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人はなぜ走るのか考えてみた

こんにちは!クリアソン新宿ランニングクラブ長距離部門代表の卓間です!今日は題名の通り、「なぜ走るのか」について考えてみました。
ほぼ私見です!笑

きっかけ

前回のノート(https://note.com/criacaotakuma/n/n84fd98264cff)を開示してから、「なぜ走るのか」「なぜそんなしんどいことをするのか」と問われることが増えました笑
(とくに、子育てで忙しい中、せっかく空いた時間になぜわざわざ走るのか?と疑問を持つ妻に問われています笑)
ランナーたちが(とくに所帯持ちのランナーはそのご家族も含めて笑)納得感を持って走ることができるように色んな観点から分析できればと思っています。  

そもそも走るとは?

最初に、「走り」と「歩き」って定義上何が違うんだろう?と考えました。自分の速歩きと子供の走りのスピードがそこまで変わらないことから、スピードが定義では無いことはすぐに分かりました。
では何が違うのか?色々と考えた結果「両足が宙に浮いている」瞬間があるのが走りの特徴だという結論に行き着きました。

身体的負担の観点からの考察

走りの定義は「両足が宙に浮いている」とすると、身体的にはめちゃくちゃ負担がかかるはずです。人間の身体を片足で持ち上げ、片足で着地する、確実に身体にかかる負担は大きい。よく考えると走ったあと清々しい気持ちではあるものの、身体は疲れています。
ここでさらに考えたのは、人類はなぜ走り始めたのか?ということです。こんな身体に負荷がかかることは目的がないとやらないはずです笑

歴史的観点からの考察

人類が誕生してから、二足歩行になったところまではイメージが付きます。人類の発展は「道具と言語」の使用が大きかったと歴史の授業で学んだので、とくに前者の道具を使いこなすために手を自由に使えるように発達したという点で二足歩行になったところまでは理解できます。
ではそこからなぜ走り始めたのか?恐らく「狩り」だろうと考えられます。獲物の逃げ足が速かったから、生存競争において必要だったから、速く走るようになったのだと思います。

国家的観点からの考察

最初は狩りのために走るようになったとして、ひとつ疑問になるのは、農業や畜産が発達して、走らなくても生きていける環境が整えば、走る必要が無くなるのではないか?ということです。
しかし、国や社会の発展に欠かせない「情報伝達」がここにきてキーファクターとなりそうです。古代から国の発展に重要な情報を伝達するために、飛脚など足が速い人に大金が払われていたそうです。そもそもオリンピックもギリシャの勝利を走って伝達したのが始まりと言われていますし、社会が変化しても「速く走る」重要性は残っていたのです。

興業的観点からの考察

しかし、情報伝達が国家繁栄に重要だとして、今度は郵便制度が整うなど国のインフラがしっかり整えば、「速く走る」ことは「情報伝達」に重要では無くなります。それでも走ることが残ったのは、個人的にひとつは「興業」としてではないか、と考えています。今の競馬やボートレースにも通ずるのかもしれませんが、社会が発展し豊かになると、賭けの文化ができ、プロのランナーが生まれたのではないかと思います。
要は、速く走ることを見せてお金を稼ぐ文化ができたのでしょう。

社会的観点からの考察

では、社会が豊かになってプロのランナーが生まれたと仮定すると、一般人は尚更走らなくていいじゃないか!という議論になります、ここまでのところ僕もそう思います笑
ただ、ここでひとつ、ピンとくる文言を見つけました。

ところがアテナイも、世の中が豊かになる悪影響から逃れることはできなかった。(中略)若者は何かを強制されることが少なくなり、目標に向かって努力することもなくなっていった。

なぜひとは走るのか ランニングの人類史 より引用

豊かになって若者が頑張らなくていい社会になると、個々人が堕落し、結局そういう社会や組織はダメになってしまう。「ランニングは努力を覚えるのに良いツール」だと解釈しています、個々人が努力することは国や社会の維持に重要であることからランニングすることは国造りに繋がっていると言っても過言では無いと個人的には思います笑

脳科学的観点からの考察

とはいえ、これだけ便利になった現代にランニング含めスポーツは不要では?という論があることも理解しています。
友人が脳科学の研究をしていて、「このままIT化等が進んで便利さを追求していくと、人間は脳しか必要なくなる」と言っていました。一瞬ぞっとしましたが、確かにオンライン会議が発達して歩く機会が減りました、飛躍しますし勝手な想像ですが将来はスマートフォンも(そのうち違うデバイスが発明されるかもですが)目の動きや脳の信号だけで操作でき、お互いの認知はアバターで行い、センスあるアバター作った人がイケメンや美女!みたいな世界がきても技術的にはおかしくないような気もします。
ただ、個人的にはこれに待ったをかけたい。というのは「脳の発達には運動が必要なのではないか」という論です。人間が脳だけになったら、脳は退化するのではないか?ランニングに限らず、身体を動かすときは論理的な思考も直感的な思考も使いますし、人類が発展できたのは脳の発達があったからだと考えると実は運動は人間から切り離せないものなのではないでしょうか。

健康寿命の観点からの考察

最後にもうひとつ、この観点からの考察は欠かせないと思っています。いわゆる少子高齢化、人生100年時代到来に伴う、健康寿命の観点です。
厚生労働省の統計(国民生活基礎調査)によると、介護が必要になる方の約7割の原因が運動機能の低下(関節疾患、高齢による衰弱、骨折・転倒)というデータが出ています。
良く言われている通り、少子化が進み労働人口が減っていく中で、個々人が自立して生活を営む身体的能力を維持することは重要だと思います。先日、子育て中に息子の重さに耐え切れず肩を壊し(笑えない)、齢30歳にして1週間要介護状態となりました。1週間経験して、あの状態を何年も続けるのはスーパー介護ロボットが出て来ても無理なのではないかと感じました。健康寿命を長くするための運動として重要なポイントは継続・習慣化です。生涯スポーツとしてランニングは最適なのではないか、最近そう感じることが増えています。

他のスポーツではダメのか?

要は何かしら向上心を持ち熱中して取り組めるものがあれば良いというスタンスなので他のスポーツを否定するつもりはありません(運動できない方もいるので、芸術や音楽でも良いと思っています)。しかし、ランニングは以下3つの特徴があるため最もオススメしています。

  • タイムという明確な基準がある。

  • 時間・場所・人数を問わずに取り組める。

  • お金がかからない。

個人的にはタイムがあることが一番大きいと感じており、1分、1秒でも縮めて成長を感じられることや、同じくらいのタイムの人と仲良くなって繋がれることがエネルギーになっています。

まとめ

様々な観点からランニングを考察した結果、ひとはなぜ走るのかという問いに対する個人としての見解は「ランニングを通して目標に向かって努力する人が増えれば、人類や社会の発展に繋がる」という壮大な結論に至りました!笑
あくまでひとつの、そして偏ったくせのある見解ですが笑、是非参考にして頂ければ幸いです。


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