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伏見のおばあちゃん

伏見のおばあちゃんの、思い出。
ただの、私の思い出話。

私にとって、おばあちゃんは。
母方の、祖母。
父方の祖母は、記憶に無い。

伏見ってのは、京都の地名。
そこに住んでたから、
伏見のおばあちゃん。

私が住んでたところからは、
電車を乗り継いで行く。

小さい私には、まぁまぁ遠い。

伏見のおばあちゃんちには、
夏休みとか、お正月とか、
そういうとき、長く泊まる。

母に連れられて、
何度も会ってるから、
記憶にもしっかり残ってる。

伏見のおばあちゃんちには、
お風呂がなかった。

なので、長く泊まるときは、
京阪電車に乗って、
伏見の大手筋商店街の、
大きな銭湯に行った。

銭湯の前には、
10円でできるルーレットの、
ゲームがあった。

何回か、やった。
ちっちゃいお菓子?かなんか、
当たったような気がする。

銭湯の中には、いつもいてる、
おっちゃんがいた。

背中に、ゴッツい彫り物があった。

全面に、びっしり。
前まで彫ってある部分もある。

幼稚園だったかなんかの、
わけわからん、当時の私は。

おっちゃんに、こう聞いた。

おっちゃん、
背中の、これ、なんなん?

