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青空教室と白い鳩

テーマ:若葉色
群像劇のようなお話が進んで行きます。とある孤児院のお話
どんな立場の人でも少なからず傷ついているのです。


  片田舎の小さな領地を持つ地主の娘、それが私でした。
 昔から外を走って回るのが大好きで、父には笑いながら「社交界には間違っても出せない」と言われました。母は弟を産んですぐ儚くなりましたが、寂しくはありませんでした。
 幸いにも私には思慮深い兄がいましたし、狩りが得意な弟もいました、そして、どこか浮世離れしたー姉妹という贔屓目をなしにしても美人な!ー姉がいました。
 つまり、私は好き勝手生きることが出来たのです。
 領地内でのびのび育った私は、貴族の集まる社交界や絢爛豪華な王宮にも興味を示さず、修道女になりました。
 領地内のそこそこ大きな教会は幼い頃から通っていました。神父様の髪にイタズラして怒られたことだってあります。教会の清掃や礼拝時の給仕をする老婆達にはよくお菓子を貰っていました。
 昔からよく知っている場所は、私は他の修道女達と毎日を楽しみながら過ごしました。
 規律は厳しく、たまに逃げ出したくなる時もありますが、皆々笑いながら過ごしていました。 

 そんな生活に小さな影が射しました。
 隣国とそのまた隣国が戦争を始めたのです。私の家の領地は小さいと言えど、国境に面していたので、実家の方には国王の使者が来るようになりました。
 その対応は、主には父と兄がしていましたけれど、たまに弟も対応しなければいけなくなっていたようです。
 弟が私に送ってくれる手紙には、使者の態度の悪さと仕事の煩雑さを嘆く文面が多くなっていました。
 そんなある日の晩、赤ん坊を抱いた女性が教会を訪ねて来ました。彼女は、袋いっぱいの金貨を差し出して、匿って欲しいと言います。赤ん坊は、もう泣く元気もないのか痩せ細った体で呼吸をするだけでした。
 その様子をみた神父様は、その女性を教会に招き入れました。
 そして、神父様は私の父に『匿って欲しい女が来た』という旨を伝える使者を送りました。 

 まずは一晩、保護しましょう。神父様が下した決定に反対する者はいませんでした。
 まずは清潔な水に体を洗いましょう。次に暖かい食事を、柔らかな寝床を。
 修道女があれやこれやと準備しました。私は途中からスープを作るのにかまどの前にいたのですが、彼女の様子を見ていた子から、私たちの様子を見て泣きながら感謝していたと聞きました。
 その晩、赤ん坊は静かに息を引き取りました。 

 翌朝、赤ん坊の遺体を教会の墓地に埋めました。重苦しい沈黙が流れていました。
 私は誰かが亡くなった時の空気が苦手です。息が詰まってしまって、どんどん苦しくなるのです。土に埋まっていく赤ん坊を見ながら、もっと何か出来たのでは無いかと自問自答を始めてしまうのです。
 厳かな空気を壊したのは、身なりの良い男性達でした。
 大きな声で何か言っている知らない男性と、その男性を落ち着かせようと話しかける父の姿、その後ろを走って追いかける兄と弟の姿がありました。
 こんな朝から一体何をしているのでしょう。私はとても気恥ずかしくなりました。
 そんな風に思っていると、その4人がこちらに向かって来るではありませんか。父よりも身なりの良い男性が何か大声を出しながら走って来ます。
 母親だった女以外の皆がその男のことを見ました。ちらりと彼女を見ると、彼女はさめざめと泣きながら謝罪の言葉を繰り返しています。
 大声を上げる男性の形相は恐ろしいまででした。近づいて来るにつれて声がハッキリ聞こえて来ました。
「やめろ、今すぐその葬儀をやめて、その女を領地内からつまみ出せ!」
 その時の反応はそれぞれでした。男の声に驚いて一歩引いてしまう者、慌てて彼女を隠そうとする者、神父様の顔を伺う者。私は父を睨めつけ説明を求めました。
 「おい!いったい誰の許可を得て葬儀なんてしている!? 良いか、この女は隣国から逃げて来てるんだぞ。そんな女に関わって、お前たちはこの国を滅ぼすつもりか! 」
 男性は怒鳴り続けます。彼に遅れて兄弟も到着しましたが、二人は私の顔を見て肩を竦める仕草をしまいた。二人も何故この男性が怒っているのか理解していないようでした。
 怒鳴り続けて疲れたのか、男性は肩で息をしています。少しだけ沈黙が降りました。
「言いたいことは以上ですかな? 」
 神父様が静かに言いました。
「以上であれば、もう黙りなさい。今は死を悼む時です。兄弟姉妹が助けを求める時に助けないことがあろうか。貴方は今一度、自らの行動を省みなさい」
 その声からは感情の乱れは分かりませんでした。ただ、滾滾と言葉を紡いでいました。
「さぁ、教会に戻りましょう。誰か彼女の手を引いて差し上げなさい。お客人は私の部屋にそのまま通す様に」
 1人の修道女が彼女の手を引き、歩き出しました。それを皮切りに各々自分の持ち場に戻ります。
 私も同じように持ち場に戻りました。持ち上がった土の上の野花が風に吹かれていました。 

