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第4回 中小IT出身の私がなぜプロジェクトマネージャになれたのか?(起死回生編)

こんにちは!
株式会社クリエイションラボの平澤です。

前回は人生最大の危機!!で続きとなりましたが、
今回はその危機をどの様に抜け出して、
最終的に大規模プロジェクトも担えるPMになれたのか。
「起死回生」編として、解説させて頂きたいと思います。

・恥も外聞もなく
リーマンショック・年齢・マネジメント経験なしといった
三重苦が重なったことで、転職活動が壊滅状態となり、
このままホームレスなのか…? と思い悩む日々でした。

生きていくためにIT業界から手を引こうとも。
それぐらい追い詰められていたのです。

ただ、全力を尽くしてダメなら諦めよう。
そう思い直し、最後は恥も外聞もなく
旧知の方々に連絡を取ることにしたのです。

その中には円満に別れた方ばかりではなく、
方向性の違いでお別れした会社や知人もいます。
それでも、背に腹はかえられませんでした。

…こうして連絡を取ることになりましたが

「間に合ってるかな」
「うーん大変だね。頑張ってね」
「あー 今はお力になれないな」

まあ、心が折れます(苦笑)
今はLINEがありますが、当時は電話メインのため、
ダイレクトに感情の抑揚が伝わります。
かなり辛い状況でした。

・諦めたらそこで試合終了
その中でこの方は絶対に無理だな。。
という方がおられたのですが、開き直り架電したわけです。

ドキドキしながらお電話し、お取次ぎ頂いたのですが、
その方は私の名を聞くなり
「元気だった? 意外な人から連絡がきて嬉しいよ」と。

最悪は死刑宣告を下されることを想像していたため、
すごくホッとしたのを記憶しています。

ただ、第一関門は抜けましたが、肝心なのはその後。
私は自身の現況や目指す方向性について、
熱意をもって必死に説明いたしました。

その方は一通り話を聞いた後で、
「それならちょうど良い仕事がある」と仰って頂き、
担当営業までご紹介して頂けたのです。

「…諦めたらそこで試合終了ですよ」

この有名なフレーズが身にしみるエピソードというか。
心が折れつつも諦めずに続けていた結果、
最後の最後で報われた形でした。
まったく、人生とはわからないものです。

・働けることに感謝!!
紹介されたお仕事は、
とある通信キャリアのフロントSEでした。

クライアントも最初のうちは、
マネジメント経験が薄い私に難色を示しておりましたが、
「雑務でも何でも構わないのでやらせてください!!」という
私の気迫に押されたのか? 受けて頂けることになりました。

ここは欧米と日本の違いといいますか、日本には人情の文化がございますので、必死に全力で取り組もうとしている人間に対しては、手を差し伸べて頂けることが多かったりします。

プレゼンもそうですが
スマートに話すことが重要ではありません。

相手に対してどれだけの熱量が伝わるか。
それが重要であり、勝負の分かれ目となります。

さてさて、こうして再就職が決まりました。
給料は3分の2になりましたが、
苦しい時期を過ごした私にとっては
働けること自体が至上の喜びでした。

働けることに感謝!!!

・あらためて必死な毎日
就業したキャリアは自前でソリューションを展開しており、
私の役目はフロントSEという立場で、
クライアントにソリューションの提案から導入まで行うものでした。

自分が提案して、売って、その後のアフターケアまで行う。
これを一人称でやります。
良くいえば自由だし、悪くいえば全て自己責任。
こうしたプレッシャーの高い仕事でもあります。

そんな中で就業して2週間ほどしてから、
「営業に同行してもらえるかな」と。
いきなり、まさかのひとり立ち・・・

それでも、やるしかないとクライアント先へ伺い、
しどろもどろな感じでご説明したのですが

・この箇所どう連携するの?
→「あらためて回答させて頂きます」
・これ予算どれくらい?
→「計算してあらためて回答します」

極度の緊張で逃げ出したい状態。

最終的にクライアントから「うんとさ、何しにきたの?」と言われ、同行した営業には「困るんだよね」と言われ…
帰り道は消えたい気持ちでした。

…残念ながらこの様な状況となりましたが、
私に逃げる選択肢はございません。
ここで逃げたら、あの苦しい毎日に戻る訳ですから。

その苦い経験を糧に、毎日、毎晩会社に遅くまで残り、
膨大な資料を読み込み、不明点は周囲に聞きまくる。
そして自身担当以外の案件においても、
先輩や営業のクライアント訪問に同行し、
商材の特徴やコミュニケーション術を叩きこみました。

