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生温かさの記憶

テーマ:銃声
戦争描写、暴力的な描写あり
群像劇的な形で進んでいきます。興味のなる方は前作もどうぞ
ニーレンベルギア


 あの村には全てがあった。毎日表情を変える空も、恵の川も、厳しくも優しい山も、愛すべき隣人も、温かな両親も、山を駆け回る兄も、悪戯が好きな弟も、織物が得意な姉も、可愛い我儘をいう妹も。

 川を隔てたら、お隣は別の国だ。川辺の反対側で水を汲む老婦人は同じ言葉を話すし、飼っている羊も同じなのに別の国だ。でも、そんなことは些細なことだった。税の取り立てに来る役人が来ている服が違う位の細やかなものだ。
「今年は、雨が少ないね」
「そうね、でも霧が多いから牧草の状態はいいわよ」
「この間、牛が出産したよ。乳の出が良いから、少し分けてあげるわ。息子さんに飲ませてあげなさい」
「まぁ、よろしいの!ありがたいわ。あの子ったら少し調子が良いからって走って回ったのよ」
「よーく見ていたよ、次いでにすっ転ぶところもね」
 ベッドの上から、お母さんと老婦人の会話が聞こえてくる。別の方向からはお父さんと兄さんが羊を追う声、階段の下からは明日、街に持っていく織物を仕上げてる姉さんの独り言。ここには細やかな幸せの全てが詰まっていた。
 老婦人が、孫を呼ぶ声が聞こえる。僕の友達だ。今日はどんな話を聞かせてくれるんだろう。木の上の小鳥の巣の続きが気になるなぁ。
 家に国の役人が来たのは、牧草の草が青々と茂った夏のことだった。
 何やら難しい言葉を連ねていた。お父さんは俯いて、帽子を握りしめる。お母さんは泣いていた。
 兄さんは僕と弟の間に立って、何も言わず僕達の肩を抱きよせていた。
 そのまま、お父さんは役人と一緒に家を出て行った。お母さんは泣きながら、お父さんはお国を幸せにするために働きに行ったのよ、といっていた。幼い僕にもそれは嘘だと分かった。幸せになるための仕事に行くのに、泣きだすなんておかしな話じゃないか。
 その一月後には、僕らは街に移住することになった。羊は全て国に取られた。家に残っていたのは、お母さんと幼い妹、体の弱い僕だけだった。
 兄さんは、お父さんが連れていかれた一週間後の夜に家を出て行った。出ていく前に、家に金貨を何枚か置いて行っていた。その金貨は鉄の匂いがしていたのを、お母さんが気付く前に水で洗って落とした。鉄の匂いは、水を赤く染めて川を流れた。


 僕は街の製鉄工場で働くことになった。お母さんは軍人さんのご飯を作り仕事をするらしい。姉さんと妹は女の人が大勢乗った馬車に乗ってどこかに行ってしまった。
 製鉄工場は、嫌な臭いがしていて煙がもくもくと立っていた。僕は出来ることがなくて、いつも煙突の掃除をしていた。すぐに止まらない咳に悩まされることになった。
 休みは一週間に一度、日曜日だけ。僕は日曜日になる度に、近くにある教会に行った。その教会は礼拝の後に、炊き出しをしてくれるのだ。お母さんは偶に、その炊き出しに参加していた。毎週いるわけではなかったけれど、少しでも姿が見たかった。
 活気に満ちていた街は暗く沈んでいた。それでも、貴族御用達の店は変わらず営業しているようだった。その店の周りだけ、今までと変わらないような不思議な空間だった。
 変わらない店の内の一つの布屋さんの前に立つことも増えた。布に触ることは出来ないけれど、もしかしたら、この中に姉さんの織ったものがあるのかもしれないと思うと、少し嬉しい気持ちになった。
 でも、街のほとんどは変わった。戦争をやめるべきだと声を上げる演説家は軍人によって壇上から引きずり降ろされて、殴られて、牢に入れられた。戦争の損害を計算した学者は詐欺罪で牢に入れられた。
 敵国出身の人々は路上で震えながら、息を殺している。
「戦争に参加したくないというのは、罪ですか? 」
 ある日曜日に牧師に問うた。牧師は、ボロボロになった聖書をめくりながら、ゆるく微笑んだ。
「今の、この国では罪でしょう。しかし、主はそれを見ています」
 教会には、僕の他にも男達が何人もいた。彼らは国王に戦争をやめさせるのだと、強い口調で語っていた。牧師は曖昧に微笑んで、主の加護を、とだけ言った。
 その日から、僕は男達を過ごす様になった。人々は僕らをレジスタンスと呼んだ。


