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私のスキな戦国武将 〜武田勝頼〜

私は戦国時代、戦国武将がスキです。

ネット上のあやふやな情報と
おぼろげな自己流解釈で、
私のスキな武将について語ります。

内容に関しては正確性を欠くことを、
あらかじめご了承ください。

今回は、悲運の猛将、
武田勝頼さんのご紹介です。

勝頼さんは、かの有名な、
武田信玄さんの4男です。

みなさんご存じの通り。
(かどうか知らんけど)

武田信玄さんが亡くなって、
しばらくして、この武田勝頼の代で、
武田家は滅亡します。

武田勝頼さんは、良くも悪くも、
いろいろ言われます。

有名なのは、長篠の戦いですね。

古参の、信玄の代からの家臣達が
軒並み反対するにもかかわらず。

織田・徳川連合軍に戦いを挑み、
有名な鉄砲の三段打ちで粉砕され、
優秀な家臣をほとんど失ってしまった。

そして、滅亡したと。

このくらいは、
ちょっと知ってる人なら、
知ってますよね。
(知らんけど)

でも、実は。

その長篠の戦い、以降も、
なんだかんだ、頑張ってたんですよ。
勝頼さんは。

確かに、長篠の戦いは大打撃でした。
有能な家臣も、たくさん失いました。

でも、その後も、
それなりに有能な家臣は、
まだまだ多かったんです。
実は。

その中でピックアップして、
特に二人の家臣を、紹介します。

一人は、小山田信茂さん。

実は私は、この人が大嫌いです。

この人は、めっちゃ優秀だった、
らしいんですね。

武田信玄が存命中、優秀な武将は
たくさんいましたが、
その中でも引けをとらないくらい、
優秀だったそうです。

しかも、若くて、次世代の有望株。
長篠の戦いでも生き残った。

でも、最後の最後。

武田勝頼さんが、織田軍に押されて、
逃げ延びようとしたときに、
最後に頼ったのに、裏切るんです。

エグいでしょ?
許せない。

まぁ、そこで、たとえ小山田信茂さんが、
裏切らなかったとしても、
武田は結局は、滅ぼされてた、
かもしれませんがね。(オイ)

でも、信茂さんは。
裏切って、勝頼さんを、
自分の城に入れなかったんです。

そうして、勝頼さんは山の中で自害し、
武田家は滅亡。

その後、信茂さんは、
どうなったかというと。

織田さぁん、、
落ち目の武田、裏切ったんで、
今後、織田でよろしくですぅ。。。
(絶対そんな感じで言ってない)

って、言ったところ。
(それっぽいことはしてる)

は?
おまえ、、、

なんで、最後で主君を裏切ったん?

ないわ〜、、
マジで、ないわ〜、、
そんなヤツ、信用できんわ〜、、
(こっちもそんな感じで言ってない)

って、なって。

武田討伐軍の責任者、
織田信忠(信長の息子)に、
速攻で処断されてる。

最悪ですね。

裏切った事実だけ、
歴史に残ってしまった。

この人が、最後の最後まで、
武田に尽くしてくれたら、
まだ、どうだったんでしょう。

あと、もう一人、紹介します。

仁科盛信さん。

この人は、武田信玄の5男です。
勝頼さんの弟。

めっちゃ強かったんだけど、
織田軍の侵攻により、
勝頼が死ぬちょっと前、
高遠城で自害しました。

この人は、最後まで頑張って、
戦ったんだけど。

私としては、なんとか逃げ延びて、
勝頼と合流して欲しかった。

けど。

兄の勝頼に任された城を落とされて、
のこのこ、
逃げられなかったんでしょうね。

こういった、優秀な家臣が居たので、
なんとかならなかったのかな、
と、すごく思うんです。

実際、武田滅亡のすぐあとで、
本能寺の変が起きてますし、
もう少し粘ってたら、分からなかった、
かもしれない。

後からなら、
なんとでも言えるんで、
ほんと、どうか分かりませんが。

だけど、上田城を拠点とする、
真田昌幸も残ってましたからね。
当時は。

真田家にはさらに、
信幸、幸村という超優秀な、
息子達も出てくるし。

信長の野望のゲームをしてても、
うまくやれば、
なんとかなる戦力はあるんですよ。

でも、歴史って、そうなんですよね。
あとからなら、どうとでも言える。

勝頼さんの話に戻ります。

勝頼さんは、武田信玄の4男なんです。
さいしょにも、言いましたね。

信玄さんの長男は義信という人で、
信玄さんから謀反を疑われて、
若くして、自害しました。

戦国、あるある、ですね。

次男は盲目で跡継ぎには向かない、
三男は幼くして亡くなった。

そうして、4男の勝頼さんが、
信玄さんの後継者になったんです。

でも、勝頼さんも、
実は、ワケありなんですね。

武田家直系は、代々、
『信』の字が、名前に入ってたんです。

義信もそう、仁科家を継いだ、
5男の盛信もそうでしょうね。

でも、勝頼さんは違う。
『信』が、名前に入ってない。

実は、勝頼さんは、
諏訪家を継いでいて、名前は、
『頼』を継いでるんですね。
信、ではなく。

その由来は、諏訪頼重さん。
勝頼の、おじいさんです。

その勝頼のおじいさんを、
武田信玄が滅ぼしてます。

え?

どういうこと?

そういうこと、です。
複雑、なんです。

信玄さんに滅ぼされたのが、
諏訪頼重さん。
で、その娘が、勝頼のおかあさん、
だったんですね。

なので、勝頼さんは、
最初、武田勝頼でなくて、
諏訪勝頼だったんです。

だから、諏訪家の『頼』が、
名前に入ってる。

でも、信玄さんが、
諏訪氏を滅ぼしてしまった。

勝頼さんにとって、お父さんが、
おじいちゃんを滅ぼしてしまう。

これはキツいですね。
戦国時代あるある、なんですが。

武田家でいえば、なんだかんだで、
嫡男の義信もいなくなり、
4男の勝頼が、結局、武田家を
継ぐことになるんですね。

なんだか、運命、ですよね。

もちろん、そういった経歴の、
勝頼さんを武田の跡継ぎに据えるには、
反対の声も多かったそうです。

でも、信玄さんは、
勝頼さんを後継にした。

そうして、武田勝頼が誕生しました。

ちょっとアレですが。

諏訪頼重が、諏訪家を滅ぼされた恨みで、
勝頼に、武田家を滅ぼさせた、
なんていう、解釈をする人も、
いるくらいです。

結果的に見れば、そういえなくもない。
勝頼が、武田を滅ぼしましたから。
(言い方)

ともあれ。

なんだかんだで、ゲーム内では、
武田勝頼さんの戦闘力はかなり高いので、
やはり、魅力的なんですね。

だから、私は勝頼さんがスキなんです。
(安易)

ゲーム内では、早めに徳川家を滅ぼして、
優秀な家臣団を奪う戦い方をして、
ウサを晴らします。
(短絡)

あ、、、あと。

裏切り者の、
小山田信茂と、穴山信君は、
早めに処断します。

コイツらは、ゲームの中でも、
すぐ寝返りますからね。

え?? ヒドイ??

あくまで、、、ゲームの中の話ですよ。

いくら優秀な人でも、
裏切るヤツは使えない。

教訓ですね。

裏切るヤツは使えない。

現代でも、、、同じですね🤤。
(オイ)



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