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山岸涼子の「言霊」

「テレプシコーラ/舞姫」以来、山岸涼子は、
バレエをテーマにしたマンガを描くことが多いが、
この「言霊」というマンガは、
設定がバレエである必然性はそれほどないように思える。

おおまかなストーリーは、
バレリーナを目指している、
澄(さやか)という16歳の女の子がいて、
いつも発表会では緊張して、
あまり良い成績を出せないでいるのだが、
かつて、自分より前の出番の子が失敗した時に、
安心してリラックスできたことがあったため、
いけないこととはわかっていながら、
発表会では、つい、友達の失敗を願ってしまう。

ところがある日、そう願うことは、
自分で自分に呪いをかけているようなものであると気づく。
そのくだりのセリフは、こうである。

失敗?
あれ…失敗という言葉もネガテイブだよね
誰かが失敗すればいい
梓ちゃんが失敗すればいい…なんて
声に出してではなく
心の中で思っているだけだけど…
考えてみたら
わたし心の中で念じていれば
相手に通じると思っていた…本気で?
マンガの中のテレパシーでもあるまいし
本人の耳に届くはずもない
心の中で念じただけで相手が失敗するなんて
本当はありえない
えっ、待って
“失敗して”という言葉を聞いているのは
それはそれを念じているわたしだけが聞いている
……ということは…?
わたしがわたしの脳に
“失敗して”と言い聞かせている!?
そ、それじゃあ
わたしはわたしに呪いをかけていた!!
わたしはわたしを呪縛していたの?
他人(ひと)を呪うことは自分を呪うことなんだ!
……なんて愚か…
……ということは
他人(たにん)の成功を願うことは
自分の成功を願うことと同じ!?
他人の成功…
たとえば梓ちゃんの成功を願える?
本気で?それこそ偽善じゃないの?
でもわたし今日心にもなく
梓ちゃんにエールを送った時
…なにかホッとしたような
そう言えた自分にホッとしたような…
それなら願おう!偽善でもいい
願ってみようすべての人の成功を!
それが自分の成功につながる!

ちょっと長くなってしまったが、
このことに気付いた澄(さやか)は、
本番前にライバルの梓ちゃんにエールを送り、
そのことで自分もリラックスできて、
緊張して失敗してばかりだった、
イタリアン・フェッテ(回転技)に成功し、
地味なドルシネア姫(演目)で高い評価を受けたのである。

この山岸涼子の思想はすごいと思う、
従来「言霊」といえば、
発した言葉が怨念の矢となって、
相手につきささるようなイメージなのだが、
ここでは音として発せずに、頭の中で思っただけで、
その言葉のエネルギーは自分に影響を与え、
プラスの言葉ならばプラスの方向に導いてくれるし、
マイナスの言葉ならマイナスの方向に向かわせる、
というようにとらえられている。

これは「言霊」という概念に関する
新たな、重要な見解だと思う。
そんなことをサラリと、
マンガの中で表現している山岸涼子。
やはり重鎮はすごい、半端ない。

惜しいのは、これが、バレエマンガという、
特殊な表現の世界で語られていることである。
男性で、この表紙を見て、
このマンガを読んでみようと思う人は少ないだろう。
昔の山岸涼子の作風を知っている人なら、
オカルトマンガと思うかもしれない。
そもそも山岸涼子も知らないし、
バレエにもまったく興味ない人なら
何も引っかかるものがないであろう。

そんな本の中にさりげなく、
こんなすごい思想が書かれているんだから、
本当に日本のマンガというのはあなどれない。



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