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50歳になる前に思うこと

「40代最後の年」と思うとなんだかひと息つくような気になるのは、ワタシだけでしょうか。
20代最後の時は、「若いと言われなくなる年代に突入する」と思ったし、30代最後の年は「十の位、3と4の違いは大きい」と一気に老いに近づいていく感じがしたし。
次のケタに移る前っていうのはまぁまぁセンチメンタルになったりして、毎年見ている桜がなんだか特別な桜に見えたりするような感覚なんですけど、今回は今までのそれとは少し異なるような気がしています。
老いの街道をゆっくり着実に進んでいるというか、「確実に老いている」のが明らかなので、人の名前が出てこないとか小さい文字が読めないとかが当たり前となると、「ババアからバアさんになっていくんだな」っていう実感が湧いてくるわけですね。
今までは、まだまだ元気でパワフルに動ける、って思っていたんです。それが、思ったように動けなくなってきたことを確信して、今までみたいにはいかんぞと、ちょいと立ち止まってみるのがこの「50」という年齢なんじゃないかと思います。
素敵なバアさんを目指すことを意識しはじめる頃、というんでしょうか。

ワタシは、「将来何になりたい?」と聞かれても「なりたいものなんてない」と答えるような子どもでした。
そんなことを気軽に聞いてくる大人に「子どもなら誰しも夢を持っていると思うなよ」と反感を抱くタイプで、可愛げのない子と表現されることがしばしばありまして、子どもらしくない子どもというか、大人からすると「だいぶ変わった子」のくくりで、物事を斜めに見る感じのめんどくさい子どもだったようです。

高校生の時にアニメ放送がはじまった『ちびまる子ちゃん』を見た母が、ワタシに放った言葉は「ちびまる子ちゃんはまさにアンタだね」で、これを機に客観的に自分を見つめたことがあったんですね。
怠け者でかなりゲンキンな性格のまる子とは全然違うタイプなんですけど、好奇心旺盛ですぐに何かをはじめたがる所や、くだらない事に精を出しがちな部分なんかはよく似ていて、考え方や言葉選びなど、アニメを見ながら「ワタシをモデルにしてるんじゃないか?」と思うエピソードがいくつもあったので、母に言われて大きく納得したのを覚えています。

可愛げが無いとか大人は言いますけど、こういうひねくれた感じの子どもが出来上がるのには、理由があると思うんです。
本人の資質というよりも、「影響を及ぼす存在との接触によって創り上げられる」んじゃないかと、ワタシは強く思っていましてね。

例えば、

「おばちゃん、何歳?」と質問しているのに「いくつに見える?」と答える大人に出会うと、<質問に質問で返してくんな> と思うわけです。
質問されたら答えろよ、と。
子どもをバカにしてんのか?
なめんなよ。
アンタ、若く見られてる自信があるんじゃね?
ワタシが「30?」と言ったら「そんなに若く見える?」と薄ら笑いを浮かべるんだろうよ。
「50?」って言ったら「そんな歳に見える?」と苦笑いするに違いない。
ピッタリ当てれば「すご〜い」みたいな、どうでもいい返しをするだけだろうし。
めんどくさいわ〜。
歳が聞きたいんじゃない、っつうの。
ただの世間話。
子どもなりの気遣い。
今日はあったかいわね〜、と同じレベル。
それくらい、わかんないのかね。

こんな風に思っています。

これがまた、「いくつに見える?」の問いに答えずにいたとしたら、「わからない?いいから、言ってみて〜」と、こっちの真意を理解せずしつこく聞いてくるでしょうしね。
「質問に質問で返す大人はだいたいめんどくさい」っていうのをここで学ぶわけですよ。


更に、違う例を挙げます。

「お腹いっぱいでもう食べられない」と言うと、「アフリカでは飢えで食べられない子もいる。残さず食べなさい」と返してくる大人には、<いやいや、例えがおかしくね?> と思うわけです。

もう入らん、と言っている。
アンタもお腹いっぱいだったら残すでしょ?
アフリカの子だって、腹いっぱいになったら残すわ。
「食べられるのに食べない」っていう人に対して言う言葉を、ここで使うのはおかしいよね。
もっと適切な例えを言ってよ、大人なんだからさ。

なんて思っています。
理不尽というか、支離滅裂というか、正しい表現で説得へ導いてくれよ、と半分呆れる感じで。

こんな大人たちとの接触が頻繁にあると、あの「まる子」のような子どもが出来上がるわけですね。

で、そんな子どもが50になるとどうなるのか?というと、白髪が増え、老眼が進み、更年期真っ只中、見た目はババアで中身は変わらずあのまんま。
相変わらず好奇心旺盛で、すぐに何かをはじめたがり、くだらない事に精を出しがち、っていうのは変わっていません。
あえて加えるとするならば、まる子の特徴でもある「おっちょこちょい」の部分に拍車がかかった感じでしょうか。

「前日買った記憶が消え再び購入してツナ缶6個になっちゃう」とか「チンして食べられるヤツと思ったらフライパンで炒めないと食べれないヤツだった」とか、「無人レジで千円入れたつもりが1万円入れてて、お釣りが多い!ってビックリした」とか、「トイレに行くこと自体を忘れる」とか。
つい最近一番驚いたのは、いつも使っている「焼きのり」が

いつの間にか「味のり」になっていた、っていう。

「焼きのり」を購入したつもりが「味のり」だったみたいです。

だって、これだから↓

このデザインは本当にいけない。
似すぎ。
絶対、間違える。

ってことで、うっかりがいっぱいの楽しい50代になりそうです。






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