 

 それから、私達ととても忙しくなりました。というもの、赤ん坊を失った女性がこの教会に多額のお金を寄付したのです。葬儀の後、隣国から彼女を迎えに使者が訪れました。
 彼女ははらはらと涙を流しながら、子どもを失った今逃げる理由もなくなりました、と言って三頭立ての馬車に乗り込みました。その時に、金貨が詰まった袋を私に掴ませたのです。
 その時、私はお見送り係として彼女の傍におりました。隣国のやんごとなき身分の女性の送迎に見送りの一人もつけないのは面目が立たないと、王都から派遣された役人がいったのです。
 その役人は、つい三日前の葬儀で大声を上げ、彼女を傷つけたというのにです。彼女の出自をしった時の役人の顔ったら! こんなに卑しい人が国の役人だなんて、なにかの間違いかと思いました。
 しかし、そんな私の考えは余所に隣国の使者の到着、彼女の身支度、お見送りを担当する人選などなど、役人が大きな顔をして決め始めるのです。そんな様子に弟は眉を顰めて、兄は困ったような顔で私と弟を見るのです。
 そんなこんなで皆ばたばたとしている内に、彼女の迎えの馬車が来ました。
 三頭立ての、派手ではないけれど美しい装飾の施された馬車が砂利道の砂を潰しながら走ってきました。
 馬車を降りたのは燕尾服をまとった若い男性でした。「男の子」といっても間違いではない位の男性が彼女の手を恭しく取り、馬車へと導きます。
 その光景は、とても美しい物でした。しかし、とても悲しい光景でした。彼女は男性に笑みを向けていました。その笑みはとても寂しいもので、彼女は今までどれほどのものを諦めてきたのだろうかと考えてしまうのでした。
 彼女が馬車に乗り込み、御者が馬に鞭打とうとしたとき「少し待って」と可憐な声が聞こえました。
 馬車から重たそうな袋を持った白い腕が差し出されました。
「子どもを失った今逃げる理由もなくなりました」
 そういって差し出されたものを受け取るとずっしりとした重みがありました。顔を上げ、彼女をみるとはらはらと泣いていました。
「私はもうここには戻れません、なので私の坊やのの弔いをお願いしたいのです」
「はい、しかと承りました。しかし、受け取れません。いらしたときにもお金は受け取っております」
「いいえ、あれは私たちのお宿代、これは弔うためのお金です。どうか受け取ってください、私には差し出せるものが何もないのですから」
 彼女が馬車の中に腕を戻すと、ここにはもう用がないとばかりに馬車は動きだし、隣国の方へ戻っていきました。 

 それから数日後、隣国の第三王妃から多額の寄付金が送られました。もう隣国の王家は潰えるだろうと噂され始めた時でした。
 私が直接受け取った金貨と、多額の寄付金、それを前にして教会全体が困惑しておりました。
 この多額のお金をどうするか、と悩んでいたのです。意見は皆それぞれでした。一人は宿舎の雨漏りを直して欲しいと言いますし、また一人は調理道具を一新したいと言います。また一人はヒビの入ったステンドグラスを直すべきだと言います。
 浮足立った空気が私達の慰めとなっていました。彼女が逃れて来て以降、この教会には毎日のように人が訪れるようになっていたのです。
 子どもを連れている女性、身重の女性、足を引きずる男性、枯れ木のように痩せ細った老人、毎日隣国から難を逃れた人々がやって来ては助けを求めます。
 はじめの二週間は良かったのです。食料に余裕はありましたし、教会全てを解放することで雨風凌げる場所を提供できたのですから。しかし、それがひと月、ふた月と続くにつれ余裕がなくなっていきました。
 季節は冬の手前、食べ物を買おうにも買えるものがなくなっていたのです。 

