壇蜜について

今日は「勝手にふるえてろ」の
松岡茉優について書こうと思っていたのだが、
Facebookに8年前に書いた、
壇蜜についての文章が甦ってきたので、
急遽こちらを再録することにした。
8年前の文章なので、
今ではかなり状況が変わっているが、
それはそれで面白い。

やっぱり壇蜜はすごかった

かなり前から

「すごいグラビアの新人が現れたらしい」

「年齢は結構いっているらしい」

「サブカル番長のリリーフランキーとか、

みうらじゅんとかがリスペクトしているらしい」

などという噂はネットなどで目にしていて、

壇蜜ってどんな人なんだろうと思っていたのだが、

そのうちテレビにも出始めて、

「しゃべくり007」とか「笑っていいとも」とかの、

有名バラエティ番組なんかでも見かけるようになり、

そこで、かなり作為的な、

あえてお茶の間の顰蹙を買おうとしているような、

あざとい「エロ」を演じていたので、

「ああ、こういう売り方のタレントなのか」

とタカをくくっていた。

しかし、なんとなく壇蜜という人物から漂ってくる、

「どんなバカをやっても絶対に売れてやる」というような、

並々ならぬ気迫みたいなものは気になっていて、

それで「私の奴隷になりなさい」を見てみたわけなのだが、

これが意外にいい映画だった。

元々SMものは苦手で、何が嫌かというと、

支配するとかされるとかの

「主従」みたいな関係が嫌いなのと、

「お前、口では嫌と言いながら、

もう○○は○○じゃねえか!!」というような、

決まり文句のような攻めと受けのやりとりが、

なんだか歌舞伎とか宝塚みたいな、

紋切り型の伝統芸能的なやりとりを見ているようで、

気恥ずかしいというか、

そこまでその世界観に陶酔しきれなくて、かえって、

陶酔して主従関係を「演じて」いる二人を見て、

「プププ」と笑いたくなってくるような気持ちがしていたし、

更にスカトロもののようなグロいのは、

とにかく生理的に受け付けなくて、

まあ、SMものというのは基本的に敬遠していた。

今回は、壇蜜というのがどれほどのものなのかという興味と、

共演の板尾創路が好きだったこともあり、

特別に見てみることにしたのである。

それでどうだったかというと、

往年の神代辰巳の映画を見た時のような、

いや、これは言い過ぎかもしれないが、

その感覚に近いくらいの充実感を感じた。

僕が映画に何を求めるかというと、

まず、第一にストーリーの整合性、

ストーリーに破綻がないということを何よりも重視する。

そしてそのストーリーにおける設定(エピソード)の必然性、

例えば今回の映画で言えば、

壇蜜の裸を見せたいためにSMという設定を持ってきたのではなく、

まず、設定がSMでなければならない物語の必然性があって、

そのストーリーを実現するためのモデルとして、

壇蜜が使われているというようなこと。

(ちなみにここで使っている「モデル」という言葉は、

ロベール・ブレッソンの著作によく出てくる、

「モデル」という言葉に近い意味で使っています。

ロベール・ブレッソンというのは、

僕が尊敬しているフランスの映画監督です。)

それからカット割りとアングル。

そしてキャストと演技といったところなのだが、

この映画はすべての項目において、

そこそこのレベルに達していると思った。

ただ、設定がSMであるということに拒絶感を感じていたのだが、

実はこの映画のストーリーは、

あるひとつの価値観(この映画ではSMの主従関係)があって、

その価値観の外側にいる人間が、

その未知の価値観の世界に触れることによって、

自分が信じていた価値観が根底から揺らぎ始め、

その狭間で葛藤する、という構造になっていて、

これはP・K・ディックが描くSF作品が提示する、

価値観のパラドックスの問題と同じような構造である、

というのは言い過ぎだろうか?

そういえばSFとSMは語感が似ている。

元々SMというのは、理屈っぽい人々が好む嗜好で、

ジル・ドゥルーズの解釈のように、

難しくとらえようとすれば哲学的な世界なのだ。

その世界観を映像化するにあたっては、

「毛皮のヴィーナス」のワンダのような、

魅力的なイコン(偶像)が必要なのだが、

今回その役割を果たしたのが壇蜜で、

それがそこそこはまり役だったと思うのだ。

まず、主人公の女性は、

真山明大演じる、若くてイケメンでチャラい男が、

夢中になり、翻弄されて、嫉妬に狂うくらいに、

神秘的で魅力的でなければ物語は成立しないのだが、

その役を壇蜜という、特に美人でもなく、

そんなにスタイルも良くない女性が演じているというところが、

なんともリアルで、共感をそそる。

この映画には、杉本彩がカメオ出演しているのだが、

もし壇蜜の役を杉本彩が演じていたとしたら、

それはまた別の映画になっていたと思う。

壇蜜のショボさ、そのショボいOLが、

板尾が演じる「先生」の勘違いした価値観によって、

別の意味での「美しさ」を得て、

「まともな世界」の住人を虜(とりこ)にし、

その異常な楽園に引きずりこんでしまう。

AKBというのも同じようなシステムなのかもしれない。

そして、この映画における壇蜜の捨て身の演技は、

グラビアで谷間をチラ見せなんていう、

なまやさしいものではなくて、

冒頭から縛られておっぱい丸出しである。

偉いなあと思った。

どんなに勘違いした、倒錯した世界観であろうと、

自分なりの世界観を持っているということ。

そのことから来る自信こそが

「美しさ」なのだということなのだろうか?

とにかく、こんな映画を、

奥さんと一緒に見るのはちょっと気まずいので、

芦屋で疑似一人暮らしをしていてよかった。

それにしても僕の好きな松本人志さんも「R100」を撮ったし、

今回の映画には板尾創路さんが出演しているし、

好むと好まざるとにかかわらず、

SMというものにも目を向けなければならない、

そういう時期が来ているのかもしれない。

とりあえずベルベットアンダーグラウンドの、

「毛皮のヴィーナス」をもう一度聞いてみよう。


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