「あたたかい右の手」あらすじ
壺井栄の「あたたかい右の手」という作品、文庫本も絶版でネット上でも発見できなかったので、7年前にあらすじをFacebookで紹介しました。その再録。
先日FBに投稿した話の中に出てくる、
「あたたかい右の手」という小説、
なかなか入手困難なようなので、
そのあらすじを御紹介させていただきます。
まず、この小説はこんな一文から始まります。
【本文引用①】
B組で、いちばんよくできる子、それは、
名前も、いっとうめずらしい慈雨ちゃんでした。
いちばんおとなしく、そしてやさしい子、
それも慈雨ちゃんでした。
本文引用①ここまで
主人公は竹子。
慈雨ちゃんは小学校の同級生。
竹子はちぢれっ毛でぷちぷちとふとっていて、
皮膚の色もつやつや、
快活でなんでも思ったことを遠慮なく口に出して言う。
慈雨ちゃんは美しい目と美しい黒髪の女の子。
やせて、青い顔色をして、おとなしく、
クラスの人から無実の罪で疑われても
弁解はせずにただ涙を流したりする。
竹子はそんな慈雨ちゃんを歯がゆく思ったりしている。
それはこんな感じです。
【本文引用②】
「慈雨ちゃん、あんた、お人よしね。すこし気が弱すぎるわ。
もっとぱきぱきいわなくちゃだめだと思うの。
じぶんがわるくもないのに、だまってひっこんでるなんて」
すると慈雨ちゃんは、竹子にだけは答えるのです。
「だって、わたし、いいあいって、きらいなんですもの」
それは、ケシゴムをなくした子が、
慈雨ちゃんにうたがいの目をむけて、
ひにくをいったときのことだったのです。
慈雨ちゃんはポロポロなみだをこぼしながら、
自分のケシゴムを相手の子にわたしました。
あとからでてきたので、うたがいはとけたのだけれど、
その子はいいました。
「へんな人ね慈雨ちゃんて、じぶんのものなら、
そうだとはっきりいえばいいのに、
くれたりするから、うたがうじゃないの」
それでも慈雨ちゃんはだまっていました。
本文引用②ここまで
ある日「慈雨ちゃん、あんた、学校でたら、なにになるの。」
と竹子が聞くと慈雨ちゃんは
「あたし、どうていさまよ。」と嬉しそうに答えました。
「どうていさま」とは「童貞さま」と書き、
カトリック教の修道女の事を指します。
今は男性に対して使われる言葉ですが、
元は女性専用に使われていた言葉です。
例えば雙葉学園の前身として1874年に横浜に開校された、
「ダーム・ド・サン・モール」の日本語表記は、
「仏語童貞学校」でした。
竹子は「どうていさま」というものがどういうものか、
理解できませんでしたが、後に「尼さん」のことであると知り、
慈雨ちゃんに「やめなさいよ」と忠告するのですが、
「だって、もうきまってるんですもの。」
と、慈雨ちゃんは笑顔で答えます。
その後、竹子と慈雨ちゃんは別々の中学に進み、
あまり会えなくなります。
そして、五月はじめのある日、
久しぶりに二人は再会します。
【本文引用③】
「わたしたち、あさってが遠足なの、
もういまからテルテルぼうずを作っているのよ」
いつもひかえめの慈雨ちゃんが、
そのときはめずらしくじぶんから話しかけてきたのです。
よほどうれしかったのでしょう。
そしてその遠足の日の、あくる日、
竹子はなんにも知らずに家をでて、
慈雨ちゃんのこともわすれたまま学校にゆくと、
大さわぎがおこっていました。
みんながあつまっているポプラの木のしたに近よってゆくと
「たいへんよあんた、慈雨ちゃんが死んじゃったのよ。しっている?」
「えっ!」
「汽車の中でおしつぶされたんだってよ。」
本文引用③ここまで
時は戦時中で、遠足の女学生も、一般の客も、
貨物列車にぎゅうぎゅうに押し込められて
移動しなければなりませんでした。
そんな貨物列車の片隅で慈雨ちゃんは、
壁に押し付けられて圧死してしまったのです。
竹子はショックのあまり学校を早退し、
おかあさんといっしょに慈雨ちゃんのお通夜に行きます。
そして、そこで思いがけない言葉を聞くのです。
【本文引用④】
「慈雨は、美しい心のまま、
神さまにめされていったのですから、
かなしいことではないのです。こんなにはやくめされて、
どんなによろこんでいるかわかりませんよ。
慈雨はほんとにしあわせです。」
慈雨ちゃんのおとうさんがそういうと、
おかあさんも涙ひとつこぼさずにいうのです。
「みんなみんな神さまのおぼしめしですから、
きっと慈雨ちゃんもよろこんでいるでしょう。
きのうも病院からおしらせをうけましたけれど、
あの子はもう神さまのお心のままにおまかせしてありましたから、
わたしはまいりませんでした。もしも神さまが、
この世に生かしておきたいとおぼしめすなら、
きっと生きかえるにちがいないと思ったのですが、
神さまはやはり、はやくおそばへ
慈雨をおよびになりたかったのでしょう。」
竹子はびっくりしてしまいました。
本文引用④ここまで
結局、慈雨ちゃんの遺体はまだ病院から戻っていませんでした。
竹子がおかあさんに、
「おかあさんは竹子が死んでも泣かない?」と聞くと、
おかあさんは大きく顔を横に振り、
「慈雨ちゃんはかわいそうだね。かわいそうすぎる。」と言います。
竹子はぽろぽろと涙をこぼします。
【本文引用⑤】
お家の人、どうして、だれもかわいそがらないの、
あんないい子なのに、あんないい子だったのに、
慈雨ちゃんたらまた、
どうしておされっぱなしでがまんなんかしたんだろう。
どうしてどうして、おしかえさなかったの慈雨ちゃん、
それをわるいことだと、思ったんでしょう……。
竹子はわが心のなかの慈雨ちゃんに、
うらみごとをいいながら、しゃくりあげました。
かわいそうだわ、せっかく生まれてきたのに、
病気でなしに死ぬなんて-----。
いつまでもしゃくりあげている竹子のかたに、
おかあさんは手をかけ、そっとひきよせるようにして、
「泣いてあげなさい。泣いてあげる人もいなくっちゃ。」
そしてつぶやくようなちいさな声で、
「人間が貨物列車にのるなんて、もとはみんな戦争のせいよ。
あれも、これも。わかるでしょ」
それにこたえるかのように、竹子は、
うなずきながらかたのうえのおかあさんの手を、
かるくにぎりしめました。
あれてガサガサした手は、しかしあたたかい右手でした。
本文引用⑤ここまで
これで小説は終了です。
これ以上の解説は必要ないと思います。
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