 神父様は他の教会と手紙のやり取りとよくしていました。何でもご学友が多いとかで。
 多くの人々が訪れるようになってから、神父様は手紙を沢山送るようになりました。食料が手に入らないのであれば、余裕がある所から譲ってもらうしかない。神父様はそうこぼしていました。
 他の教会から手紙と食料、少しの医薬品、気持ちの籠ったものを受け取る度に、感謝の気持ちがあふれるようでした。
 無事に冬が越せる目途が立つ頃には、教会は保護施設と化していました。
 私達修道女の仕事は、祈りの時間を削り、自分達の食事と食事の時間を削り、逃れてきた人々に食事を提供し、けが人には手当をすることに変わっていました。
 当然、それを不満に思う者もいました。逃れてきた人の中には不安や焦りで、怒鳴り声をあげる者もいました。
 そして、ついに政府から保護した人間を強制的に隣国へ送り返すというお達しが来たのです。
 私達の保護活動は政府が公認したものではなく、政府から咎められれば終わってしまう綱渡りのようなものでした。
 お達し、神父様宛に送られてきた文書には、保護した者全員と隣国に送り返すこと、逆らうのであれば神父を国家に対する反逆罪とすることが記されていました。
 神父様は、そのお達しを火にくべました。
「私の元には、なんの手紙も届いていません。よろしいですね」
 神父は薪のはぜる暖炉を前にして言いました。私は、静かにうなずきました。 

 その後、政府の役人が神父様を捉えにくることはありませんでした。隣国から逃れてきた者を送り返すという結論が国民の怒りに火をつけたのです。王都の人々だけでなく、神父様のご学友だという人がいる教会でも同じような反対運動が起こりました。
 私は、姉からの手紙で王都の様子を知りました。文末には、私のいる教会の活動が国民の心を変えたのだと、それを誇りに思うということが記されていました。 

 

 雪が融け、春になりました。近くの川は増水して水が濁っていましたが、暖かいとても良い天気です。
 私は冬の間考えていたことを実行しようと教会の使っていない敷地に足を踏み入れていました。土は乾かず、泥が靴につきますが、そんなことは気にしてられませんでした。
 目の前に広がる切り開けた土地を見て、私は冬に考えていたことが実現できる喜びに踊り出しそうになりました。そして、早速近くの街の家具屋に売らないことが決まった机や椅子を貰えるように連絡を取りました。
 学がなければ仕事はない、父がよく言っていた言葉でした。仕事がない、というのはいささか誇張気味ではありましたけれど、文字が読めること、間違いなく足し算、引き算ができることは仕事を探す上でとても有利でした。
 逃れてきた人々の中には子どもを連れている者が多くいました。逃れてくる途中で親を亡くした子どももおります。
 そのような子どもたちの保護を私は担当することになっていました。 

 春の気配も感じないある日の晩、私は神父様に呼ばれ、神父様の居室に赴きました。
 部屋の中に入ると、机の上に積みあがった書類を一枚、一枚に目を通してペンを走らせている神父様がおりました。
「ああ、来てくれたか。少し大事な話がしたい。これの確認が終わるまで少し待ってくれないか? 」
 私の到着を確認して、苦笑いしながら書類の一枚ペラペラと振りました。私は、返事をした後、近くにあるソファに座りました。使い古されたソファは、所々生地が擦り切れそうになっていますが、とても大事に使われていることが分かります。
 少しの間、無言が続きました。ペンが紙をひっかく音だけが響くこの部屋はまるで別世界の様だったのです。扉を開けば、人の声が途絶えることのない賑やかな空間が広がっているのに、この部屋だけは今も昔も静かに時を刻むのです。
「待たせたね。君にお願いしたいことがあって来てもらった」
 神父様は執務机の前から私の向かいの位置に移動し、ゆっくりとソファに腰かけました。顔色は悪く、目元がやつれているように思われます。
「今、ここに逃れてきた人々は何人位いるかな? 」
「精々、百人程度だったかと思います。他の教会に移動してもらったり、政府の保護施設に移動してもらったりと対応を取っておりますので」
「では、子どもは何人位なか? 親がいない子どもは? 」
「子どもは四十人程度だったかと、孤児は十五人だったはずです」
「そうか、先日王都に居る古い知人から手紙が来てね。国境付近で百を下らない子どもの遺体が見つかったそうだ。恐らく死因は飢餓とのことだ」
 神父様はため息を一つ付いて背もたれにもたれかかりました。苦々しく、もどかしいと語る表情は先程よりも疲れているように見えました。
「子どもが飢えて死ぬなど、そんな悲しいことはない。余裕がないことは分かっているが、孤児の保護を積極的に行いたいと考えている、君に音頭を取って貰いたい」
 私はすぐに返事が出来ませんでした。子どもを保護できるだけの余裕はないことを分かっていたのです。
 食料は、政府からの供給と他の教会から融通して貰って賄うとして、寝る場所はどうしようか。既に教会内のベンチは埋まってしまっているし、私達修道女の宿舎は女性や子どもに開放したけれどベッドの数が足りている訳ではない。神父様の居室はご来客の対応にも使用するから解放することは出来ない。となると、寝る場所は廊下になってしまう。しかし、夏はまだしも冬に廊下で寝たら、翌日生きている保証はない。
 答えに詰まった私を見て、神父はマリアのように微笑みました。
「君の兄君から、ここの近くにある小屋を貸しだせるが必要か、とお伺いがあった。必要であれば、養子を必要としている人と話をまとめてくるともおしゃっていた。これ以上ない好機だと私は思ったのだが、どうだろうか」
 私は驚きました。兄がこんな申し出を神父様にしているなんて知りませんでしたし、この教会の近くにある小屋は兄がとても大事にしていたものだったのです。我が家であの小屋は、兄の宝島と呼んでいたのですから。兄のお気に入りを一つ一つ大事に飾る、兄の美術館を手放すというのです。しかし、願ってもない申し出には変わりません。あの小屋があれば、子ども達を床に寝せることなく、保護することが出来ます。
 私は神父の話を了承し、孤児保護活動を引っ張っていくことになりました。 