このあたりは第三回でもご説明しましたが、
スキルアップを目指すには、とにかく行動することです。

最初からスマートにこなせる方はおりません。
とにかく始めてみて、
その中で成功・失敗・試行錯誤を繰り返します。
しばらくは苦しい状態が続きますが、
そこを耐えて「ブレイクスルーポイント」を超えた後は、
飛躍的に自身のスキルが伸びることになります。

これに関しては、「成長曲線」「ブレイクスルーポイント」で検索すれば解説文献が多く出てきます。ご参考までに。

・後は伸びるだけ
こうして「習うより慣れろ」で場数を繰り返している内に、「ブレイクスルーポイント」を迎えて、三ヶ月もしたら一人でこなせる様になって参りました。

ひとつの壁を越えた先には、更に新しい世界が待っています。
これはゲームであるRPGと一緒ですが、レベルが上がる毎に行動範囲が増えて、新しいステージには更に強い敵が待っていたりするのですが、一度掴んだ自信をベースとしてこなせる様になるのです。

私にはこの仕事に就く前マネジメント経験がありませんでしたが、熱意をかって頂き、この業務に就かせて頂いたことで、
「きっかけ」を掴むことができました。

マネジメントの仕事に就く上で、皆さまこの「きっかけ」を掴むのに苦しむ訳ですが、安心してください。いきなりPMになるのは難しくても、フロントSEやPMOからであれば、そこまで難易度は高くありません。

・シンプルな事実
但し、何もせずマネジメント系の仕事に就けるかといったら、そうではなく。

下流領域と上流領域は別職種です。
こちらに関しては第二回を読み直して頂きたいのですが、職域として明確に分別されています。残念ながら、オペレータから始めた方がそのままPMになれる訳ではございません。

ではどうするか?

私がそうであった様に、ジョブチェンジをすることです。
給料が半分になること、新人扱いになることを覚悟で。
条件を下げれば、PMOからであればマネジメント職種はございます。

これは誤解されがなのですが、同じ業界内のスライドだから、給料は上がるのが当たり前、設計領域まではリーダーだったから上流領域に移行してもその扱いが当たり前と考える方がいます。

ですが、下流領域から上流領域に移行することは、
異業種への「転職」と同義なのです。

この考えを捨てない限りは、下流領域出身の方がPMに昇格することは難しいでしょう。現実は厳しいのです。

賛否両論あるかと存じますが、
少なくとも私はそう考えております。

どの様な道を進むかは個人の自由となりますが、
このシンプルな事実を念頭に、色々な角度でお考え頂くきっかけとなれば、私としてもこの記事を書いている意味があるかな、と思います。

・次回に向けて
ここまでIT業界の構造問題や自身の成り立ちについて記事とさせて頂きました。あらためて、読者の方がキャリアを振り返り、今後を考えるきっかけとなって頂けると嬉しいです。

さて、「プロジェクトマネージャになるには?」の観点において、興味が強い事柄においては「資格」があると思います。

その領域に触れたいと思いますので、次回は「プロジェクトマネージャになる上で資格は必要か?」について解説させて頂きたいと思います。

それでは皆さま、お読み頂きありがとうございました。
次回もお会いできることを楽しみにしております。

■自己紹介
株式会社クリエイションラボ
代表取締役社長 平澤 富輝

エンジニア歴28年。
インフラのエンジニアとしてキャリアをスタート。内資/外資、業種を問わず多くのお客様先でプリセールスやフロントSE、プロジェクトリーダーからプロジェクトマネージャを歴任し、大中小、百以上の案件やプロジェクトに携わる。

会社員時代は最終的に30名を束ねるグループリーダーも担い、その長い経験の中でマネジメント人材育成の重要性を感じ取り、その裾野拡大を志して独立する。
「エンジニアとは才能でなく、学ぶ姿勢と少しのセンス」が持論。

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