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あの頃は新聞から情報を得ていた

1989年の2月9日に手塚治虫が亡くなり、
僕はそのことをバイト先の中華料理屋で
新聞で見て知ったのだが、
同じように1989年に
新聞を通じて知った衝撃的な事件が宮崎勤事件だった。

1989年の3月11日に宮崎勤が今田勇子名義で
殺された女の子の一人、今野真理ちゃんの自宅と、
朝日新聞東京本社宛てに送った犯行声明文が届いた。

翌日の朝日新聞の第一面に犯行声明文が写真入りで掲載された。
その日3月12日は日曜日で、
僕は朝から中華料理屋に出勤して、
朝一番で昨日の出前の器を回収していた。

中華料理屋のすぐ近くに「福博酒販」という、
酒類の卸しの会社があったのだが、
この会社には十数人の社員の人がいて、
毎日誰かが何かの出前を頼んでいた。

それで福博酒販には
毎朝必ず器の回収で寄っていたのだが、
福博酒販は日曜が休みで、日曜には出入口は施錠され、
配達された新聞が読まれないまま出入口の前に置かれていた。

出前の器は出入口の前のところに回収できるように置いてあるのだが、
その横に新聞が置かれており、しゃがんで器を回収する時に
新聞の一面は自然に目に飛び込んでくる。

そこにこの異様な文字があったのだ、
一目見て僕は、正常な人間が書いたものではないと思った。
そしてこれを書いたのは男だと思った。
差出人は今田勇子という女性のような名前だったが。
その文字を見てなんともいえず不穏で
不愉快な気持ちになって寒気がした。
あれからもう30年が経とうとしているのか。

つい先日用事で福岡に行った時、春吉の街にも行ったのだが、
福博酒販はまだあった。

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