ご報告:根こそぎいかれました。
【ご報告:根こそぎいかれました】
こんな投稿をFacebookにあげるのは大変に情けなく、また個人的にも相当に精神的ダメージの大きな事案であり、投稿しようかどうか悩んだのですが…
「このシーズンに同様の被害に遭う方がいないとも限らない!」
と少しばかりの正義感を持って投稿致します。
先日、根こそぎいかれました。
長い投稿になるかも知れませんが、お時間ある方はご覧下さい。
まずこの話をするにあたり、私が大学時代に「テニサー」でもなく「オタサー」でもなく、「シンタイ」というカテゴリに属していたことを話さねばなりません。
(神戸大学 発達科学部 人間・行動表現学科 身体行動論コース:略して身体)
シンタイは世間の大学ではなかなか見られない、一風変わった学科です。(今はもうありません)
受験にはスポーツテストがあり、人生をかけたスポーツテストにバック走の際にゴール寸前で後方に激しく跳ねて顔面を体育館の地面に強打して鼻血を流しながら
「この方法が最速や!ウオラァァァァ!!」
と叫ぶ受験生や、
シャトルランという、徐々に早くなる時間のカウントに合わせ、5M弱の距離をひたすら往復するという持久力テストでは、100往復行く前に他の受験生より先にオールアウトとなった受験生が、その場で
「終わってしまった…!終わったはハァァァン!!」
と、泣き崩れてその場を去るという、
そんな過酷な学科です。
夏には、環境フィールドワークと題し、徳島の阿南で4時間半の遠泳。
「頑張れ!」
と体力が限界で、鼻から上しか水面に見えていない女子に声をかけたら
「もう頑張っとるわ!黙って!」
という怒号が響き、
伴走するボートからは定期的に角砂糖で糖分摂取を強いられる、
そんな過酷な学部です。
冬には、環境フィールドワーク演習と題し、冬の雪山を体が限界になるまでスキーさせられた挙句、
「もう膝も曲がらない」
と悲鳴をあげた学生の一人が、直滑降で視界の向こう側へ消えていく、
そんな過酷な学科です。
3回生になると、舞踊系運動方法論実習Ⅱという授業で、
全身タイツでNHKの番組に出て
「ZONE」を表現する舞踊を踊りました。
そんな、過酷な学科です。
(かなりの誇張が入った表現であり、実際は死ぬほど楽しい少人数の学科だった上、もう今は存在しないという事は、括弧書きにて強調しておきます)
前提はこの辺りにしておきましょう。
そして、その根こそぎいかれた事件は、娘たちが通っている保育園の運動会(別称:運動まつり)にて起こりました。
2歳と4歳の娘の運動会。もちろん全てのプログラムは午前中で終了します。この平和を絵に描いたような祭典の中、後半に定番で訪れるプログラム
「保護者リレー」
において、その事案は発生しました。
司会の保育士の先生がアナウンスします。**
「保護者の方、我こそは!という方は是非グランドに出てください!」
当然こう言った類では、世間のお父さんは心の奥でどれだけ血がたぎっていようと、ここぞとばかりに「お父さん見せたる!」と思っていようとも、皆白けた顔をして
「えぇ、、恥ずかしわ。もう歳やし。」
などとうそぶき、もじもじしているものです。
例に漏れず、私も観戦に来ていた小学校一年の息子に
「パパ!出番やで!」
と言われても
「えぇ、、恥ずかしわ。もう歳やし。」
とか言いながら、恐る恐るかなり最初の方にグランドに出てきて、屈伸運動をしていた部類でした。
息子も、荷物も、全部観戦席に置いたまま。
結局、述べ30人くらいの保護者の方が参加したのでしょうか?保護者リレーは、保護者Aと保護者B、そして保育園の先生方チームという三つ巴の状況。
観戦席から注がれる息子の眩しいばかりにキラキラとした瞳。草野球の時に、三本間で挟まれて倒れるまで捕手とサードから逃げまくり、無残に倒れ込んだところをタッチアウトされたシーンをいつまでも覚えていて、
「パパ、もう挟まれてこけたらあかんで」
と、私が朝食のサンドイッチを作るたびに真顔でコメントしてくる、そんな息子の瞳である。
「こないに狭いグランドで、全力で走るのは危ないですなぁ。もうええ歳ですし。」
「いやいや、ほんまに。ええ塩梅で走りましょ」
などと、普段送り迎えで顔を合わせても全く会話を交わさないあのお父さんと、京都人らしくお互いにうそぶく。
かなり最初に出てきたせいだろうか、私の出番は第15走者くらいまであるうちの第2走者だった。
徐々に昂ぶる「シンタイ」の血。誰も私が「中高1種保健体育」の教員免許を持っているなど知らないだろう。などと思いながら、溢れるアドレナリンを止める事は出来ない。
徐々に視野は狭くなり、屈伸のスピードもジムでたまに見かける意識高い黒いお兄さんさながらに達した。
もう、観戦席など見えない。
息子の声など一切聞こえない。
まさに中年たちの「ZONE」である。
