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私のスキな戦国武将 〜今川氏真〜

私は戦国時代、戦国武将がスキです。

ネット上のあやふやな情報と、
おぼろげな自己流解釈で、
私のスキな武将について語ります。

内容に関しては正確性を欠くことを、
あらかじめご了承ください。

今回は、ある意味、勝ち組なのか!?
今川氏真さんのご紹介です。

氏真さんは、
かの今川義元さんの後継者です。

みなさんご存じ、桶狭間の戦いで、
織田信長さんの奇襲が成功し、
今川義元さんが討ち取られます。

そして、徳川家康さんが独立します。

さらに、徳川と武田が、
今川領地を奪い合い、
この今川氏真さんの代で、
今川家は滅亡します。

今川氏真さんは、
世に言う『暗君(ダメ殿様)』
であったという、評価です。

私が、なぜ、氏真さんがスキなのか。

このかたは、すごい面があるんです。
この、血で血を洗う、戦国時代に、
天寿を全うしてるんですよ。

なんと、77歳まで生きて、
普通に亡くなってるんです。

すごくないですか!?

この時代には、よく生きたとしても、
50歳くらいが寿命、
と考えられていたらしいです。

織田信長さんでも、50歳くらいで、
しかも殺されてるんですよ。

それなのに、この今川氏真さんは、
殺されずに、77まで生きた。

でも、そこに至るまでには。

本当に、耐え難きを耐え、
忍び難きを忍び。歯を食いしばって、、
は、なさそうですね(オイ)。

本当に、ツライことも、
たくさんあったとは思うんですが。

でも、自分のしたいこと、を貫いて。
それなりに不自由はあったとしても、
やり尽くしたように思うんですね。

それが、すごいと思うんです。
私は。

国盗り合戦が続いて、
結局、戦下手、どころか、
全く、その資質が無かった氏真さん。

その結果、今川勢力が滅亡して。
今川氏真さんは大名でも、
なんでもなくなって。

その後は、北条家や徳川家に、
住まわせてもらって。
結局、品川という名字に変えて、
貴族として暮らしました。

氏真さんは、もともと、
和歌や蹴鞠が得意で、
文化人だったんですね。

大名で無くなったあとも、
そういう方面で活躍してる。

というか、、、
それくらいしかしてない。
(オイ)

で、有名な話なんですが、
京都で、織田信長に、
蹴鞠を披露してるんです。

蹴鞠の腕前、、
いや、脚前(いいから)は、
かなりのもん、だったらしい。
運動神経はあったんでしょうね。

その得意の蹴鞠を披露するんですが、
こともあろうに。
親(今川義元)の敵である、
信長さんの前で。

信長さんが所望したらしい。

いや、これ、どう思います!?

親の敵でもあるし、
たくさんの家臣が殺されて、
しかも、自分も、東海一の大大名と
言われた今川家を潰されて。

まぁ、自分のせいでも、
あるんだけど。

所望する信長さんも悪趣味ですが、
受ける氏真さんも、よく受けたな、と。

いやぁ、なかなか、
ここまで、できませんよ。

やっぱり、
くだらないプライドなんかが、
どんな人でも、大なり小なり、
あるでしょうし。

でも、氏真さんは蹴鞠を披露し、
信長さんも喜んだらしいです。

まさに、winwin、ですね。
(そうか??)

そして、自分のスキな、
和歌や蹴鞠をして、
一生、楽しく暮らして、
天寿を全うした。

いいじゃないですか!

武家に向いてなかった、
と一言で言えばそれまで、ですが。

私も、近い考え方なんです。

一応、会社には所属するけど、
管理職とかは目指さずに、
一生、平社員で、ほどほどにやってく。
クビにならない程度に。

今でこそ、そういう考え方の人も多い、
みたいですが。

氏真さんの時代でいえば。

時は戦国、成り上がるため、
下克上は当たり前の時代ですよ。

それなのに、そこまで割り切って、
自分の道を、自分でできるだけで、
全うする。

これはこれで、すごく人間らしい、
一つの生き方、やと思うんですね。

ゲームでは、今川氏真さんは、
かなり能力値が低い。
もう、悲しいくらいに、低い。

でも、私は、今川氏真さんで、
信長の野望をすることが多いです。

理由は、なんか、スキだから。

何を持って、勝ちとするのか。
何を持って、価値とするのか。
それは、ひとそれぞれ。

みんなから、バカだバカだ、
と言われようと。

しっかりと、
自分を楽しんで生き抜く。

それが、一番大事。
それが、自分にとって、大事。
ちゃんと、わかってる。

そういう、芯の強い人が、
私はスキです。



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