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『 私の高校受験物語 』

このnoteで仲良くしていただいてる、
ayuさんからのリクエストに、
お応えする記事です。

なんとなく、思い出してみました。
私の、中学時代〜高校受験。

かれこれ、三十数年前です。
単なる、とめどない思い出話。

色で言えば、『灰色』ですね。。。

いや、いいんです。
今は、十分すぎるほど幸せなんで。

私は4人きょうだいの三男です。
かなりの貧乏でした。

そのため、小学校のころから、
この貧乏な環境から抜け出す、
ということを固く固く誓っていました。

ませたガキですね。
でも、そのくらい、余裕がなかった。

当然、高校まで公立で、
塾なんか行かせてもらえませんでした。

私の通っていた中学は、
時代背景もあったんですが、
かなり荒れていました。

週に1回くらいは、
どこかのガラスが割れたり。

男子トイレの壁がボロボロで。
金属バットで破壊するんですね。
ヤンキーたちが。
落書きなんかもひどい。

非常ベルはしょっちゅう鳴るし、
授業中でも、窓の外のひさしを、
ヤンキーが歩いてたりする。

そんなヤンキーみたいな連中が、
授業を妨害していました。

音楽の女性教師なんかは、
気が弱いので、泣かされてました。

そんな時代です。

いかつい男性教師のときは、
ヤンキーもおとなしいんです。

だから、どうなんでしょう。
いろいろ、言われてますが。
なんか、教師のそういうのも、
それって、あるとおもいます。

まぁ、それはいいんですが。

私はそういった環境でも、
真面目に勉強していました。

学校もめちゃくちゃ。
家庭もめちゃくちゃ。

なんとしても、
こんなクソみたいな環境から、
自分の力で抜け出すため。

その一心で、一生懸命、
授業を受けていました。

勉強して、なんとしても、
自分の力で稼げる大人になる。

その先の話を少しすると、
一応、塾も行かず、浪人もせず、
地方ですが国立大に受かりました。

結局は、叶いましたね。
今や、こうして、のほほんと生活、
できてますからね🤤

普通の教科書と、
普通の授業だけでも、
なんとかなる人もいるんです。
私みたいに。

だいたい、塾に行ってる奴が、
授業を妨害したりする。

自分は、塾で先に習ってるから、
少し先に知ってるだけで、
賢くなった気になってる。

そんで、ほかの生徒の邪魔をする。
そんな、環境でした。

そういう奴らって、
ほんとの実力じゃないから、
いつか抜かされるんですけどね。

私は知っています。
いつか、抜かす側の人間だから。

まぁ、時代もありますがね。

一度私も、ヤンキーの1人に、
目をつけられて、トイレに
連れて行かれそうになりました。

この時代、トイレに連れて行かれる、
ってことは、殴られるってこと。

けど、私は、中学時代には、
まぁまぁ背が高い方だったので、
そのヤンキーより体は大きかった。

なので、連れていかれても、
最悪、殴り返してやる、と思ってて。

そしたら、トイレに行く前に、
『ビビったぁ〜!?』
みたいなこと言って逃げてった。

いや、、、
オマエがびびってんやろ!?

って、ビビりながら思いました。
(結局ビビってるやん)

そんなこんなで。

なんかしらんけど、中学3年のとき。
学生祭があったんですね。

なんかしらんけど、
よく覚えてないけど、
なんか、クラスの調整役?
みたいな役をさせられた。

なんやっけか、
体育祭実行委員??
みたいな名前やっけか。

なんのことはない。
ヤンキーを連れ戻す係。

ヤンキーたちは、
授業を抜け出したり、
みんなで体育祭の踊りをするとき、
校舎裏とかにたむろする。

そんで、
体育祭の準備がすすまんから、
自分のクラスのヤンキーを、
連れ戻す係。

いや、、、
今から考えたら、、

そんなんある!??
って感じですよね。

そんなん、嫌じゃないですか。
ヤンキーの溜まってるとこに、
クラスメートとはいえ、
ヤンキーの一員を呼びにいくとか。

時代ですよね。時代。

そんで、私も真面目やから、
ちゃんと呼びに行って。

なぁ、、帰ろうやぁ??
とか、やんわり頼んで。

ヤンキーの中にも、
いい奴がいて。

困ってるし、帰ろうや!
って言ってくれるのもいたり。

時代ですね。

まぁ、なんだかんだで、
体育祭も終わって、
みんな喜んでたのは覚えてます。

私は、なんでこんな役、
やらされたんやろ??
ってのがずっと疑問でしたが。

さておき。

京都って、私の時代は、
住んでる地域で、どこの学校に行くか、
決まってたんです。

公立高校は、選択できなかった。
公立中学もですが。

このエリアは、◯◯高校、
とか、決まってた。

選択できるのは、
普通科(一類)、進学科(二類)、
スポーツ科(三類)でした。

私が進学する高校は、
当時の学年で10クラス。

理系進学科(二類)1クラス、
文系進学科(二類)1クラス、
スポーツ科(三類)1クラス、
普通科(一類)7クラスでした。

一類と二類のテストは共通で、
より高得点の受験生が二類となり、
それ以外が一類となりました。

二類の授業は難しいらしいですが、
大学進学を考えるなら、
二類のほうがいいとか。

指定校推薦をとるため、
評定平均をあげるなら、
あえて一類を選んで、
指定校推薦を狙う、なんてのもあった。

一類のほうが、周りがアレだから、
相対評価の評定平均を上げやすい、
そんなことが言われてました。

二類は、全員進学科で賢いから、
評定平均は上げにくいけど、
ほんとの学力はつきやすい、
なんてのも言われてて。

私は、指定校推薦もらっても、
学費のかかる私立はいけないので、
頑張って二類を目指しました。

結果、文系の二類に合格。

受験の合否は、当時の担任の、
女性教師に報告することになってて。

その担任の発した言葉が、
いまでも忘れられません。

『アンタ、受かったん!?
    ウッソぉ〜!?』

やって。

オイオイ。。。

いや、わかるよ。
たしかに、私もそんとき思った。

自分でも、
受かると思ってなかったし。
二類に受かるには、
厳しめの成績でしたから。

まして、その報告の時、
私の直前に報告してたのが、
クラスでもわりと賢い系の女子。

二類に落ちた、って報告して、
泣いてたから。。。

二類の成績に満たなくても、
自動的に一類には受かるんですが。

その直後の、私の報告だったんで。

しかも、その女性教師こそが、
私に、あの悪名名高い、
体育祭実行委員なるものを、
押し付けた張本人。
(言い方)

なんでしょうね。
いまでもよくわからんことが多い。

当時から私、なんか、
鈍いとこがあったんでしょうね。

なんか、そんな気がします。

しらんけど。

とめどない思い出話でした🤤



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