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Math Note Ⅰ 第22話

 インターホンが鳴った。モニターに映っている顔に驚いた。
「え、お母さん?」
「こんにちは。典子、元気にしてた?」
「うん。ちょっと待ってて」
 慌ててドアを開けた。
「ちょっと顔が見たくて遊びにきちゃった」母はいたずらっぽく微笑んだ。
「お父さんは」
「家にいるわよ。私一人で来たの。隆志さんや弘幸くんはいるの?」
「ううん、隆志は休みの日なのに会社に行くって。弘幸は友達と大学を見に行くって朝から出かけちゃった」
「そう。じゃあ典子とゆっくり話ができるわね。ちょっとお邪魔してもいいかしら」
「あんまり片付いてないけど、よかったら入って」
 
 これまで母とは電話で話をすることは何度もあったが、母がこの家に来たのは何年ぶりだろう。弘幸がまだ小学校に上がる前に、一度来てくれたことがあった。
 コーヒーが好きなのは実家で母がよく飲んでいたからだ。二人分淹れてマグカップを差し出す。母は私から家族の近況を聞き出し、父の話をした。今回の件で、父も父なりに私のことを心配している――それは理解できる。でも、私の考えとは違う。
 
 母が洗面所を使うと言って席を立った隙に、何か食べるものがなかったかと冷蔵庫を開けると、中に見慣れないものが冷やされていた。誰よ、こんなところに。あ、これ、この前のノートだ。
 
 ノートを手に取ると冷たすぎて、思わず手を放して床に落としてしまった。
「ぷう」
 拾おうと腰をかがめるとその勢いで間の抜けた高い音とともにお尻からガスが漏れた。誰もいなくてよかった。
 落とした拍子に開かれていたページを見た。そのページがほんの少し輝いているように見えた。
 
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〈問〉$${0^\circ≦\theta≦180^\circ }$$ のとき、次の式を満たす $${\theta}$$ の値を求めよ。
 (1) $${\sin\theta=\dfrac{\sqrt{2}}{2}}$$  (2) $${\cos\theta=-\dfrac{1}{2}}$$

〈解〉(1) $${0^\circ≦\theta≦180^\circ }$$ の範囲で
 単位円と直線 $${y=\dfrac{\sqrt{2}}{2}}$$との交点は、下の図より2つある。
 よって、$${\theta=45^\circ}$$,$${135^\circ}$$

(2) $${0^\circ≦\theta≦180^\circ }$$ の範囲で
単位円と直線 $${x=-\dfrac{1}{2}}$$ との交点は、下の図より1つある。
よって、$${\theta=120^\circ}$$

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 これは三角比の値が先にわかっていて、そこから角度 $${\theta}$$ を求める問題だ。「三角方程式」と呼ばれることもある。
 $${\sin\theta=\dfrac{y}{r}}$$、$${\cos\theta=\dfrac{x}{r}}$$だが、 $${r}$$は円の半径を表している。この半径 $${r}$$ はどんな大きさでもいいので、$${r=1}$$として考えると、$${\sin\theta=y}$$、$${\cos\theta=x}$$ となり、サイン、コサインの値はそれぞれ単純に、円周上の点の $${y}$$座標、 $${x}$$座標と同じになる。つまり半径1の円(単位円)にしてしまえば、サインなら $${y}$$ 座標がその値になる角度、コサインなら $${x}$$ 座標がその値になる角度を探せばいいだけになる。
 
 ……あ、そうか。
 
 母が戻ってきた。意味もなくノートを戸棚の抽斗に隠した。
「それで、これからどうするか、何か考えはあるの?」
「わからないけど、弘幸が行きたい大学にはちゃんと行かせてやりたい」
「そうね。弘幸くんの志望校が決まれば、もっと具体的に何をするべきかわかりそうね」
 
 そう、弘幸が大学に行くと最初に決めてしまえば、それに向かって私も隆志もやることははっきりする。もちろん、弘幸自身も。そして隆志も弘幸もそのために今日も動いている。だから私も自分ができることをする。
 
 それから二時間ほど話をして、駅まで母を送った。改札に入る前に母は私に何かを渡そうと鞄をごそごそ探していたのだけど、それは見つからなかった。

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