「位置について、よーい、、、、スタァァン…!!」
高らかにスタートピストルの音が響き渡る。
私が属する保護者Aチームの第1層は、シャツの背中に「火消し 〜ファイヤーマン〜」と書いている、明らかに血がたぎってそうな筋骨隆々の男性だった。それ故に、普通の人よりも倍以上、うそぶいていた。ヘラヘラしていたのである。
「んもぅ、かないまへんわ。そないな歳ちゃいますて」
これは所謂、保護者界で言うところの「余裕のタイムセール」というやつだ。スタートピストルが響き渡る中、わざとだろうか、かなり遅れてスタートしてみせる。
ヘラヘラしている。
「分かってる、分かってますよファイヤーマン、抜かすんだろ。」
そう思ったのは私だけではないだろう。
走りながら、途中に三台置いてある打楽器を叩いていくという、とても保育園らしいリレーである。
シャン、シャン、…シャン
タンっ、タンっ、……タンっ
ドンっ、ドンっ、………ドンっ
…おかしい。
ファイヤーマンの音が遅い。1人だけ、だいぶ遅い。見ればファイヤーマン、ダントツで後方を走っている。
「どういうことや!」
「余裕の見せすぎとちゃうか!」
「ま、負けるで!」
最後まで力を見せない。勝てる勝負は敢えて勝たない。「それが中年の、いや、京都人の美徳やさかい!」と言わんばかりに、ファイヤーマンは余裕を持った走りを見せる。
なるほどそうか、そうですか。確かにわしはよそもんやった。京都とはいつも変に比較される、奈良県出身者でしたわ。己の出自を振り返る暇もなく、第1走から第2走へのバトンが始まる。
ここに来てファイヤーマンが加速する。ギリギリ2位の保育士チームに少し遅れるくらいでバトンを持ってくるのだ。最後もう、すんごい加速である。
もう、すんごいのよ。
あまりにすんごいので、バトンの助走もガチになる。
3歩ほどの助走でスピードが乗り始めたあたり、かなりハードなプッシュでペットボトル製のバトンを受け継ぐ。言い忘れたが、このペットボトルも走るほどにシャカシャカ鳴る。非常に牧歌的な仕様である。
「抜かなあかんやろ」
そう思わせる粋な演出スーパートップスピード。自分の実力など関係ない、俺はボルトかジョンソンだ。そんなくらいに激しいプッシュバトン。
バトンを受けて振り返ればすぐ目の前に1つ目の打楽器。手のひらどころか指先で奏で、颯爽と次の打楽器へ。もう先頭の背中に手が届く、、、あっという間に私は保護者Bチームを射程圏内に捉えた…!
3つ目の打楽器を終えたところで、見せ場のファイナルストレートに突入。
「ここで抜いたなら、ここで抜いたなら…!!」
(あのお父さん、速かったわぁ)
期待もしていないが、奥様方が帰りの道中で話している姿が一瞬頭をよぎる。
今この文章を書いている私は、この時の状況が筆舌に尽くし難く、自然と
〚 イメージが先行する 別の表現 〛
という検索ワードでググっている。シソーラス類語辞典では、30件ほどの類語がレコメンドされたが、
「正当性を損なう」
という表現が胸に刺さったので、その表現を借りて叙事を続けたい。
シンタイの頃からはや10年。毎晩ニュージャパンサウナに寝泊まりするサラリーマン時代を経て、糖質を制限したりしなかったり、増えたり減ったりする体重を横目に、不定期に運動をし、気がつけばもうすぐアラフォーの世代。
あの「シンタイ」で走っていた頃の自分のイメージは、その正当性を損なっていた。
半歩先、いや、三歩先にあの頃の残像が見える。上半身はその気になって走っている。しかしどうだろう、下半身はその場にいないのだ。半歩後ろ、いや、三歩後ろの地面を一所懸命踏みしめているではないか。
思いの外、足が動いてくれていない。
正当性を損なった私の上半身は、その視界に捉えていた第一走者の背中を瞬く間に地面へと変化させた。
「あかん、コケる…!」
保護者リレーで転倒するということは、それ以降の保育園の送り迎えで都度心配をされながら
(あの人やん。保護者リレーでこけた人やん)
と当面囁かれる。社会的な死を意味する。
「めっちゃ張り切って、こけてはったなぁw」
これに勝る残酷なワードが、これまでどれくらい日本の映画史•ドラマ史の中で生まれて来ただろうか。否、少なくとも私は聞いたことがない。
小学校時代に、学校で大をすると何故か教室で噂になる。そんなほろ苦い過去が走馬灯のように頭をよぎった。
わずか0コンマ数秒の出来事である。迫り来る地面とのブチかまし。その瞬間を目前に、シンタイの三回生の夏に履修した〝格技系運動方法論実習Ⅱ〟の授業が真っ白い視界の中で回想された。
「前回り受け身や!」
熱血教授の岡ちゃんの声だった。
瞬間、私は目前に迫る地面に対し、素早く顎を引いて後頭部を差し出し、同時に左腕を額に被して肘からの着地を試み、前回り受け身の体制に入った。
頭、首、背中、そして地面を強く、叩くっ!!