 レジスタンスとして活動して、二か月経った。戦況は日々悪化している。配給制だった食事が、どんどん減られて始めていた。隣国から僕らに密書が届いたのは、そんな時だった。
 密書をリーダーが読み上げる。リーダーは炭鉱夫だったが、街に連れてこられた人だ。年老いていることを理由に戦地には送られなかった。彼は年老いていたが、力は強く、声が野太かった。
『親愛なるレジスタンス様 私達は、この戦争をやめたいのだ。こんな不毛なことは早くやめて、幸せになるための行動を起こそう。その戦争を止めるためには、王族と貴族を粛清しなければならない。しかし、我々には、その手段が限られている。我々が行動を起こすと多くの罪のない人々を殺すことになってしまう。我々はそんなことを望まない。貴殿らには、我々と協力して欲しい。きっと貴殿らはこの手紙を完全には信じないだろう。そこで、我々から貴殿らが必要とする情報を提供しよう。まずは、この戦争を主導する軍の司令官の情報である』
 密書には多くの情報が書かれていた。その司令官の邸の場所も家族構成も、使用人の数もだ。僕も含めその情報に飛びついた。どうしたら戦争を止められるのかずっと考えていたのだ。司令官を殺すだけでも、大きな一歩であることは間違いなかった。
 昼夜と問わず議論するリーダー達が、邸丸ごと焼く計画を立て始めた頃、レジスタンスに幼い少年が新しく参加した。彼は弟にとても似ていた。彼は人を殺すことを怖がっていた。僕は極力彼の隣にいるようにした。大元は荒くれ者も集団だ。幼い彼は何かの拍子に殴られないとも限らないのだ。
 司令官殺害計画は、邸を焼く事で決定した。使用人達を逃がす案も出ていたが、貴族に仕えていた時点で同罪だという。まるで魔女狩りだった。皆殺しにするつもりだった。
 そんな男達と見ながら少年と二人、人殺しになる覚悟を決めた。
 夜、冷たい床の上に座って眠る。僕はポケットから金貨を出して眺めていた。兄さん、ごめんね、僕も人殺しになってしまうよ。

 決行前日の夜、なんとなく眠れなかった僕はぼんやり暗闇を見ていた。
「お兄ちゃん、起きてる」
「起きてるよ」
 そう返すと、蝋燭を付ける。隣にアーモンドアイの少年が毛布とは言えないボロ布を体に巻き付けていた。
「怖いんだ」
「大丈夫だ、計画通りにすれば僕らは誰も死なない」
「そうじゃなくって」
 少年は、深呼吸する。体が震えていた。きっと寒さだけじゃないだろう。弟を抱きかかえるように彼を膝に乗せる。
「人殺しになりたくない、これじゃあ、軍人と変わらないよ」
「大丈夫だ、僕らは二十人殺す。それで、もっと多くの人を救うんだよ。これはそれを叶えるための道具なんだ。これは殺す道具じゃない、救う道具なんだよ」
 彼に見せるために、僕は隣に置いていた拳銃を取り出した。軍の倉庫から盗み出した銃だ。彼に大丈夫だと言いながら、銃を持つ手の震えが止まらない。
 人を殺すのが怖いのは、僕の方なんだ。

 司令官を殺したことを皮切りに、内戦が悪化した。僕ら以外にも同じことを考えていた人が沢山いたみたいだ。司令官を殺して、一年後、ついに王座が落ちた。その一年の間に、街は瓦礫だらけになった。通い詰めた教会もいつの間にかボロボロになっていた。美しかったステンドグラスは割れて、聖母マリアの顔は見えない。罪を贖ってくれる御子の姿も見えない。
 それでも国が変わって、ゆっくりゆっくりと日常を取り戻していった。
 少年は、内戦のどさくさに紛れて、戦争としてない隣国に逃がした。何も知らないふりをして生きろと言って、金貨を握らせた。
 そして、僕は内戦が終わった後もボロボロなままの教会に居る。椅子も穴だらけだ。軋むそれに腰かけて、崩れてしまった天井から空を見上げる。
 ボロボロの聖書をめくって、ボロボロな服を着ている。牧師は痩せて、少し老けた。
「戦争をしたくなくて、人を殺したのは罪ですか?」
 ある日曜日に牧師に問うた。
「どんな理由であれ人を殺した時点で罪でしょう。主はそれを見ています」

 教会を出て、小さなパブで安酒を煽った。胃を焼くだけの酒だった。
 パブを出た後、レジスタンスとして活動していた時のねぐらに帰った。鞄を漁ると、一丁の拳銃が顔を出す。レジスタンスが解散した時に捨てるつもりだったものだ。
 もう、僕は耐えきれなくなっていた。ずっと騙し騙し生きていた。人を殺したことに耐えきれない。火を放つときに殺した、あの時の生温かさが今でも蘇ってくる。
 その銃口をこめかみに当てた。

(2020.02.25)


ニーレンベルギアシリーズ2作品目です。
前作を読んで頂いた方には、邸の焼き討ちの部分はあれ?と思われた方もいるかもしれませんね。

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