 冬が終わるまでの間に、実家に援助を願い、兄や姉が王都にいる貴族に話をして寄付を募り、父と弟が政府と話をして助成金の交渉をしました。
 私と教会は、子どもを保護し、衣食住を保証できるよう努めました。初めから上手くいくことはありませんでしたが、それでも毎朝、子ども達が目覚める姿を見て安堵する日々でした。
 そして、冬が終わり教会の使っていない敷地をみた私は、頭の中にあった計画を推し進めることにしたのです。
 青空の下、机と椅子を並べて子ども達が集まります。机も椅子もみんなバラバラ、黒板だってないし、雨が降ったら今日の分はお仕舞だけど、文字と簡単な算数、挨拶の仕方、基本的なことを学ぶ場所が出来たのです。
 いらなくなった紙にみんなで文字を書いて練習したり、算数を勉強して果物を分け合ったり、子ども達は多くのことを吸収していきます。
 子ども達がある程度文字が読めるようになれば、近くの街から絵本を頂いたりもしました。
 兄の小屋はいつのまにか子ども達の小屋になっていきました。たまに兄が様子を見に来て、子ども達を見て、幸せそうに笑うのです。走りまわることがいたら弟に似ている、ケンカしている子達がいたら私と弟を思い出す、糸と布で遊んでいる子を見て姉そっくりだ、そう言っては笑うのです。
 よく兄は養子の話を持ってきてくれました。相手は商家や貴族が多く経済的にも安定している家が多くありました。
 養子の話が上がるときは、必ず希望するご夫婦と子どもと合わせて一定期間生活を一緒にしてもらう等、この家に子どもがなじめるかどうかまで、兄が話をしてくれました。
 日々が忙しなく、目まぐるしくはありますが。とても充実しています。
 子ども達は個性豊かで、素敵な子たちばかりです。例えば、アーモンドアイの子は白い鳩によく餌をあげています。自分より小さい子の手を引いてくれたりする子です。片足を引きずっている子はとてもお裁縫が得意です。弟が仕立屋で捨てることになっていた布を貰ってきた時には頬を赤めらせて喜んでいました。
 ある日、弟が手土産も持って会いに来てくれました。子ども達に人気な弟はすぐに子どもに囲まれます。子ども達を窘めながら、一人一人頭を撫でているので、やっぱりこの子は優しい子だと思うのです。
 子ども達の囲いから逃れた弟は、少し大事な話があるから、個室に移動したいというので神父様の居室を借りました。神父様は、書類の束とペンを持って食堂に行くようです。
 いつものように、政府の役人に対する不満、とあるご令嬢を褒める言葉、兄の奮闘、姉の妊娠などなど様々な話をしてくれます。
 ひとしきり話終わった後、政府の高官の一人が孤児保護の活動などに予算を付けるために動きだしている事を知らせてくれました。いつになるか分からないけれど、国から予算が付けば今までよりも自由に活動できるだろうということでした。
 私は感謝しました。人と人の繋がりに、善意の広がりに、優しさの連鎖に、希望が芽吹く環境があることに、私は感謝しました。 

 

 教会の活動は一年、また一年と続き、いつしか最初の保護活動から十年経ちました。
 貴族の養子に入った子、働いている子などから、手紙や寄付金、今いる子ども達のためのおもちゃなどが届きます。お裁縫が得意な子はいつしか王都でも有名はデザイナーになりました。
 片田舎の小さな教会で始まった活動は、政府が認めた大きな事業となりました。
 小屋の近くになる木々の葉が若葉色になかった時、孤児保護を専門とした団体を立ち上げあることを決心しました。国内外と問わず活動する団体を立ち上げ、子ども達を導くことが私の使命だと、分かったのです。
 白い鳩が、国境のない空を渡ってゆきます。

(2020.05.02)


ニーレンベルギアシリーズ4作目
見えないどこかで誰かの為に戦った人がいました。
消えゆく命を悲しみ、守ろうと思った人がいました。
他のシリーズ作品が気になる方がいましたら、「#ニーレンベルギアシリーズ」で探して頂くと出てくるかと思います。

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