ぐるりん、と、世界が激しく回転。次の瞬間私は立ち上がり、再び疾走の姿勢を取っていた。
「33歳、保護者リレーで奇跡の前回り受け身」
そんな見出しで京都新聞に載ってもおかしくなかっただろう。
我ながら鮮やかな前回り受け身で、第一走者を射程圏内で捉えつつ、第3走者へ魂のバトンを受け渡した。大きなロスなくバトンを繋げたのは良かったが、前回り受け身とは言えリレーで転倒した恥ずかしさは拭いようがなく、
「だっはっはー!こけちゃいましたー!いやぁ、恥ずかしわー!」
と、チームの輪に戻って、恥ずかしさを紛らすためにしゃべりながら、体全体を払う。土や毛糸や小粒の石や、小さなプライドががパラパラと地面に落ちた。毛糸の服は着ていなかったが。
尋常で無い量のアドレナリンが止めどなく放たれていた脳内に、その事態の異常性を追求する余白は無かった。
第8走者、第9走者、我らが保護者Aチームは、ずっと2位をキープしたまま、リレーは着々と進んでいく。
少しずつ開いていく保護者Bとの差。
はらりはらりと落ちるほつれた毛糸。
途中、保護者Aチームでもう1人の転倒者、それも私と同じあたりのポイントで現れる。
「ワッ!!」
と湧く場内。自分の時もそうだったのだろうかと、恥ずかしさが一押ししつつも、「あのお父さんとは仲良くやれそうや」と勝手な仲間意識が心の底でちらりと覗く。いよいよリレーはアンカーに。
半周近く差がついた状態でバトンを受けた保護者Bのアンカーは、結構誰もが知っているあの陸上競技のオリンピック選手。もはやどこが勝つとか、誰がこけたとか、そんなことは全く関係なく、その美しすぎるフォームと、2割程度の走りにも関わらず圧倒的な速さで疾走する元オリンピック選手に、黄色やら白やらシルバーやら、様々な歓声の声が湧き上がる。
これ以上ない盛り上がりだ。
結果、2位とは遥かに差をつけ、保護者Bの優勝にて保護者リレーは幕を閉じた。誰もが往年のオリンピック選手の走りを生で見られたことにじわりと感動しながら、静かに幕を閉じた保護者リレー。
恥ずかしすぎる私は、観戦席に置いたままの息子と荷物の方には帰ることなく、直接トイレへと逃げ込んだ。土と毛糸で汚れた手を無心に洗い、人目を避けて暫くしてから観客席に戻ると、息子がニヤっとしながら
「パパ、こけたなw」
と言った。
「いやぁ、ハハハ。恥ずかしわ。」
そう言って照れ隠しで漫画のように頭をガシガシと掻くと、手に尋常じゃない量の毛玉が付いていた。毛糸の服なぞ、来てないのに。あれ、やべぇ、もしかして…
そう思うと同時に、顔を真っ赤にした若い保育士の先生が
「お父さんちょっと…」
と言いながら、半ば強引に私の手を取って大会本部席へと誘導する。大会本部で複数の保育士が、顔を赤らめながら
「お父さん、大丈夫ですか?」
「いやもう、すごかったです。かっこよかった。」
思っていたよりも黄色い反応じゃないか。何、俺、もしかしてかっこ良かった??今思えば、一瞬でもそんな気持ちになった自分が恥ずかしくて仕方がない。なぜなら、そう話ししている全ての保育士と目が合うことはなく、全員が私の頭部を見ながら話をしていたからである。
もう、お気づきだろうか?
そう、あの前回り受け身の時である。
結構なスピードで最初に着地したのは、前回り受け身の基本である後頭部ではなく、頭頂部だった。
これも正当性を損なったイメージに起因した「遅れ」のせいだった。
頭頂部で着地した私は、慣性の法則に従い、ハイスクール奇面組で「腕組」の運動塊に対抗しようと全力で跳び箱に向かって疾走し、ロイター板で躓いてそのまま頭で滑っていった冷越豪さながらに、(わかる人が果たしているのだろうか)頭頂部で10センチ以上は地面との摩擦に向き合っていたものと思われる。
音にすると
「ゾゾッ!ゾゾゾゾゾッ!!」
っていう感じだ。
1ヶ月ラーメン次郎を断った次郎ファンが、1ヶ月ぶりに目に涙を浮かべながらラーメンをすすっている、あの時と同じ音だろう。激しい摩擦に耐え切れなかった私の頭頂部の毛髪はその時、
「根こそぎいかれてしまった」
のだ。結構な面積で。
保育園の保護者リレー。それは大人の社交場であり、子供達の夢である。
誰もがはしゃぎ、そして時に誰かが、根こそぎいかれてしまうものなのだと思う。
それでも保護者は走るのである。愛する子供達のために。
(板井のクレドな日記集:「報告:根こそぎいかれました」)
※せっかくなので写真うPしときます。
少し生々しいので、閲覧注意です。
P,S お医者さん曰く、抜けたのではなく「捻じ切れた」状態らしく、ほっといたらまた生えるらしい。
それにしてもダメージが大きい。
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