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#17 特別な日には/くろさわかな

【往復書簡 #17 のやりとり】
月曜日:及川恵子〈ただただ静かに、お元気で。〉
水曜日:泖〈無理矢理スペシャル〉
金曜日:くろさわかな〈ジブリ飯とお正月と金曜日の夜〉

ジブリ飯とお正月と金曜日の夜

毎日がスペッシッャ~ル♪ 毎日がスペッシッャ~ル♪
久しぶりに聞いて、いい曲だなーと思いながらも「いやいや、毎日がスペシャルだったらそもそもスペシャルじゃないだろ」と突っ込んでる自分もいたりして。スペシャルとか特別って、日頃制限・抑圧されていることだからこそ輝くのですよね。

ジブリ飯が美味しそうな理由も、「宮崎駿監督が普段は毎日同じメニューのお弁当しか食べないから」という説があります。そうすることで他の人にとってはありきたりな食べものも「特別」になって、その食べもののささいなことも敏感に感じられるらしいです。
たしかに、お菓子を我慢しているときとしていないときで、チョコレートの美味しさって明らかに違うよなあ。

そうやって考えてみると、わたしにとってお正月もクリスマスも思ったより特別感がなくなっているのは仕方がないのかもしれないなあと思います。どちらも普段我慢していることを開放するようなイベントじゃなくなってしまったから。子どもの頃は、お正月は普段はもらえないお年玉という大金がもらえて、我慢していたあれこれが買えるようになる、というめちゃくちゃ特別な日でした。もちろんクリスマスも。クリスマスイブの夜のワクワクと、次の日の興奮といったらなかったです。

大人になった今は、そういったイベントの日よりも「金曜日の夜」の方がスペシャルを感じてしまいます。「明日の仕事」「朝決まった時間に起きること」を考えなくてOKな特別な日。金曜日の夜に関しては、小学校に通っていた頃からずっと変わらないスペシャルデーです。

とはいえ、祝杯をあげてパーティーをしているわけではありません。
ただただ、明日は休みでいつ起きてもいいという自由と、時間を無駄にできる贅沢感から湧き上がる幸せを満喫しているだけ。傍から見たら普段となにも変わらないように見えると思います。だけど、及川さんと泖さんの「特別な日こそ静かに穏やかに過ごす」という過ごし方がまさしくそのとおりで、普段通りに見えていても、幸せホルモンのセロトニン、オキシトシン、ドーパミンの数値は凄いことになってるんじゃないかな…。

なお、クリエイティブなことも世の中の役に立つことも将来のためのなんちゃらも、一切することはありません。そんなことをしだしたら、きっと金曜日の夜がスペシャルじゃなくなっちゃう。
欲望すらも手放して、「したい」「しなくちゃ」をおやすみするのがわたしの金曜日の夜なのです。時間の流れに身を任せて意識がここにあるんだかないんだかここにいるのは自分なのかそうじゃないのかもわからないような、よくわからない感覚になって、眠くなるギリギリまで意味もなく起きているのがサイコーですね。(※)

今日の「金曜の夜」もスペッシッャ~ルに過ごすぞー

※こうやって書くと、瞑想でもしているように思われてしまうかもしれませんが、大抵は手癖でできるような単純作業してます。最近は「イラストロジック」(雑誌まで買っちゃった…)。未熟なわたしの場合、瞑想するよりも、単純作業でゾーンに入った方が何も考えないでいられる気がします。

くろさわかな

【追伸】
今日、雪虫が飛んでいるのを見ました。
いくつになっても、見るとちょっと得した気分になります。

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