大将のお寿司
大学生の頃、回らないお寿司屋さんでアルバイトをしていました。
回らない寿司とはいえ、新鮮で美味しいネタをリーズナブルなお値段で提供してくれる、カウンターのみ10席ほどのアットホームなお店でした。
元々そのお店で働いていた友人が海外留学に行くことになったため、代打として紹介してもらったのがきっかけでした。
「大将はおもしろくていい人だよ。」
時給850円。食事付き。
勤務は17時から22時まで。
シフト制で、他にも2人ほどバイトの子がいるので、カレンダーに自分が勤務できる日を書き込むスタイル。
当時私が一人暮らしをしていたマンションから徒歩3分。
この好条件に断る理由など何もなく、大学3回生になる私のアルバイト生活が始まりました。
初日はさすがに緊張しました。
17時前、シャッターが降りたお寿司屋さんの前で待っていると、まさに「寿司職人」な出立ちの男性がやってきました。
「今日からの?」
「あ、はい。よろしくお願いします!」
シャッターをあげて店内へ。
私がすべき仕事を教えてもらいます。
○「いらっしゃいませ!」の挨拶。
○おしぼりを出す。
○飲み物(あがり、ビール、ジュース)や赤だしを出す。
○お会計。お寿司は皿の種類で値段が異なるので、皿ごとに集計し計算する。一品料理は大将から値段を教えてもらい、お寿司の金額に付け足して会計する。
○食器下げと皿洗い。
「まっちゃんやな、よろしく」
私の旧姓から、呼び名はまっちゃんと決まりました。
店内には演歌や野球実況が流れるラジオがかかっており、壁には大将手書きの旬のネタメニューが貼られています。
決しておしゃべりではなさそうな大将が、ネタの仕込みをしながら時々話しかけてくれました。おかげで緊張もほぐれていきました。
程よいビールの泡づくりもお会計も最初からうまくはいかず、何度も大将に迷惑をかけてしまいました。
しかし、そんな時も大将は
「大丈夫や。」
と温かく見守ってくれました。
「はい、食事。うちはまかないじゃないから。今のうちに食べとき。あがりと赤だしは自分で入れて。」
接客の合間を縫って、大将が私のために握り寿司セットを用意してくれました。お客さんに出すのと同じ、新鮮なネタの美味しいお寿司。
初めていただいた日の感動は忘れられません。これからバイトに入るたびにこんなに美味しいお寿司にありつけるなんて、私はなんて幸せなんだと思いました。
来店されるお客さんは常連さんと思われる方から初めてと思われる方までさまざま。
お客さんはみな、大将に直接注文を伝えます。混んでいる日も、すべての注文を大将が一人でさばくのです。
次から次へと注文を受け、握ってはお客さんの前に出していく大将を見て、大将は一体どんな記憶力をしてるんだと感心したものでした。
と同時に、何もできない自分の不甲斐なさも感じ、少しでも大将の役に立てるように、鯛のあら炊きの注文が聞こえてきたら、鍋と調味料を1箇所に集めておくなど自分にできることをするように心がけました。
「おぉ、まっちゃん!助かるわ!」
そう言ってもらえた時はとても嬉しかったです。
お店がいつになく満員でてんてこまいだった日、大将が笑顔で言いました。
「まっちゃんが来る日は忙しいわ。」
私は自分が招き猫にでもなれた気持ちがしました。
大将は時々、
「はい、まっちゃん!夜食。」
と言って、帰りに太巻きやサラダ太巻きを持たせてくれました。
この巻き寿司がまためちゃくちゃ美味しいのです。
この美味しさを家族にも伝えたくて、帰省する際にはよくお店に寄って巻き寿司を買って帰ったものでした。
大好きな祖父母にも巻き寿司を届けたことがありました。二人とも美味しい、美味しいととても喜んでくれました。
働いていた頃の1番の思い出はなんと言っても節分の日の勤務です。
節分といえば巻き寿司。
その日はお店の通常営業はせず、巻き寿司のみ販売の対応でした。私が17時に出勤するとすでに大将は大量の巻き寿司を巻いているところでした。その日は大将自ら巻き寿司の配達もされていました。
「まっちゃん!卵焼ける!?」
あまりの忙しさに、これまで手伝うことのなかった卵焼きを大将から任されました。家庭用とは違う大きな卵焼き器と大きなコンロで卵を焼きます。決して上手ではなかったと思いますが、大将に
「よし、いけるな。」
そう言ってもらえた時、この劇的に忙しい節分の日の勤務を大将と共に乗り越える一員として認めてもらえた気がして俄然やる気が出ました。
大学4回生になると授業が減ったため、一人暮らしを辞めて実家から大学まで2時間以上かけて通うことになりました。
しかし、通学定期もありましたし、お寿司屋さんでのアルバイトが楽しかったのでそのまま継続しました。
大学を卒業して、いよいよお店を離れる時は本当に寂しかったです。
大将は記念にと、お店オリジナルの湯呑みをプレゼントしてくれました。
その後も客として何度か大将のお店を訪れました。
実家の家族とも食事に行きました。
私の父も大将も熱狂的な阪神ファンだということもあり、すっかり意気投合したようでした。
私の結婚式には、出席してくれた親族にお土産として渡す巻き寿司を注文し、大将が式場まで配達してくれました。
ドレス姿で大将と写った記念写真は大切な思い出の一枚です。
長女をベビーカーに乗せて挨拶に行ったこともありました。
大将曰く、他のバイトの子たちも、旦那さんやお子さんを連れてよく会いに来てくれるとのことでした。
大将の温かい人柄ゆえ、みんなそうしていたのだと思います。
ところがしばらくして、久しぶりにインターネットでお店の情報を検索した時、大将のお店が閉店していたことを知りました。
大将が亡くなられたというのです。
ひどいショックでした。
あんなに元気そうだったのに。
ある日、大将は私に話してくれたことがありました。
朝は明石の魚の棚に仕入れに出て、昼は仕込みついでにお店を一人で開けて、一旦帰って仮眠を取った後またお店に戻って来るのだと。
来客がない時、大将はいつも甘いお饅頭などを頬張りながらデイリースポーツを読んでいました。
私は毎回美味しいお寿司をいただいていましたが、大将はいつ食事を取っていたのだろうと今さらながら思いました。
大将は病気だったのかな。
それとも働きすぎだったのかな。
毎日、私が帰るのと入れ替わりでお店に来られていた優しそうな奥さんや、学校帰りにお店を覗いて大将に手を振っていたお子さんのことを思い出すと、いたたまれない気持ちになりました。
今でも時々思い出します。
大将のお寿司、美味しかったな。
サラダ太巻き、もう一度食べたいな。
二女にも会ってもらいたかったな。
お寿司が大好きな娘二人を連れて、あのカウンターの丸椅子に座って、家族四人で大将の握る美味しいお寿司を頬張りたかったな。
大将、本当にお世話になりました。
天国でゆっくりと、大好きな甘いものを食べながら阪神の勝ち試合を見てくださいね。
大将のお寿司、世界一おいしかったよ!