて作品賞佳作。2010年にカッティングシートで切り抜いた短歌を街に貼った様子を写真に収めた処女歌集『阿佐ヶ谷ドクメンタ』を電子書籍として発表。以降、松戸アートラインプロジェクト、黄金町バザール、BCTION、SONICART、池袋モンパルナス回遊美術館などのアートプロジェクトに参加。川の護岸や街路樹など、街の至る所に自作の短歌を貼り付けたサイトスペシフィックな作品を展開している。

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