おっちゃん 

・・・おう、、
・・これはな、、観音さんや。

全身、真っ赤っかな、
おっちゃんは、答えてくれた。

今から考えたら、
怖いモン知らず、やなぁ。。。

怖すぎる。

そのおっちゃんは、
銭湯の床に、いっつも、
ずっと、寝そべっていた。

銭湯が、スキだったんだろう。

朝から、ずっと。
お湯につかって、床に寝て、を、
繰り返していたらしい。

それも、怖いもの知らずの、
当時の私が聞いた。

そんで、そのおっちゃんは。

お風呂から上がった私に、
『マミー』を、おごってくれた。

牛乳瓶の、マミー。

マミーを初めて飲んだ私は、
こんなウマいものがあるのか!
と、驚いた覚えがある。

勝手に人からおごってもらう、
そのことで、なにか、
親とかから、いわれたような。。。

もう、覚えてないけど。

おっちゃんは、優しかった。
何回か、マミーをおごってくれた。

そんで、おばあちゃんち。

当時のおばあちゃんちの近くに、
酒屋があった。

ビール瓶のケースとか、お酒が、
たくさん積んであった。

その酒屋の、横に空き地があった。

まさに、私の、遊び場。
ただの、じゃりの空き地、
なんだけど。

隣が酒屋さんだから、
当時の、ビール瓶の王冠が、
たくさんころがってた。

普段、よくみかけるのもあるけど、
たまに、外国のビール?なのか、
みたことない王冠が、手に入った。

まさに、私にとって、宝物✨✨。

そういった王冠を、集めてました。
いまは、どこに行ったかわからない。

このころから、
収集癖があったのかもしれません。

当時の、そのおばあちゃんちは、
生活水が、琵琶湖の水だった。
地域によっては、だと思うんだけど。
伏見も酒どころは、たぶん地下水。

当時のおばあちゃんちは、
飲料水も、琵琶湖の水。

飲むにしても、水が、、、
正直、くさかった。

なんか、疎水そすい?らしかった。

昔、よく言うたやつ。

京都府民が。
滋賀県民を、なんというか、
例えばいじったり、したとき。

滋賀県民が。
おい!!そんなん言うなら、
水、止めるぞ!?て。

京都VS滋賀、あるある。
近畿圏の人にしか、わからんやつ。

そういう、アレ。
むっちゃ子供の頃は、記憶がある。

滋賀県からの水は、正直くさかった。

でも。仕方が無い。時代、やから。

今は、そんなことない、と思う。
知らんけど。

おばあちゃんは、
私の記憶が始まった時点から、
すでに、おばあちゃんだった。

おばあちゃんの夫、
つまり、私のおじいちゃんは、
すでに仏壇の中の人だった。

めがねをかけた、坊主頭の若者。
モノクロの、真面目そうな、遺影。

おばあちゃんが言うには、
戦死したらしい。

獣医だった、っけか?
なんとなく、聞いたような。

終戦の直前。

死ななくていいのに。

怪我で一時帰国、してたのに、
なんか、もっかい、
戦地に行こうとしたらしい。

そして、帰らぬ人になった。

おばあちゃんが、言うには。

死ななくていいのに。

私は、子供心になんとなく、
その言葉が、ひっかかってた。

今は、なんとなくわかる。

それらも、私の、
あやふやな記憶でしかないけど。

その後、おばあちゃんは。

5人の子供(私の母親を含む)を、
女手一つで、育てたらしい。

そのとき、勤め上げたのが、
宝酒造、らしい。

女手一つで育て上げる。

一言でいうけど、
並大抵のこと、じゃない。
そう、思う。

ものすごい、
苦労したんだと思う。

なので。

宝酒造のお酒は、私にとって、
そういうアイテムなんです。

そのおばあちゃんは、私が、
地方の大学に行ってる間に死んだ。

らしい。

私は、知らなかった。

当時、私の母が。勝手な判断で。
私には、知らせなくても良い、
と判断したらしい。

どういうことやねん・・・。
もう、いいけど。

私が中学生くらいのころ、一度だけ。

自分一人で、おばあちゃんちに、
京阪電車で行ったことがある。

なぜか、理由は忘れたけど。

当時、おばぁちゃんは、
もう、割と、その、、、
ヨボヨボ(言い方)だった。

その衰え方に、ちょっとびびった。

もともと、
おばあちゃん、だったけど。

こんな、衰えるもんか、と。
元気な頃のイメージが強くて。

そんで、おばあちゃんは。

なんか、でっかいイチゴを、
めっちゃたくさん出してくれた。

話すこともなく、気まずい私は、
大急ぎで、その、でっかい、
大量のイチゴをたいらげた。

そのあとで、台所から、
牛乳と砂糖を、
おばあちゃんは持ってきてくれた。

動きがゆっくりだから、
時間がかかっていた。

けど、いたたまれない私は、
すでに、イチゴをたいらげていた。

おばあちゃんは、びっくりしていた。

そんで、逃げるように、
おばあちゃんの家を後にした。

せっかく、おばあちゃんが、
持ってきてくれた、
砂糖も、牛乳も使わずに。

なんとも、いたたまれない思い出。

まぁ、しかたない。
とにかく、気まずかったから。

まぁ、そういう、こともある。

なんかしらんけど、これまた、
一度だけ、真っ暗な夜。

おばあちゃんと、
散歩した思い出が残ってる。

いつだったか、
覚えてないけど、一度だけ。

夜の散歩。

何を話したのか。

大学に、行くよ、みたいな話、
したような気がするけど。

ほんだら、高校3年生くらいか。
覚えてない。

もう、おばあちゃんは、
ずっとリューマチで、足が悪かった。

なんで、私と散歩、したんだろう。
理由も、記憶も、定かでは無い。

でも、心に、残ってる。

ただ、一緒に、歩いた。

私の方が、早いから、待ちながら。

おばあちゃんが歩くのを、待ちながら。

なんで、こんな夜におばあちゃんと、
歩いてるンやろ??

そう、思った。当時ですら。 

月が、キレイだった。
それは、覚えてる。

もはや、わからないけど。
覚えてるかどうか、分からない。

あやふやな、思い出。

わからない、んだけど。

おばあちゃんが死んで、30数年経つ。

でもこうして、私の記憶に。
おばあちゃんの記憶として、
たしかに、残ってる。

事実はどうあれ、
今、残ってるのは、私の記憶。

その記憶が、私の中に残っている。

それが、私のおばあちゃん。

伏見のおばあちゃん。




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